ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









「ビューティフルドリーマー」への不浄な予感

映画主体で来た人には申し訳ない。
アニメ「うる星やつら」寄りの見地から見た、
実写映画へのテキストです。
映画ファン的なレビューとは異なるので
そこはご了承ください。


本広克行監督「ビューティフルドリーマー

beautifuldreamer-movie.jp

は、既に10/3のくまもと復興映画祭で
いち早く公開されているようで、
ついで試写会も10/5に行われているらしく、
だからもう見た人も多数いらっしゃると思う。
一般には11/6から公開だ。

たぶん箝口令でレビューは
他言無用になっているのだろう。
まだネット上でも見かけないので
熊本や試写会に行ってない僕には
どんな内容なのかは知る由もない。

製作の一報を聞いた時には
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を
別の形でやるのかと思ったが
どうもそうではなく、
映画研究会の青春ストーリーの劇中劇として
「B・D」が使われるようだ。

そして、まさかまさかで
劇中劇の「B・D」が
もろに「B・D」である。

何を言っているのかわからないと思うが
つまり緑(青)の髪の
女の子が出てくるということだ。
そしてそれ以上に、
「B・D」をトレスしたような絵が
バンバン出てくるということだ。
これにはびっくりした。

映画ファンであれば、
自主映画を撮ろうという時に
「『ロッキー』のあのシーンのように」
「『E.T.』のあのシーンのように」
「『タイタニック』のあのシーンのように」
「『プラトーン』のあのシーンのように」、
そういったリスペクトを含む
オマージュを盛り込むことはあろうけれど、
それを「B・D」でやるとは。

アニメファン・漫画ファンであれば
オタ的な所作としてのキャラ真似、が
自分の界隈に存在したことは否定しないだろう。

そしてそれはある一定の世代にとっては
白日の下にさらされるのは
死ぬほど恥ずかしい代物なのだが
それを映画でやってしまうとは。

今の若い子がそういうのを平気だとしても
モチーフが……。
古典になっているとしても
照準が、砲塔が、こっちを向いているではないか。

これは砲撃浴びてきっと死ぬな、と思った。

このシーン
https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG_omiYkNVym1Sd6g5T38MuS85isniWLmON4b_W24K3hpQg5pKWWLOFn9qJDwW7japiNm2cQ7yj3BCT9cVGhgwTrPJQVfe0n_YVs5FK58NEAWoXAtSgGV-lyT6U6aV2P_xgz9APU_6jtg-AVSN-fy47F6vwc75HIhAVYK-8KjS7mqI-yfTej2Uem3cSCryNetXTBH4h1qvlofXnfE70K0OLN0nq1jxv_DbNl2jsvCAFMMlSH7HKyOab103iurEp2VfQ==/EjZBJINUcAAUURF.jpgsmall
(画像は画像検索結果へのリンクです。
 不都合があればTwitter @rumicold ご連絡ください)
なんて、これそんなに大事なシーンだったのか。
あたるが戦車を呑み込む、というのが
何かを表しているのか?
僕もまだ全然不勉強なので……。

あとBGMすごい。
よくもここまで似せたもんだ。


この映画は、
限られた予算で作る映画、ということだけれど
例えば面堂やしのぶのアクションシーンなどは
カメラワークなどが陳腐だと
相当茶番になってしまうような気がする。

そのチープさを、
映研あるある、という風に表現するのかな。
既に見た人には答えが出ていることだけれど、
見たら悶え死にしそうな気がして心配である。

ただ興味津々な部分もあって、
浸水した地上と平たい地球、DNAのシーン、
自由落下のシーンなんかは
素人の映研がどうやって撮影するのか
すごく楽しみだ。
ミニチュアじゃないといいな。


もっともたぶん、
この映画の本題はもちろん映研のほうであって、
本広監督にしたって役者にしたって、
例えばこだわったという「口立て」だって
映研パートのほうに違いない。
だからゆめゆめ、「B・D」ファンな僕が
「BD」に期待しすぎないほうがいいとは思う。


それにしてもこの映研、貧乏には見えないな。
小道具は手作り感を出しているけど
撮影資材や環境やなんやらが見合わなすぎる
(予告編を見ての感想だけど)。
今の子はある程度恵まれた環境を
既に手にしてるってことかな。
それとも形から入らないと、って感じなのかな。
どうもなんか動機が不純な気がしちゃうんだよね。
なぜか本職が集まってくる、というのは
ご都合主義な感じがしちゃうし。
不自由、なところが
学生生活のいいところだと思うんだけど。

「めぞん一刻」における「まさか」

今回は、「まさか」という台詞が
使われるシーンについて書いてみたい。
取り上げる題材は「めぞん一刻」だ。

例えがないと漠然としてしまうのでまずは一例。
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大学受験に行ったはずの五代に似た人影を見かけて
驚くも、そんなはずはないと思おうとする響子
(「まさか」という台詞はないけれど)。

これから「まさか」要素を取り除くと
「あっ!五代さん!五代さんじゃないですか!!」
となってそこで叱責が始まることになる。

となると居酒屋には行かないことになるし、
酔った約束での、
後日の受験付き添いもなくなってしまう。

このep.「春遠からじ!?」のプロットが、
どのシーンを起点にされたのかはわからないが、
「酔って五代に絡む」という見開きか、
「受験に響子が付いてくる」という見開きの
どちらかが、
ストーリーの山場なのは疑いのないところで、
そこからストーリーを逆算すると
響子が受験に付いていくことにしたいが
まだ五代との距離が遠すぎるので
酔わせるなどの仕掛けが必要だった、
ということになる。

