ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









「うる星」を乗せる音楽ジャンル

今やってるNHKの朝ドラは
「カムカムエヴリバディ」といって
上白石萌音が主演である。

その番組タイトルの語源は
昔のNHKラジオ番組「英語会話」の主題歌、
「Come, Come, Everybody」かららしい
(「証城寺の狸囃子」のカバー/替え歌)。

「カムカムエヴリバディ」といえば
「かむかむエブリボデェ」(25-9)だ
(なんのこっちゃ)。

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そんなわけで
「かむかむエブリボデェ」のレビューでも
したろうかいな、と思って読み返したのだが、


……閑話休題


アニメ「うる星やつら」の音楽といえば
安西史孝氏の功績が大きいが、
「ラムのラブソング」をはじめ
小林泉美氏の印象もたいへん強い。

そもそもがキティ・フィルム制作アニメであり
ゆえにキティ・レコードに利益が入る形での
ビジネスを目指したのだろう、
ただの“音楽担当”に留まらず、
むしろ小林泉美氏の作品世界を
アニメに取り入れたような感じさえ受ける。
この辺は多賀英典氏の采配だろうか。

小林泉美氏といえば
ラテンというか、サンバというか、
まぁよく知らないけれどとにかく
“夏”であり、“南国”であり、“トロピカル”である。

なおかつ、その時代は日本でも
“トロピカル”が流行っていたというのもある。

たぶんそういった事情から、
アニメ「うる星」はトロピカル風でいこう、
という思惑が働いたのだろうと思う。

まぁいちばん大きいのは
ラムがビキニだったということなのだろうけど。

ビキニの女の子だから
トロピカルブームに乗せちゃえ! 的な。

だがしかし僕自身は
原作「うる星」を、トロピカルなノリだとは
ほとんど思ったことがない。

そりゃあたるだって流行に乗って
サーファーファッションしてたりしたけれども、
彼らの住んでいた“友引町”の生活に、
トロピカルミュージックが似合うとは思えないのだ。

スラップスティック”という言葉は
「うる星」にとてもよく合っていると思うのだけど
(そしてあたる役の古川登志夫氏のやっていた
バンド名でもある)、
その喜劇が必要とするどこか洒落た感じ、
また喜劇の笑いを生み出すのは
かえって正常な人間であるという感じ、
そういうのって
“南国のテキトーな感じ”ではなくて
もうちょっと都会的な感じだと思うのだ。

例えば、「うる星」における
あたるのファッションだが、
初期こそ子供らしさを出そうとしたのか
Tシャツ姿が多かったりしたけれど、
人気作となってからは
サスペンダーやネクタイのイメージが強い。
カンカン帽なども印象に残っている。

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日本の流行ファッションでもあったので
それがイコール作品性だというわけでもないし
穿ってチャップリンを模しているなどと
いうつもりもないのだが、
都会的であるというのは確かなところだと思う。

カンカン帽が印象的だから、
というわけではないけれど
「うる星」のドタバタ喜劇を音楽に乗せるなら
「銀座カンカン娘」や「東京ブギウギ」が
とても合うと思うのだがいかがだろうか。


そうそう、
「かむかむエブリボデェ」のレビューだが
それはまたいつか。

今や国民食!! ラーメンと「うる星」

先日こんなものを買いまして。

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“天下一品ラーメン”といえば
京都に端を発するわけですが、
当時の留美ックファンジン界の
関西のほうでの中心地も京都だったように思います。

重鎮と言われる方たちの中には
ずば抜けて賢い方たちも多く、
また行動力・活力という部分で
大学生や、大学OBという立ち位置から
皆さん活動なさっていたのではないかと思いますが
そういうことから自然と“京都”に
同人の志たちが集まったのではないかと思われます。

なので関西留美ックファンジン界においても
“天下一品ラーメン”は広く認知されていて、
いつだったかの“KEMOCON”では
“天下一品スープカクテル”が
提供されていたりもしました。

そういえばいつだったか時が流れて
ふと“KEMOCON”を検索してみたら
“ケモノ・コンベンション”ということになってて
驚いたことがあります。


さて今では文化の一つとして
愛好家も多い“ラーメン”ですが、
「うる星」にはそんなに頻繁には出てきません。
「らんま」では珊璞のからみで“猫飯店”が
たびたび登場したように思いますが…。

