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今年は「うる星やつら」の
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世界の状況は芳しくはないですが
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これからも、
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るーみっく おーるど 記事インデックス(出典順)~2022.04.30
三宅しのぶの憂鬱
先週に引き続き、三宅しのぶの話である。
連載当時というか、
アニメ「うる星」放映当時というか、
“三宅しのぶ派”のファンは確かに存在した。
そういう人が今も変わらず
しのぶのことを好きかどうかはわからないが、
しのぶを好きな人が存在するのに
しのぶを批判するのは悪手である。
ただ、しのぶに与えられた脚本が
あまり良くなかったのも事実だ。
これは別に、しのぶが悪いわけではないのだが。
先週少し言及した、
“しのぶが面堂に最後に好意を示したシーン”は
おそらくこの「魔境!戦慄の密林」(20-11)
である。もちろん竜之介や、
子ギツネの登場以後だ。
しのぶは一時、
竜之介に好かれて困る役どころを
続けてやっていたが、
話を広げられる竜之介を
そこに固定しておくわけにもいかず、
玉の輿を狙うという体で
しのぶを面堂へ向かわせた……
というところだろうか。
ちなみにその前となると
この「みじめっ子・終太郎!!」(17-10)
となるが、やはり結婚がキーとなっており、
恋愛感情は感じられない。
しのぶは良識派として
サクラとつるむことも多かったが、
彼女が普通の女子高生として
モチベーションを発揮できる“恋愛”は、
あたるがラムとほぼ固定になったことと、
面堂が二枚目役を返上して道化役となり
恋愛対象から降りたこととで、
しのぶの活躍できる“場”ではなくなった。
恋に恋する……という要素は残したものの、
さして焦る必要もなく
何かに頑張ることのない、
とても消極的なキャラになってしまったのだ。
それでも
事件に巻き込まれているうちはよかったが、
そのうちボールのトス役しかしなくなっていった。
ストーリー上で誰かがスパイクを打つ、
その主導権争いには加わらない。
しのぶが加わっても、
彼女ではボールの行き先を変えられないからだ。
(あっ、ちなみにセッターの重要さは
わかっているつもりです。
「ヨリが跳ぶ」全巻持ってますので!)
しのぶには弱点がない。
総番にしたところで、
しのぶは辟易しているだけであり、
結局は「どっせい!」に帰結する。
一見、“心優しい女子”のように振舞っているが
それが博愛的ではないことは明白だ。
彼女は、ぬいぐるみ的な可愛らしさを
好んでいるに過ぎない。
さらに、彼女は力を持ち過ぎた。
常識人の役もできなくなってしまった。
彼女ができるのは、“口先だけで綺麗ごとをいう、
しかし実はきれいごとをいう必要もない強者”
の役だけであり、
だから彼女はストーリーの核心には加われず、
少々のスパイスとして
ストーリーをかすめることしか
できなくなってしまったのだ。
考えてみれば、
「ボーイ ミーツ ガール」は
あたるの元カノとして
しのぶががっつり活躍できるチャンスだった。
あたるをよく知る者として、
あたるを説得する資格のある、
ただ一人のキャラだった
(あたるが応じるかどうかは別として)。
しかし結局しのぶは自発的には動かなかった。
ここでちょっと「扉」シリーズを見てみよう。
この、相手に流されるように“ほだされていく”
この感じ、どこかで見たような既視感がある。
「めぞん」のヒロイン、音無響子である。
もしかして、しのぶは
作者なりに、
精一杯魅力的に描かれたのではあるまいか。
作者の考える“女性の魅力”は
このしのぶや音無響子に
存分に映し出されているのではないだろうか。
その良し悪しについて断ずるのは
ここでは止しておくことにしよう。
このところの作者のインタビューからは
しのぶについて思いを遂げたような感じを受けるが
それは別に因幡とカップリングできた、と
いうことではなく
しのぶを、作者の思うしのぶというキャラに
定着できたということなのではないだろうか。
高橋留美子氏の場合、
キャラに好きに動いてもらう制作手法らしいが、
だとすると、作者の考えるしのぶに
作者自身がやっと出会えた、ということでも
あるのだろう。
しのぶとは「うる星」第1話からの付き合いだし
思い入れというか、腐れ縁というか、
俗人にはわからない、作者とキャラの
親子のような関係もあるのかもしれない。
そのことで、しのぶ自身も幸せだったのなら
それは何よりなことだと思う。
しのぶは“変わらない学園祭前日”を望んでいたが
(「あたしが間違ってたわ……」は本心ではない)、
結果的にそれは叶ったのである。
しのぶは幸せだったのかもしれないな。
〈おしまい〉
「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は」三宅しのぶのポジションについて
先々週、ちょっと“しのぶ”に触れたのだけど
その後、高橋留美子氏のTwitterにて
「【キャラクター小話】三宅しのぶ」が
アップされた。
朝日新聞社の「好書好日」でのインタビューでも
“しのぶ”は重要なキャラとして挙げられており、
えっしのぶってそんな感じでしたっけ?と