その回りくどい理由付けはまた、
このep.の序盤に展開されるような、
響子の五代への気持ちがまだ
恋愛感情ではないことの裏打ちとなる効果もあり、
この時期の「めぞん」の、
響子のスタンスの紹介・説明として
周到な構成といえるだろう。

上記の「まさか」が、ストーリー上で
接続詞のような働きをするのに対して、
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この「まさか」はストーリーには直接関与せず、
キャラの心象の表現となっていて、
予想される事態への拒否・否定といった具合だ。

高橋留美子作品では、その「まさか」の直前に
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傍観者から、特に深い意図もなく
客観的事実や予測が、
占うように提示されていることが多い。

考えてみれば、
五代のファーストキスの話を偶然聞いた響子が
プンプンしているのを読めば
「これは響子が面白くないのだな」
とは読者には既に伝わっているのだが、
その機嫌の悪さが
管理人の立場から
下宿内のモラルを気にしているのか
女性一般から、五代の軽薄さを咎めているのか、
彼女が懸念するように
個人的なジェラシーによるものなのかは
物語上でもまだ判明する段階ではないし
読者にもわからなければ、
響子にもわからないところだろう。

だから、一の瀬のおばさんが口ずさむ歌など
そこそこに聞き流してしまうのが自然なのだが
そこに引っかかってみせるのが、
誤解と勘違いを身上とする「めぞん一刻」が
読者を、また登場人物をも
煙に巻こうとする所作なのだろう。

4-11「坂の途中」では、
響子の「まさか」が大安売りだ。
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この場合は「妄想」を指して
「まさか」と言っていて、
妄想だらけの五代を擁する「めぞん一刻」では
特に珍しくはない。
ただその「妄想」が、
現実味のある可能性の一つかというと
そんなに現実的ではなくて、
夢のような誇大妄想であったり、
最悪の想定であったりするので
そこが「めぞん」のエンタテイメント性に
一役買っているわけだ。

そのことを踏まえて、というわけでもあるまいが
作品中では五代も響子も、
無難な思い至りはあまりしない。
自分を納得させるため、落ち着かせるために
「きっとたいしたことはないはずだ」
という予想を立てることはあっても、
平凡な可能性を口にして
そしてそれが当たっているような、
なんということのない日常の一幕は、
彼ら彼女らにはない。

それじゃあ物語にならないし。

逆に言えば彼らの日常は
常にエキサイティングで刺激的だ。
だからこそ「漫画」なのだが、
こんなに事件が起きては気が休まる暇もない。


そんなこともあってか、
県立地球防衛軍」の「摂氏34度の退屈」は
当時かなりセンセーショナルだった。
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このエピソードは増刊の昭和59年9月号掲載だが、
今読んでみると、
見事なまでに「日常系」のさきがけである。
当時はこれが目新しかったが、そう考えると
日本国民の生活形態もずいぶん変わったものだ。


なんか違う漫画の話をしてしまったけど
絶対・当然・通じてますよね?

笑う標的 その5(最終回)

さて「笑う標的」5回目です。

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道場を訪れた里美を待つ譲だが
目が、不動明(ふどうあきら)のような
獣の目になっているのでコワい。
こめかみの汗も微妙に謎だが。

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この梓、眉をひそめすぎて
なんかもう異形みたいになってしまっている。
マンガになってしまいそうで、
シリアスな「笑う標的」ではギリギリなところだ。
もっとも梓も次のコマでは化物化するので
そこへの繋ぎとしてはこんな感じなんだろうけれど
美人さんではなくなっているなぁ。

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餓鬼を召喚してバトルに入る梓。
2020年の現代の漫画シーンでは
美少女が精霊を使うなんて珍しくもないことで、
例えば梓がRPG
パーティーのメンバーであったなら、
彼女と餓鬼は忌み嫌われたりしないだろう。

ましてや梓と餓鬼の関係は
呪いや取り憑きではなく、
それどころか契約・取り引きでもない。
餓鬼の一方的な好意による共闘なのだ。

「力を持つ超人(ヒーロー)」として
ふるまうこともできたかもしれない。
それをたかだか三角関係の清算に使ってしまうとは
何とももったいない話である。

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里美をやれと言われているのに
譲に襲いかかる4匹。
アホなのか功名心なのか。
中でも譲の頬にぶつかってる奴は
絶対に譲を嫌ってるよな。
梓に特別な感情を持ってるよな。餓鬼の分際で。

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弓で振り払われるのはまだいいとして、
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銀の矢でもあるまいに、
物理的に矢で射られるのはどうなのよ。
君らには化物としてのプライドはないのか。

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3匹の特攻を見守る餓鬼たちの図。
この頃は漫画でもアニメでも、
なんなら実写の映画でも、
物量作戦/一斉攻撃などの
「おびただしい」という描写が
まだあまりなされていなかった時代である。
2020年のデジタル作画であったなら
譲は餓鬼たちに、
容易に呑み込まれていただろうことは
想像に難くない。

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「来るなーーっ!!キリッ」

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えらく不細工に描かれてしまっている梓さん。
なにもここまで不細工にせんでも。
台詞との兼ね合いで、
黒目(白いけど)を描いたからだろうか。
だがこのコマは、
「そんなに うちがっ!!」に繋がっていて。