というわけで今回は「うる星」での
ラーメンの話など。


寺内貫太郎一家」に限らず、
NHKの朝ドラなどでも頻繁に
“食卓での会話シーン”が登場するが
これは食事の場が、
ざっくばらんに本音を喋れる場として
有効であることの現れだろう。

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(画像は「ボーイ・ミーツ・ガール ACT.8」)

もっとも「うる星」においては
ページ数の制約もあってか、
食卓での台詞長回しというのはあまりない。
どちらかというとそういうのは
押井アニメのほうにお鉢が回った感じだ。

「押井うる星」の場合、外食というと
牛丼が印象深い。
これは深夜に営業している安価な飲食店が
当時は牛丼屋ぐらいしかなく、
アニメ産業従事者には
馴染みが深かったからだと思うが、
それにも増して“ラーメン”というものの存在が
今よりももっともっと
“日々の食事”に近かったから、ではないだろうか。

家族で町のラーメン屋に行くこともあったし
出前をやっているラーメン屋だって
「うる星」当時はまだ見受けられた
Uber eatsなどのデリバリーではなく)。

なんというか、ラーメンだと
生活感とか所帯臭さが出てしまうのを危惧した、
のかもしれない。

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これは1-4「あなたにあげる」から。
世間から身を隠すあたるが
腹を満たそうとするシーンだが、
このちょっとうらぶれた感じが
萩原健一松田優作中村雅俊
活躍していた頃のテレビドラマの雰囲気だ。

ラーメンの味を楽しんでいるわけではない、
ように思う。

では牛丼は味わっていたのかというと
牛丼の場合は
牛丼の味気なさを味わっていたというか
“俺たちにとってのご馳走”的な
シュールさを楽しんでいたというか。

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「憎みきれないろくでなし」(1-7)では
その牛丼をレイが食っているのだが

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サトシ(だっけ?)が言うように
ウシが牛を食っていて、
狂牛病BSE)まっしぐらである。

ところで変身後のレイは
“牛”扱いされているけど、“牛”モチーフなのか?
虎縞なのは置いておくとして
牙とか指とか、その姿はどちらかというと
獅子に近いのではないだろうか。

日本には昔から牛がいたから
牛の姿は見まごうはずがない。
化けたレイの姿を“牛”と言っているのは
ただの揶揄のはずなんである。

なんでそんなことにこだわるかというと、
「そういえば『ラムちゃん、ウシになる』(21-9)
では変身後のレイに触れてたっけかな」と、
思ったからだ。

結論から言うと原作ではレイに言及していなかった。
ただラムの悪夢の中で
変身レイに激似した姿が描かれているので、

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レイに思い至りはしたが、
それを言ったらエピソードが成り立たないので
スルーした、というところだろうか。
上記のコマは、
わかっていますよというサインなのかもしれない。


ラーメンは伸びることもあって
ゆっくり食べるのには向かないから
会話劇の舞台としては使われにくいのだろうが、
うってつけなのが“お好み焼き”だ。

留美ックでのお好み焼き屋は“じぱんぐ”と
相場が決まっていて、
「買い食い大戦争」(11-4)では
由羅らしき女の子も登場している。

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「平安編」(8-6,7,8)のお好み焼き屋も
もちろん“じぱんぐ”であるが、
由羅が登場しないのは、
後ろの方で店員が人質になるシーンがあり、
怪力の由羅がいたのでは都合が悪いからだろうか。


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「夜を二人で!!」(18-4)では
ラムの料理を避けたいあたるが
食い溜めをしようとするが、
それがミートソースとサンドイッチというのは
ずいぶん趣向が変わっていることに思える。

普段のお好み焼きやラーメン、牛丼でないことに
少し違和感があるのだが、
これはつまり、“友引商店街ではない”と
いうことをあらわしているのではないだろうか。

ラムに買い食いを知られないように、
目の届かない、普段は来ない店に来たということだ。
当時は気付かなかったけど、
このメニューにその意図を込めているとしたら
実に味わい深いことである。