思わんでもないのだが、
現時点での解としてはそういうことなのだろう。
新アニメの4/7特報以来、
しのぶのことがずっと気にかかっている。
気になるといっても改めて萌えているわけではない。
自分の中で、しのぶの解析が
まだ全然できていなかったことに気が付いたのだ。
先々週も書いたが、
令和の世において、しのぶはあまりにも地味である。
だいたいヒロインというものは
読者の疑似恋愛の対象たるものであるはずなのだが
新アニメの“しのぶ”の立ち絵を見ると、
どこからどう見てもただのモブキャラなのだ。
昭和「うる星」(原作でもアニメでも)においては、
ラムと比較されるための必然として
“普通の女の子(ガールフレンド・クラスメイト)”
でなければならなかったのだが、
“普通の女の子”であることが
セールスポイントになる時代は
昭和と共に去ってしまった。
無論、平成・令和の時代の漫画・アニメにも
“ただの普通の女の子”なヒロインはいるけれど
そういうキャラは総じて
“主人公の男の子(=読者)のことを好き”なのだ。
あたるに愛想を尽かしているしのぶが
いくら面堂や因幡に秋波を送ろうが、
それはヒロインとしての魅力とはならない。
ましてやしのぶは後半、怪力を特長としており
言ってみればX-MEN入りしているのだ。
ヒーローチームの一員では、
到底ラブコメのヒロインにはなり得ない。
同じ怪力でも、弁天とはえらい違いである。
弁天はある意味、カッコいい女の子キャラであり
ハーレムを形成する一員となり得る。
竜之介なども、倒錯したジェンダーにより
特殊な恋愛の対象となり得る。
しかししのぶはもはや
あたるや面堂の“同僚”なのだ。
しかもお色気要素は、ほぼない。
事件の際には、
あたるとともに必ず同行しているラムが
紅一点の役どころを担当しており、
だからしのぶは“ジェンダーレス”な存在なのだ。
大丈夫なのか、しのぶ。
ほんとに新アニメでやっていけるのか?
面堂に一目惚れするのはいいけど、
令和の世の中で
オールバックの高校生ってかなり変だぞ?
少なくとも“イケメン”の括りではないぞ?
その後には因幡に鞍替えするしなぁ。
あれっ? しのぶが最後に面堂に好意を示したのは
いつだったっけ?
来週ぐらい調べてみよう。
そういえば昭和うる星#14
「面堂はトラブルとともに」で
面堂に見惚れているしのぶにあたるが
「しのぶ、しのぶ!
こりゃしのぶ、なんとしたことだ しのぶ!!」
というシーンがあるけれど、
これ今聞くとメチャクチャしつこいな。
当時は見ていてすごく喜んだもんだけど
(その後仕返しにスカートをめくるテンポも
激烈に良かった)。
新しい令和「うる星」は
昭和の世界の持越しという話もあるけれど、
ホントに大丈夫なのかね。
ま、上記セリフはアニメ版なので
新作が原作準拠なら
こんな押井節の利いた台詞は
出てこないと思うけれども。〈おしまい〉
「リバース!」するか!? 大学が人魚のミイラを研究中!
高橋留美子氏の作品群にある「人魚シリーズ」は
氏のギャグ路線とはまた違った、
シリアスなオカルト路線として
たいへん評価の高い作品である。
「うる星」「めぞん」人気の
高まる中でリリースされたので注目もされたし、
ファンの間では、必ず押さえておくべき
教養課程のような扱いであった。
世の中の人魚伝説についても
知識欲を促すような作品であったから、
「八百比丘尼伝説」の知識を
さらっと披露できるようになったファンも
大勢いることだろう。
さてそんな留美ックファンなら
捨てておけないようなニュースが先週あった。
Yahoo! ニュースにも掲載されたので
ご覧になった方もたくさんいるだろう。
倉敷芸術科学大が、岡山の円珠院が保存している
「人魚のミイラ」を科学的に分析している、
というニュースだ。
日本には「人魚のミイラ」が数多く存在する。
それらは基本的に、江戸時代などにおいて
見世物小屋などの興行に使用された、
人工的な偽物である。
猿の死骸と魚の死骸を合体させたもののようで、
江戸時代にはそのための職人も存在したらしい。
そういう例が通説として在りながらなお、
この令和の時代にわざわざ
人魚のミイラを分析しようというのは
一体どういうことなのか。
円珠院のものはホンモノだとでもいうのか。
2022年の4月4日には
倉敷芸術科学大学から中間報告も公式に発表された。
「円珠院所蔵「人魚のミイラ」研究中間報告」(PDF)
“ac.jp”なんである。マジか。
まぁ、本当にヤバいものなら
もっと上位の研究機関がほっとくはずがないのだ。
倉敷芸術科学大学自体、
結構ロマン系の学校のようで、
だからこの研究も、エンタテインメントとして
楽しむべきなのであろう。
ちなみに加計学園グループなんですって。
だからどうという話ではないけれど。
今年の9月には研究結果の発表があるようなので
楽しみに待つとしよう。
令和版「うる星やつら」4/7 特報に寄せて
4月7日にアニメ「令和うる星」の
新情報が出ると聞いていたが、
それは果たして“しのぶ”と“面堂”の
CV/声優の発表だった。
僕は昨今の声優にはあまり詳しくないのだが、
発表と同時に公開された
しのぶと面堂のビジュアルには
大いに興味をそそられた。
しのぶと面堂のイラストはおそらく、
キャラデザの浅野直之氏が
描いているのだろうと思うが
なんというか、
アニメーターの人が描いた絵というよりは
漫画家の人の絵のように感じたのだ。
回転しない絵というか。
……しかも、ちょっと古い感じの!?