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「そんなに うちがっ!!」は重要なコマだ。
どうとでも受け取れる台詞、そして涙。
愛憎入り乱れるとはまさにこのことだ。
ここはベラでは困る。ここは梓なのだ。
だから目の作画に黒目(白いけど)が必要だ。
ここに持ってくるために、
「どうして……」でも黒目を描いたのかもしれない。

何十年も昔に見たきりだが、
アニメ「笑う標的」での
「そんなに うちがっ!!」は
かなり力の入った作画だったような気がする。
振り向く梓をはっきりと覚えている。
そのシーンはあまりに原作に忠実過ぎて
まさにこれこそが映像化であると思った気もするが、
今では逆に、
だったら漫画でいいじゃんとも思ってしまう。
贅沢なもんだ。

当時、この「そんなに うちがっ!!」をして、
梓をラムに置き換えた考察もよくあったように思う。
望まれない押しかけ女房、一方的な愛情、
確かにラムのAnotherではある。

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考えてみれば、譲が梓を否定するのも
ひどい話だ。これが本当の梓なのだから。
梓が「ひどい…」というのも無理はない。

ただ、「笑う標的」が消化しにくい部分は
まさにそこにある。
梓の真実の姿(心)を受け入れようとしない譲、
しかし読者はそれが事実上の梓だと知っていて、
だのに当の梓が、
まるであれは自分じゃなかったとでもいうように
餓鬼たちのせいにする。

「女を殺せっ!!」と「そんなに うちがっ!!」
この二つの台詞は、梓の真意のはずだ。
真意を直接的に、拡大して言わせているのは
確かに餓鬼の仕業だけれども、
梓の心の叫びであることは、
梓の涙が証明している。

化物は確かに恐ろしいけれども
その本性がか弱い梓なのであれば
その本心に寄り添ってやりたい気にもなる。

だがその「そんなに うちがっ!!」という梓を
譲が射抜き、また梓も餓鬼のせいにしたのでは、
あの涙が報われないな、と思うのだ。

あと譲、譲の射は正当防衛にはならないからな。

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固唾をのんで見守る餓鬼たち。

まぁ実際、譲の矢が、
なぜ液体生物を退けたかは謎なんである。
梓を救いたい一心、里美を守りたい一心、
そういった精神的なパワーではなさそうだし。
やはり物理攻撃なのか?

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この台詞はどうなのだろう。
いまわの際だから深く突っ込まないほうが
いいのかもしれないが、
「私はあなたのものだから」、
“だから”何なのだろうか。

その台詞を受けている台詞は、作品中では
不良たちとの対峙の後の
「誰にも触れさせん。」だ。

このラストシーンで続く台詞も、同じように
「誰にも触れさせない、触れさせなかった」
だろうか。

「私はあなたのものだから」、
「あいつらの力を借りて、
 誰にも触らせないようにしていたのよ」。
…しかしそれであれば、正当性の主張であれば
「あいつら」のせいにするのが理不尽だ。

梓は液体生物に侵入されており、
操を守れなかったともいえる。
「誰にも触れさせなかったよ」とは
言えなかったかもしれない。

考えられるのは、
梓が、自ら滅するために、
譲の矢に飛び込んだのではないか、ということだ。

梓が、譲の梓でいるために、
最後の最後で液体生物を拒んだのではないだろうか。

「私はあなたのものだから」、
ああしたのよ。
ああするしかなかったのよ。
あれでよかったのよ。

だとすると、ストーリーにも関わる、
めちゃくちゃ深い台詞である。


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人間の弱さこそが魔物である、というレトリックは
古今東西、数多く語られている。
梓の最後の台詞では、
餓鬼や液体生物の行いがやはり助力に過ぎず、
主犯が梓であることが語られているのだが、
その割には梓にあまり反省が見られず、
あいつらのせいにするところが
読後感としてすっきりしない。

ただその、最後まで人間のエゴを語ることで
ホラー&サスペンスの後味が残る。
また、まだたった高校生である登場人物たちの
未熟さへの共感(読者層の当時の年齢的に)、
恋愛というものを優先したい青さ、
そんなものも薄っすら感じるように思う。


最後に、「笑う標的」というタイトルについて。

笑う標的 その3 でもちょっと触れたが、
「標的」は譲と里美ではない。
では梓かというところだが、
餓鬼や液体生物ということも考えられる。
譲から見た、譲が射た、標的だ。

しかし、餓鬼や液体生物が笑ったかというと
それは疑問である。

冷笑する、ほくそ笑む、あざ笑う。
そういった、悪意の笑みが
「あいつら」にあったかというと、
そういう感じはなかったのだ。

何度か書いたが、餓鬼たちは梓への好意で
共闘していたのである。

だから、「標的」が示すのは
餓鬼ではなく、やはり梓だ、ということになる。
梓は劇中でも何度か笑っているし。

だけどねぇ。
梓を「標的」呼ばわりするのは
ちょっと違和感があるのだ。
梓を「標的」にしたのは譲ということになるが
わずかな時間、敵対したからといって
美しい幼馴染の少女を
「標的」呼ばわりはないだろう。