ラムの辛い料理から逃げてきたのに
タバスコを(写実的な意味で)描くか省くかは
難しいところかもしれないが。


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友引商店街でのラーメン屋は
“猫食堂”ということになっていて、
「ミス友引コンテスト」(18-7~11)では
昔ながらの中華そばを提供しているが

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うどんもやってるし

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たこ焼きもやっているので
まさに“食堂”である。
“猫飯店”との関係は知らん。


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友引町には猫食堂の他にもラーメン屋があるようで、
惑星中学のスケ番グループが
あたるに奢ってもらったりしているが、
よく考えたらあたるのそれって
結構な大人仕種だな…。


まぁでも留美ックで一番印象深いラーメンは

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やっぱりこれかな。〈おしまい〉

「めぞん」は青春の幻影か!?

所用で自宅周辺をGoogleマップで見ていたら
“マ・メゾン”という物件がいくつかあることに
気が付いた。

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言うまでもなく、連想するのはこいつである。
漫画のほうではひらがなだったけれど。

当時、僕は関西に住んでいて
「マ・メゾン」なんていう
洒落た名前の物件にお目にかかる機会はなく、
それでも未練たらたら、
電話帳で「マ・メゾン」や「一刻館」を
探してみる、というようなこともやっていた。

今から思えば、
例え「一刻館」というアパートがあったところで
東久留米や中野でないのならば
“たまたま同じ名称”のアパートに過ぎず、
何の価値もないのであるが
少しでも作品世界に近づきたかった青年の
切ない行為とご笑納いただければ幸いである。


さて、今回は「めぞん一刻」というタイトルと
「一刻館」というアパート名についてだ。

重鎮のファンの方や
数々の大御所サークルによって
幾度となく語られてきたとは思うが
geocitiesもなくなったことだし
しゃあしゃあと書いてしまう。


“一刻”という言葉は
ほんのひととき、という意味で使われる。
“一刻を争う”、“一刻も早く”もそうだし
web辞書を引けば
“わずかな時間。瞬時。”と出てくる。

五代は響子とずいぶん長い間ドタバタして、
最後にはゴールインした。
惣一郎の時とは違って
二人の間には春香がいるので
五代と響子が離れ離れになることは
おそらくもうないだろう。

全然「ほんのひととき」ではないんである。

これは予定通りなのか?

浪人時代の五代は未完成であり、
まだまだ未来を抱えているが
一刻館にやってきた響子は未亡人であり、
未来は閉ざされてしまっている
(閉じた扉を五代が再度開けるにせよ)。

その対比でいうと、
五代は響子で留まってはいけないはず、
だったのではないだろうか。

まぁ言うたら“メーテル”ですわ。
青春時代のブースターとでもいいましょうか。

青春のひととき、という物語の予定であれば
主要な登場人物の何人かに
「駅名」(停車駅)が付けられているのも
理解できるような気がする。

「めぞん」の最初の台詞が
五代の「出てゆく 出てゆく!!」だったように
一刻館は「いつか出ていかなくてはならないところ」
のはずだったのではないか。


「めぞん」が路線変更した、というのは
wikiにも書いてあることではあるし。

もしかしたら
平井和正対談本か高橋留美子本にも
その辺り書いてあったりするかもなぁ。

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調べるの面倒だから調べないけど。

ハロウィンに乗じて「うる星」での仮装の話など…。

先日10月31日はハロウィンであった。
新型コロナウイルスが影を潜め、
積もり積もったうっぷんを晴らすため
渋谷の街もたいそう密な賑わいだったらしい。

屈託のない今の若い子はともかく、
さんざんアニオタを馬鹿にしていたような界隈が
自らコスプレに身を投じているのは
ずいぶん都合のいいことだと思うが
おそらくコスプレそのものが主眼ではなく
それは祭りに参加するための
身支度のようなものであり、
ゆえに“ロールプレイ”などという意識は
あまり関係ないのだろう。

さて「うる星」では登場人物たちが
いろいろなキャラクターに扮することが多かった。
ドタバタイベントには
それらしい扮装で参加していたし、
演劇なども多かった。
変身してしまう、などというのもあった。

