ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









「1ポンドの福音」つらつら

うる星やつら」最終話は
少年サンデー1987年8号に掲載。
めぞん一刻」最終話は
ビッグコミックスピリッツ1987年19号に掲載。
1ポンドの福音」の初掲載は
ヤングサンデー1987年9号。
らんま1/2」少年サンデー1987年36号から
1996年12号まで連載。
犬夜叉」少年サンデー1996年50号から
2008年29号まで連載(特別編除く)。
1ポンドの福音」最終話は
ヤングサンデー2007年3/4合併号に掲載。

 

この作品における畑中耕作という存在は、
ナンセンスギャグ世界のハチャメチャキャラを、
リアル寄りの世界に連れてきたらどうなるか?
そんな実験みたいなものにも感じられた。
多くの制約の中、オチに向けてどう逃げるのか。
スポ根へのアンチテーゼのような作品が、
根性無しを装って、
しかし結局は根性論で勝利するという、
漫画論的に読むとなかなかに面白い作品だと思う。

 

シスターアンジェラは当初
修道女のいでたちで通していて、
それはつまり修道女という概念の、
美女ではあるが個性のない、
たいへん純粋な「役」だけの存在だった。
これも結構面白い試みだと思う。
構成としてはバラエティコントとか、
即興劇のようといってもいい。
その後、水着回を経て
シスターアンジェラは麻利絵となっていくのだが
その頃から彼女のいでたちは、
ただの修道女のコスプレとなっていく。

 

耕作の、女なら誰でもいいというような姿勢が
明るみとなるごとに、シスターアンジェラの
ボクシング勝利への影響力は弱まっていく。
しかしそれでは耕作を勝たせられなくなるので
耕作は幼児退行化させられていく。
「うる星」や「らんま」で
慣れ親しんだテンポになって
話のキレはよくなるのだが、
何でもありになるので陳腐化している気もする。


耕作だけでなく、
ストーリーの構成も幼稚になっていく。
聞き違いやニュアンスの違いで
誤解が生じる、というのは
他の作品でもよく使われているやり方だが
その元となる台詞の組み立てが
無理筋過ぎたりするように思える。
また、キャラのアホさ加減に
責任をおっかぶせたストーリーも
少年誌レベルならともかく、
大人の世界を描いていてこれは…と
少し辟易してしまう。


しかしなんというか、
男のステータス変化、が
やたらキーになっていると
思うのだけれどどうだろうか。
男の甲斐性に女がなびく、という原理が
「1ポンド」でもやはり強く描かれていて、
つくづくるーみっくわーるど
(貧乏人が恵まれる、から一周回って)
貧乏人が恵まれない世界だなぁ、と思う。