餓鬼から見て、梓が「標的」、
獲物や生贄ともいえるかもしれないが、
何度も言うように、共闘関係であるし。

「笑う」は、ホラー風味ということなんじゃないか、
そう考えるのが、いちばんしっくりくる。

「笑う」と「標的」を別々に考えれば
それぞれ該当する箇所は作品中にあるし。
「思わせぶり」を
読者に投げるタイトルであったというのが
僕の推察だ。


以上、長くなって申し訳ないが
「笑う標的」の、
数十年ぶりのレビューを終わります。

梓を好きだったあの人と、
じっくり話をしてみたいと今になって思うけれど
もうそんなこともかなわない。

あの人がまだご存命ならいいけれど。
あの人がまだお元気ならいいけれど。
この文章が
あの人の目にとまる可能性は低いけれど、
こうやって書けば、
その可能性はゼロじゃないよね。

笑う標的 その4

今週も「笑う標的」だが、
4回目ともなるともう、長いな…。

今となっては衆目も集まらない作品ではあるが
突っつきがいのある作品なので、
さらっと終わらせるのはいかにももったいない。

もっとも、高橋留美子系のファンジン界が
乗りに乗ってた頃の作品だし、
語られ尽くした感があることは確かで、
僕が書く論説も、過去に誰かが言ったことと
丸かぶりしている可能性は非常に高い。

まぁただ、
じゃあ押し入れの奥の同人誌を引っ張り出して
昔、誰かの書いた
「笑う標的」のレビューを読むかっていったら
そんな酔狂なことをする人はいないだろうし、
だからこの時代に、「笑う標的」のレビューを
ネット上で展開するのは
悪くはないんだろうさ、と思って
続ける次第であります。

でもこうして自分で書いていると、
過去の同人たちが
その頃どんなレビューを書いていたのか、
すごく読みたくなるのだった。
だけど持っていたファンジン誌は
ずいぶん昔にほぼ全部処分してしまって。
惜しいことです。


前置きが長くなったが「笑う標的」の続きです。

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昼間の窓ガラスには、室内側は映らない…
のはまぁ、里美の意識に一瞬差し込まれた
ホラー的演出、ということで。
だがガラスが内側に割れているのは面白い。
里美に危害を加えるため、なので当たり前なのだが
サスペンス&トリックとして考えると
餓鬼を使った現象ではなく、
ガラスに直接働きかけているわけで。
後ろのページでも矢を放っているし、
サイコキネシスとしても相当一流である。

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このコマは、素直な読みとしては
梓が里美に対して、
憎しみを一心にぶつけているところなのだが
梓の表情の作画が追いついていないせいで
前のコマの「ぎゅっ」を受けて
火に油を注がれたようになっている風にも
読めるのが面白い。
本当にそうかというと、
里美が既に戦意喪失しているので
たぶん違うと思うのだけれども。

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「黙っとき」と言われて黙っている里美。
梓が、譲には言うなと言ったのは
梓の身体から何か変なものが出ようとしていた
その異常な現象についてであって、
譲と手を切れと言ったこと自体は
特に口封じしていないと思うのだ。

梓にとっては、自分の異常な超能力は
譲に嫌われかねない、
隠さねばならないことなのだが、
里美を退けようとすること自体は
梓にとって正当なことであり、
誰にもはばかることではない、と
思っているのではないかと思う。

だから里美が、梓にシメられたことを
譲に打ち明けないのは、里美の誤解だ。
もっとも、打ち明けたからといって
何かが変わったわけでもない。
せいぜいが、超能力で里美に攻撃することが
しにくくなる、ぐらいの話である。

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催眠を解かれた里美。
操ったままならどうとでもできるのに、
わざわざ意識を取り戻させているのは
目的が殺害ではなく、脅しだからである。
この時までは里美を殺す意図はなく、
梓はまだ人間寄りだったわけで、
だからその晩の、
梓の部屋での譲と梓の乱闘の時も
女子高生が男子高校生に暴行を受けているように
受け取ることができたのだと思う。

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信じられないものを見た譲。
そこまでの一連の
スピード感のあるコマ運びもさることながら、
この譲の口元の作画はちょっとすごい。
ええと、この口は閉じているでいいんですよね?
頬を切って血が滴ることも意に介さず、だから
閉じていると僕は思うのだけれども。
開いているなら、こんな生彩のない目には
ならない気がするし。
閉じているならすごい作画だと思うんだよなぁ…。
断言はできないんだけど。

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関わっていくことを放棄したことで、
主演から助演に堕ちた里美。
この無力感は高橋留美子作品では珍しい感じだ。

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予言者である。

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梓は何をしに里美の家に近づいたのか。
里美に何かするつもりなら、
ジュンを早々に黙らせたうえで
行動に及んだはずなので、
里美に対して何かするつもりはなかったようだ。
では脅しとして飼い犬を殺してみせた、なら
この「静かにし……」がちょっと不自然で
エンタメに振ってしまった感はある。

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しかもわざわざ自らの手を汚しているなんてね。
それが「血の匂い…」に繋がるわけだが
かなり感情に任せた犯行であることは否めない。

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ここもなぁ…。るーみっく脳では
「んま~っ!んま~っ!なんてこと…」って
聞こえてきちゃうんだよなぁ。

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譲が発作的に梓に詰め寄るのは
タイミングとしては階段か、
上りきったところ辺りが妥当だと思うのだが
梓がブラウス姿になるのを待ったところが
リアリティよりもシーン優先な感じはする。
確かに女性への暴行というニュアンスは高まり、
作品がドラスティックになっている気はする。
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譲は里美の安否確認を後回しにして
梓への怒り=梓への恐怖を先に持ってきた。
この辺りに、この「笑う標的」という作品を
とにかくホラーにしようという意識を感じられる。

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梓が里美に何かしたかもしれない、というのは
一応勘違いということになるのだから
何か言ったらどうなのかね、譲くん。とは思う。

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この晩の梓母の行動は少々謎である。
この添い寝は、娘への想いを
静かに溢れさせているシーンのように見えるが
梓への殺意はいつ芽生えたのか。
添い寝しているうちに感情が昂ったのか?