明確に“仮装”をしたエピソードもいくつかある。

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「パニックin幽霊民宿」(10-4)では
お化けの類に扮しているが
ラムの一言がいかにも楽しんでいるようで印象深い。

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この後、「アマテラス宴会」(11-3)では
学校のイベントとして「仮装大会」をやっているが
あたる達はテーマに沿った集団仮装をしており、
コスプレというより演劇の趣きが強い。

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このエピソードでは
モブで他作品のキャラも登場しているが
そういった遊びが“パロディ文化”として
広く支持されていた時代でもあった。

時を経て27巻でも
友引高校は“仮装コンクール”をやっている
(「キツネの嫁取り」27-1)。

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ここでは版権ものもがっつり扱っていて
潔いというかなんというか。


だがまさか35年後のニッポンで
マンガよりも賑やかな仮装大会が
行われるようになろうとは
登場人物たちも予想しなかっただろう。

人々の意識もずいぶん変わったものである。

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とも言っとれんね。

ただいま臥せっておりまして…「めぞん」の病床シーン

少し前に、
新型コロナのワクチン2回目を接種したのだが
副反応で翌日は少し寝込んでしまった。
病気でもないのに寝込んでしまうのは
なんだか1日を無駄にしているようで
割り切れない気持ちが強かったが、
具合いが悪いという症状が実際に出ているので
副反応も、病気といっていいのかもしれない。

「めぞん」には、やたらと
床に臥せっている描写が出てくるが
印象が強いのはなんといっても

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このエピソードだろう(5-1)。
医者が往診に来ているのは時代を感じるが、

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五代がオモチャにされているのも羨ましかったし、

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三鷹のお粥ネタもたいへん面白かった。
というか三鷹の株はこれで爆上がりだった。

この回が特別印象に残るのは
他の回に比べると、療養そのものが
ネタとして回されていているからかもしれない。

もっとも“性”少年向けスピリッツ謹製の
「めぞん」であるから、やはりこっちだ(2-9)、

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という向きもあるだろう。
確認しておくが、この回の響子の病状は
“ネンザ”である。

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捻挫で二日も臥せるって、すごい時代だなー、
と思うけれど、一刻館はみんなやたら
床(ゆか)で生活してるもんな。
椅子とテーブルの生活だったら
もうちょっと何とかなりそうだけど。

しっかりと治療・療養しているのは
「宴会謝絶」(7-5)からの流れだ。

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ここではいとこの晶が登場しているが、
足折ったぐらいで親しくもない親族呼ぶかね普通。
もっとも昭和59年という、40年近く前の話だし、
病院のホスピタリティも
良好ではなかったのだろうとは思うが。

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三鷹のこれ(10-11)は
心的外傷後ストレス障害PTSD)というやつか。
そんならいろいろとしょうがないね。

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対して明日菜のこれは恋わずらい。
三鷹の家で三鷹と響子の抱擁を目撃してから
金沢旅行と八神編という長いスパンで
放置されていたのでさもありなん。

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最後に響子の父だが
風邪ひいたぐらいで娘が見舞いに来てくれるとは
果報者だな。

ここでのこの風邪は、
オチにおける五代と響子のやり取りを
黙って受け入れさせるための仕掛けなんだけど、

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コメディでもある「めぞん」においては
風邪=各ギャグの熱量を上げる演出でもあり、
弱った身体の父につけこんで、という
いやらしさを出すことなく
こと(父親の了承を得る)を終えられたのは
たいへんに良かったと思う。

「めぞん」では
五代のだらしなさ、貧乏さを描写するために
“布団”もやたらと出てくるのだが
これは畳に布団を“延べる”生活様式
まだ生きていたからだろう。

男おいどん」に限らず
万年床でうだうだやる漫画は多かったが、
ベッドで日がな過ごすような漫画って
日常系においてもあまりないような気がするな。
まぁそもそもそういう自堕落な感じというのが
受け入れられないのかもしれないけど。

「マイ・フェア…」のジェンダー問題!?