いや、添い寝と絞殺のコントラストを考えると
殺すことは決めていたと読み取るべきだ。
決めていたからこそ、
静かに梓を憐れんでいたのだ。

しかしこの時の梓は高校2年生である。
添い寝から縊り殺しにかかるのが
どうにも無理があるのだ。
殺すつもりなら、そっと部屋に入り、
気付かれる前に首を絞めるほうがいい。

この時すでに、梓母が狂ってしまっていた、と
考えるのがいちばんしっくりくる。
いろいろと心労も重なっていただろうから
それはそれでいい落としどころではある。

だがそれも、
梓母が梓の超人化を知っていればの話だ。
餓鬼はそれまでさほど悪いことをしておらず、
梓を殺す理由としては乏しいので
やはり超人化がポイントだ。
この時点で梓が梓自身の超人化を
母に見せたことがあるのかどうか。
作品中にはその描写はない。

だいたいが、梓はいつ超人化したのか。
最初に村の男児たちに襲われた時、
つまり餓鬼との最初の邂逅の時には
まだ超人化していないと思っていいだろう。
精神的な分岐点をも考えれば、
理想的なのは、母親を殺した時だ。

そして、梓が人間ではなくなったことを考えれば
母親に首を絞められたときに、
梓が一度死んでいるほうがいい。
そこで餓鬼の協力を得て、
液体生物の寄生を受けて蘇った、となれば
たいへん納得できる筋書きである。

まぁ実際、あの時に一度死んだということに
できなくはない。
ただ問題は梓母の「おまえは!」「鬼や!!」
という台詞だが、これについても
いわゆる概念としての鬼、ということで
思わず発した言葉が、いみじくも事実となった、
と読むことはできる。

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梓母に絞められる梓。
最後のコマの梓の髪が手塚治虫とか松本零士風だが
横にして見てみると
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髪の毛がマジエロい。石ノ森章太郎のようでもある。

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餓鬼に囲まれた梓母の図、で、
事実梓母はこの後餓鬼に殺されてしまうのだが
餓鬼が死の兆候、殺意といったものに呼応して
出現するとすれば、餓鬼を呼んだのは
梓母ということになる。

自分が呼んだ餓鬼に自分が殺されるというのは
ちょっと受け入れにくいが
化物側(ホラー作品側)には
人間の論理に沿って動く義理もない。
そうだったのかもしれないなぁ、と思うのみである。

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梓母を案じて飛び起きる梓。
自分が殺されそうで起きたのではないのである。
愛する母が、絶対的な母が、
今まさに殺されそうになっているから
飛び起きたのだ。
その少し前にはその母に
自分が殺されそうになっていたというのに。
この後梓は「おかあさまが悪いんや…」というが
仕方ないからといって、
自分の意志で殺したのであれば
飛び起きるのはちょっとおかしい。

自分の意志ではなく、
忖度した餓鬼によって母が殺されていくのを
薄れた意識で見ていた、というのが
落としどころだろう。
または梓の二重意志であってもよい。

そんな情緒をほとばしらせた後のコマが
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このコマということになるが
人間らしさが微塵も感じ取れない。
感情の葛藤が、ここにはない。
しかしそれで良かっただろうか。
「そんなにうちがっ!!」の台詞でもわかるように
梓の中にはずっと、人間らしさも存在しているのだ。
このコマはどうも、ホラー風味を
優先させ過ぎたのではないか、と僕は思う。


さて、
いよいよ最終決戦とエンディングを残すのみだ。
それではまた来週。

笑う標的 その3

前回前々回に続いて「笑う標的」の3回目。
梓がその本性を開示し始めるところから。

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里美に話をつけるべく照明を切る梓。
高橋留美子氏がコマ内に小さくキャラを描くとき、
妙に味わいのある絵になることがよくあるが
これもその一つ。なんかカワイイ。
作者の意図とは違うだろうが、
シリアスストーリーに
いきなり4コマ漫画が闖入してきたかのような
変な可笑しさがある。

そもそも里美を恫喝するのに、
なんで照明を消す必要があるのか。
発症(?)する予定はなかったので、
何かを見られないように、ではないだろう。
単純に里美を怖がらせる演出だと思われるのだが、
だとするとおそらく梓は
里美が下着だけになるタイミングをも
見計らっていたのだと思われる。
陰から見ていたのだろう、と思うと
なかなか健気である。

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本家は譲を婿に取る予定でいたわけだが
梓自身は自分が譲のお嫁さんになる、
譲のものになる、という意識を強く持っていた。
だが里美に対しては猛然と所有権を主張している。
スピード感のある台詞なので
女性の感情の昂ぶりと捉えてしまいそうになるが
ここはきっちりと味わっておきたい。

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「笑う標的」という作品中、
最高に盛り上がるシーンのうちの一つだと
個人的に思っているのがこのシーン。
「だめっ!!」という、
弱い立場から発した喘ぎ声と
「出るなーっ!!」という
命じる立場からの叫びが混じったこの混乱っぷり、
エロい、エロ過ぎる。最高だし天才的だ。

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……からの、「はあ はあ はあ」。
普通に読むと普通なんだけど、
るーみっく脳で読むと、これはあかん。
あたるやラムの呆れる顔が浮かんでくる。
梓の身体が震えているのも相まって
面白すぎるでしょう!
こういう読み方ができるので、
ほんと是非、
古い作品の読み返しはやってほしいです。

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眼がトンちゃんになっている梓。
「目を光らせる」という言葉は
目配りするという他に、
強い意志を眼に宿して向けてくる、
俗にいう眼光という言葉通りに使われるわけだが
ここで梓の目を光らせるために、前のコマでは
髪をかぶらせたポーズとしたのだろう。
動きも感じる、計算された作画である。

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校門で里美を待つ譲だが、
このコマが上段にあるのは
へたり込む里美と同時刻を表しているわけで、
この二つのコマを「同時に読める」ことが、
映画やアニメにはない、漫画のアドバンテージだ。
次の「し、志賀くん…」「里美…」のコマが
少し近すぎるのでやや効果が薄くなっているが、
何せこの「笑う標的」は
内容に対して尺が短いので、
そこは仕方のないことだろう。

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この3コマでは背景のスクリーントーン
注目してみたい。
1コマ目では淡いグレーの空に
木々の影が強いコントラストで利いていて、
梓の考える「よからぬこと」を感じさせる。
松本清張の小説のようだ。
2コマ目ではもっと濃いグレーとなるが、
やはり木々が描かれていることから
1コマ目からの連続した流れで
梓の考えが深まっていくことを示している。
そこからの3コマ目、ベタフラッシュが秀逸だ。

この最後のコマの梓が、「 OH ! 」といった感じで
それまでの企み顔に比べて毒気が抜けているのが、
(明らかに曲解だが)ちょっと楽しい。

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高橋留美子作品では
女性は強く、したたかに描かれることが多いので
こういった、無力で情けない、救いのない表情は
かなり稀だと思われる。


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そこから転じてのこの表情、
このコマはさほど大ゴマではないけれども
このコマこそが「笑う標的」のタイトルを表す、
三つのコマのうちの一つだろう(もう一つは
ベッド上の「必ず…」、そしてもう一つは
ラストページの「あいつらが悪いんよ…」)。

タイトルの「笑う標的」について考えてみる。
この作品で「標的」となるのは
梓から見た恋敵の里美、
梓が射止めたい譲、
譲が矢で射た梓、
餓鬼が寄生対象とした梓、あたりが候補となるが
里美や譲はストーリーの中で
意味を持って笑ったことがないので
彼らはタイトル上での「標的」ではない。
タイトルの「標的」は梓のことだ。

梓が笑うシーンは上記の3ヶ所である。
先の二つに対してラストページの笑いは
まったく違う立場での発せられ方だが、
どこか自虐的な、かつ自分自身への憐憫の情を
感じさせる共通点がある。

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タイトルの笑いとは違うニュアンスとなるが、
譲に問い詰められ、
困ったような笑みを浮かべる梓。
この作画も本当に素晴らしい。
少年誌にはもったいないほどだ。


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妖怪人間ベラっ!な梓さん。
ベラ、好きやのう。
「顔面仲間」での「べらっ」は
くどかったけどなぁ。
この梓の超人化の正体は
梓の体内に潜む謎の液体生物なのだが
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餓鬼はともかく、この液体生物については
何も説明がないし、よくわからない。
梓の超人化が必要だったかと考えると
戦闘自体は全て餓鬼に代行させればよく、
里美を脅かしたり操ったりするのも
わざわざ超能力を使う必要性が
感じられないことから、梓の超人化は
ラストシーンで梓自身が射られる、
その理由付けのためと思われる。
だがそれでも、液体生物が出て行った後に
梓が粉々に散って消えてしまうのがわからない。
霧散するのであれば、
液体生物を宿したままのほうが理屈に合う。
この辺は後述しようと思う。

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さて、餓鬼が姿を現して
死体処理をしてくれるのだが、
ずいぶん軽快な音を立てて貪っている。
骨部分はわかるが人肉・獣肉が
そういう音を立てるかな、と思うが、
では「グチャグチャ」「ビチャビチャ」
といった音ならどうかというと
骨が残っていそうで、
証拠隠滅感が薄くなってしまうのかなと思う。
その点、「ポリポリポリ」なら
肉の部分は溶解して吸っているのではとか
いろいろ誤魔化せそうだ。

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餓鬼になつかれる梓。
この、梓と餓鬼のコンタクトだが
普通、邪悪なものに取り憑かれるといった場合は
人間の弱い部分、業といった部分に
入り込まれる設定が多いものだ。
弱い部分といってもその弱いとは
「負」の部分であって、
弱者の持つ、抵抗できない弱さ・脆さ
といった部分が狙われることはあまりない。

ところが幼少時の梓には「負」の部分はない。

弱者が弱者ゆえに力を得る場合、
「取り憑かれる」のではなく、
「一緒に戦う仲間」を得ることが多いように思う。
そしてその通り、梓と餓鬼は共闘関係となる。
マスターと使い魔になったのだ。
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餓鬼も梓と完全にコミュニケーション取れてるしね。