今週初めに一部でホットだったこの話題。

togetter.com


マイ・フェア・レディ」はそもそも、
ティファニーで朝食を」と比べると
我々世代でも、ぐんと人気がなかったように思う。

マイ・フェア・レディ」は
ヘップバーン人気よりも
どちらかというとその“ストーリー”を
持ち出されることが多かったように思うし、
だからこそイライザよりもヒギンズ教授のほうが
引き合いに出されることが多かったのではないか。

togetterでは「じゃじゃ馬ならし」、
マイ・フェア・レディ」「プリティ・ウーマン」、
そして「源氏物語」と語られているが、
我々であればやはりここに「レディー竜之介!」を
入れないわけにはいきますまい。

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いやー、ちょっとアレだな、うん、アレだ。

原作からしジェンダーフリーの問題を
正面から高らかに歌い上げている竜之介なのに
彼女に「マイ・フェア・レディ」をやらせてしまう、
というのがもうアレですよ。

このエピソードは全編通して押井節炸裂で
こういったパロディに持っていくのは
得意技なんだろうけど。

そもそも温泉マークというのがきっついよな。
逆にエロいわ(ゴブリン的な意味で)。

冗談はさておき、竜之介がドレスを着て
しゃなりしゃなり歩いた時点で
彼女はいろいろと“達成”してしまうわけで、
だからそういうのは“禁断のネタ”のはずなんだけど
どうなんですかねぇ。

竜之介本人のアイデンティティーに関係なく
玩具にされているともいえ、
まぁ確かに“消費されている”わけで。

あまり肩を持てないエピソードだったかな。

留美ック噂話~噂といっても僕一人ですけど

高橋留美子氏が
米国の漫画賞を受賞したというニュース。

www.nikkansports.com


ハーベイ・カーツマン氏のことは
浅学で存じ上げないのだが
コミック業界で最も権威のある賞、と
されているので、そうなのだろう。

アニメではなく、コミック・漫画の賞だから
ペーパーバックのアメコミを有するアメリカが
他国よりも権威を持っている、
というのも納得できなくはない。

なぜアメリカで留美ック?という気持ちは強いが。

アメリカは言うに及ばずマッチョイズムの国で、
ビフみたいな奴がチアガールを侍らせながら
僕たちのようなオタクボーイを
どついて回っている、というイメージなのだけど。

記事に挙げられている作品は
「うる星」「めぞん」「らんま」だが
それらがアメリカで支持されている、という話も
あまり聞いたことがない。

アニメ文化ならフランスのほうが
盛んといっていいだろう。
また、Youtubeに違法アップされている動画は
スペインとかが多いようだ。


なぜアメリカで留美ックが…?


上のニュースは“Yahooニュース”でも流れたので
かなりの人が目にしたのではないかと思うが
実は同じタイミングで
チェンソーマン」が
ハーベイ賞の「ベスト漫画部門」を受賞したらしい。

これは納得だ。
ヒーロー漫画の「チェンソーマン」なら
アメコミに混じっていても違和感がない。

こちらは“Yahooニュース”には
載らなかったようだが。
その辺りはやはり、
高橋留美子氏の、受勲者としての強みかも。


時を同じくして

magmix.jp


という記事も、“Yahooニュース”に取り上げられた。

2021年10月14日でアニメ「うる星」が
40周年という節目なのだそうだが、
記事の内容としては、
アニメ「うる星」が、その内容に
クレームが多かったことを挙げておいて
その後「うる星」の紹介・讃辞に続くという、
耳目を引いてのヨイショ記事となっている。


二つの記事がほぼ同時にリリースされるというのは
タイミング的に“留美ック”で
何かの動きがあるかのような感じだが、
そもそもポリコレ的に
「うる星」のリメイクはまず考えられない。

あるとすれば、ほぼオリジナルとして
ゆるふわSFアニメにするぐらいだろうが
それは「うる星」なのか?という話でもある。

もっともどんな形であれ、
いまの原作者は全部OKを出しそうではあるが。


そりゃそうと
アニメ「ブルーピリオド」見てたら
美術の先生が出てきたところで
身体が反応しましたよ。
事前情報は仕入れてなかったんだけど。
平野文さんでした。

「かげきしょうじょ!!」の時よりも
ラム寄りの華やかな演技だったように思います。
これからも楽しみにしています。