共闘の約束の代わりに、梓は何を差し出したか。
…何も差し出していないのだ。
ここで、餓鬼の目的は「善意」となる。
これは非常に重要なポイントである。

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1983年の志賀くんの家では、まだ黒電話が現役だ。
メモの横に、長電話をけん制する砂時計が
置いてあるのが面白い。
この頃、東京大阪間の長距離市外通話は
4~5秒で10円だったようで、
今の携帯電話と比べても相当高いが
3分10円の市内通話でも長電話が疎んじられたもので
今とはずいぶん感覚が違うものである。

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出た、るーみっく恋愛理論。
私があなたを好きだから付き合うべき。
梓は少しメンヘル気味に描かれているが、
言ってることは他の作品のキャラでも同じである。
それはおかしい、としている「笑う標的」のほうが
タチは悪くない。

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譲と梓が最後に会ってから5年が経っていて、
しかもその5年は
中学~高校の間の多感な時期だ。
その、人格形成にも大事な5年をすっ飛ばして
幼いころの約束を優先する梓。
もちろん、約束から生まれたひたむきな愛、
というものもあるだろうが
しきたりに準じて──いや、殉じて
生きてきた梓である。
それは、餓鬼のせいではなく
まぎれもなく梓という人間そのものなのだ。

明言はされていないがこの時点で、
譲を婿に取るか、嫁に行くかということは
梓の中ではどうでもいいことであろう。
本家、そして梓母の呪縛はもうないといっていい。

だから、梓という女は
新しいやり方になじめない、古いタイプの女なのだ。
そんな女が、約束の男に尽くそうとやってきた、
そういうストーリーの「笑う標的」は
現代のおとぎ話ともいえるのではないだろうか。


なんかまとまっちゃったけど、
もう少し書きたいことがあるのでまた来週。

笑う標的 その2

前回に続いて「笑う標的」を取り上げる。

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久々に再会した梓の美貌に息を呑む譲。
…というシーンだが、この梓って
あまり魅力的には見えないな、と
当時から思っていて。

高橋留美子氏が「美人」というニュアンスで
キャラ立てする時にしばしば、
口紅をつけている風に、または
唇の色を濃く描くのだが、
それがここではどうにもケバい。

17、8歳には見えない美貌、と
いいたいのかもしれないけれど、
逆にいえばまだ17、8歳なのだ。

唇を濃く描けば、まず最初に「化粧」と
感じられてしまうと思う。
読者が(当時)青少年たちであることからしても
そう捉えられてしまうのは必然な気がする。

その、「化粧」という部分に
梓の“ペルソナ”をだぶらせている、
という見方もできるが、
その表現のために失っているものもまたある。

美人ではあるが
田舎の世間知らずな梓が「ケバい」のは
ちょっと違和感があるのだ。

例えば面堂了子は通常時口紅をつけていないが
それでも彼女が美人だというのは
誰が見ても明白である。
梓もそのほうがよかったな、と思う。

ただ、梓が口紅によって
「おどろおどろしいキャラ」を
維持できているのもまた確かで、
これが、すっぴんで純なキャラだったら
ラストの後味が悪くて仕方ないのかもしれない。

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まぁそんな美人な梓なのだが、制服から
その顔立ちにミスマッチな部屋着に着替えて
男の部屋のベッドに腰かけている、というのは
相当現実離れしたシーンであり、
今読むと心躍って仕方がない。
この、梓がダサいセーターを着ている良さは
当時の俺にはわからんかったやろうなぁ…。

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「譲ちゃんがおるもん!」の流し目。
この絵を絵のまんま受け取れば、
「狙っている目」ではない。
ある種、信頼しているような、
確実にモノにしているものを見る目だ。
しかもそこに攻撃性がない。
すごい画力である。

また梓はこの一言に
自分の人生を語っているともいえて、
この思い込みの強さって、
あぁこれエルと同じだよね。
奇しくも「笑う標的」も「オンリー・ユー」も
1983年公開である。
高橋留美子氏が「うる星」劇場版の中で
「オンリー・ユー」を一番評価しているのも
何か通ずるものがあったからかもしれない。

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漫画界では食パン少女の「遅刻遅刻~!」が
現実にはあり得ない事例の代表だが、
知人宅に身を寄せた学生が
いきなり学校に編入してくる、というのも
考えてみれば相当アクロバティックである。
よく「家の事情で」とか使われるけど
家の事情で即転校できるほど
日本の高校就学事情は甘くない。
少なくとも住民票の移動は必要とみるべきで、
つまり梓は
譲と関係を深めて結婚するまでの数年間、
腰を据えて、譲家に居候するつもりでいたと
いうことになる。


話が少し逸れるが、
分家の譲家が志賀姓であることから、
分家は嫁入りや婿入りではないことがわかる。
また婿取りだった場合、家を出ないと思われるので
分家となるのは男性、つまり梓母の弟となり
譲の父であると推測される。

ということは譲父は長男ということだが
世継とはならなかった。
当主の座は姉が握ったまま離さなかった。
この辺り、譲父も何か忸怩たる思いがあっただろう。
横溝正史的ないろいろが。

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梓母の葬式の後、
梓を東京に連れていく、と言った眼鏡の男性が
おそらく譲の父であろう。

本家の財産を我が物にしようという意図が
見え隠れするが、梓の譲への想いにより
そうすんなりとはいきそうもない。

とりあえずいったんは梓を預かろう、と
思ったのだろうか。しかし、
葬式の席で梓本人が
譲への想いを口にしているのだから
譲家では、許婚の梓が譲をモノにしにやってきた、
という認識のはずである。

だから譲が、梓との婚約について
当事者意識を持っていないのは
どう考えても譲の父親の説明不足のせいなのだ。
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梓が東京に来てからは、
夕食の場にも出演させてもらえないようなのは
バツが悪いからなのか。

「笑う標的」は恋愛愛憎劇に見えて
実はお家騒動的な話でもある。
ここら辺が、
作品に深みを感じる要因なのかもしれない。

「笑う標的」、まだ続きます。





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浮遊感が何ともあだち充的なインサートカット。

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チョロすぎる里美さん。

笑う標的 その1

「うる星」の話が続いたので、
そろそろ他の作品の話をしなくては。

少し前の記事貝の妖精を取り上げた時に
志賀梓を思い出したので
今回は「笑う標的」を。
(ちなみに貝の妖精の出てくる
「ビン詰めの誘惑!!」がサンデー1982年30号頃、
「笑う標的」は増刊サンデー1983年2月号となる)

さて「笑う標的」だが、まずは表紙から。

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この頃は弓道警察の方たちの発言の場である
インターネッツがなかったので
譲くんものびのび部活に勤しんでいるようである。
それはともかく
現代のように多様性のないこの時代、
男子の武道といえば柔道か剣道で
習い事で空手をやってる奴がいた、
ぐらいの感覚だったから、
弓道部」というのは少し特別な、
上流階級の世界のような気がしたものだった。
受け取り方としては「フェンシング部」から受け取る
イメージだろうか。

高橋留美子氏はその作品中でも
いろいろな部活動を登場させているが、
「笑う標的」での「弓道部」というのは、
単に弓を(ストーリー内で)
武器として使うため以上に、
譲くんの、分家で従属する立場だけど
育ちは良い、品はある、という設定が感じられて
たいへん優れていると思う。

物語は旧家の陰鬱な座敷から始まる。

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本家の当主の堅苦しさが、
板張りの木目テクスチャーの、
几帳面な描写によく表れていて
それは読者にとっても重苦しく、
ゆえに同席させられている幼い梓と譲には
もっと重たく感じられるはずなのだが
二人が文句も言わずに座っていることで
「しきたり」が絶対的であることがわかる。

で、ページをめくると
いきなりその当主が死んで、
幼かった梓が成長して
「うっ!うっ!うっ!」と泣いている。
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これ、すごない?(かまいたち山内風に)
藤本タツキか!!
「時は過ぎ…」とか一切無し。すごい。
「炎トリッパー」でも
いきなりの時間経過があったけど、
あの時は巻頭カラーから
プレゼント頁か何か挟んで、
つまりCMを挟んだわけで、
「笑う標的」では翌ページでこれだから
こうかはばつぐんだ!


この序盤で確認しておきたいのは
なぜ梓と譲は許婚になったのかということだ。

まず志賀本家は、梓母と梓の二人家族である。
本家筋の志賀姓を残すには
婿を取らなくてはならない。
旧姓である志賀を受け継ぎ、
志賀の意を汲んで
将来をコントロールすることが求められる。
その点で分家の譲であれば
梓母の思惑に沿って進めさせることができるだろう。
そういうことで「安心」なのだと思う。

お家のさらなる繁栄のためには
政略結婚など、
力を持つ相手を選んだほうが良いのだが
志賀家の場合はそうではなく、
自分より劣る分家の者を選んででも、
守るべきものがあった。
それは何か。

「志賀」という血筋と名なのか。

うーんしかし、志賀同士で結婚したら
婿に入ったんだか嫁に行ったんだか
よくわかんなくないですか?

だから、ほかに何か守りたいものがあって
影響力を及ぼしていたいのではないか、
と思われるのだが、ファンタジーによくある話なら
それは「娘の秘密」かなと。
「呪われた血」というやつだ。

しかしこの「娘の秘密」は
婚約が為された後に発生したのであるから
梓母が守りたかったのはこの「秘密」ではない。

単に、封建的な、ムラ的な、
そういうことなのだろうか。
こはちょっとよくわからない。


次のページの成長した譲の登場シーンでは
また前触れもなく場面が変わっているが、
このあたりはとても映画的な感覚だと思う。
角川映画全盛期な頃だし(1983年は、「探偵物語
時をかける少女」「里見八犬伝」あたり)。


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茶店でデートすることを
それとなく打診する里美だが、
この何気ない風を装って通常の会話に混ぜる感覚、
ここが、恋愛を意識していないふりで
めちゃくちゃ意識しているのがわかって、
次の「☆ばんっ☆」の掴みとなっている。
里美の、作った表情である三白眼もとてもいい。

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譲にぶつけられた学生カバンが痛がっているのは
高橋留美子作品では珍しい描写だと思うのだが
他にもあっただろうか?
まぁ、モブのいたずら書きのようなもので
そういう余裕があった頃の作品、とも
言えるのかもしれないが。

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里美の予想に「まさか」と答える譲、
そのまさかが的中してしまうわけだが
この、人とは奇なり、という作風は
ギャグにせよドラマにせよ、
高橋留美子氏はお好きなようである。
展開の「転」になるので作品の濃度も上がるし
読んでいて充足させてもらえるようにも思う。


まだ序盤しか進んでいないのに
結構な文章量になってしまった。
当分続きます。