元旦に公開された“あたる”と“ラム”の絵には
あまりそういう風には思わなかったのだが……。
いやなんというか、
僕はいろいろと勘違いしていたのかもしれない。
浅野直之氏は今のアニメ界で
バリバリに活躍なさっている方で、
ではこれが、この絵が、
令和のこの世の中で商品となる絵なのだ。
そういうことなんだねぇ……。
しのぶの絵に見るような、
口をやや鼻に近く、小さく描くこの感じは、
80年代後半のラブコメ漫画や同人アートに
多く見られたような気がする。
顎のボリュームが大きくなる感じであり、
昨今の、顎の小さい(鼻の下が広い)
キャラデザの流行りとは結構違うように思うが、
令和「うる星」はこれでいくということなのか。
この浅野氏(たぶん)の絵は、
正直言って、高橋留美子氏の
(往年の)画風には似ていない。
しかし、「椎名高志氏っぽいな」とは
思ったのだ(表情の伝わり方のせいかも)。
そういう画風を
令和「うる星」に適用したということは、
「半妖の夜叉姫」のコミカライズに
椎名高志氏を抜擢(?)したのも
時代に即しているということになる。
「半妖…」を若い人にも売るなら
もっと若い漫画家の方がいいのではないかと
思っていたのだが、それは違ったようだ。
小学館のプロデューサーのほうが、
時代を、ビジネスを、わかっていたのだ。
まぁそりゃプロだしなぁ。流石だと思う。
もしかしたら、
もう若い子に売ることは諦めて
おっさん達にターゲットを絞ることに
したのかもしれないけれど。
“しのぶ”、地味だしなぁ。
令和のアニメでヒロインの片割れをやるにしては、
果てしなく地味だ。
若い子には斬って捨てられそうなくらい地味なので、
もうほんとに覚悟を決めたのかもしれない。
解禁ティザーPV_version2を見るとしのぶは、
あたるから面堂に乗り換える様子を喋っていて、
陽キャではなく非道キャラでもない女の子キャラが
恋の対象を簡単に切り替えるのって
今の世の中で受け入れられるのか? というところも
ちょっと気になる。
面堂もたぶん1クール目早々に出てくると思うけど、
そうするとしのぶが“耐え忍ぶ”期間も
相当短そうなんだよな。
それでコロッと面堂にいっちゃうのはなぁ。
んでまた、面堂は現代においては
いかにも女子が一目惚れしそうな
“わかりやすい美形”じゃないしね。
どっちかというと“キワモノ枠”かなぁ。
しのぶが、
あたるという普通の男子から、
キワモノだが金持ちの面堂に乗り換えるような
いけ好かない女子、になってしまわないか
心配だなぁ。
まぁ問題は、
ストーリーを知ってしまっている僕たちは、
新しい目で、そうかそうでないかを
感じることができないということなのだ。
そうそうアニメ昭和「うる星」の面堂初登場は
「面堂はトラブルとともに」ですが、
ファンの間では「面トラ」と略され、
山下原画回として広く共通認識されていました。
令和「うる星」では、ぜひこの「面トラ」を上回る
「トラブルは舞い降りた!!」(原作3-5)を
見せてほしいものです。〈おしまい〉
ほんのり桜色… うる星「花見デスマッチ!!」レビュー
桜が見頃を迎えたこの週末の東京は
気温が少し低いようだが、
新型コロナ対策の
“まん延防止等重点措置”が解除されたので
花見に繰り出した人も多かろう。
とはいえたぶん、飛沫感染を防止するためには
桜の木の下での宴席というわけにはいくまい。
大勢で賑やかに宴会を開く日は
再び来るのだろうか。
よく考えてみれば花見の主役は桜であるべきで、
飲食は二次的なものだから、
宴会のない花見がおかしいわけではないのだが。
「うる星やつら」でも
何度か花見のエピソードが描かれているが、
その中でもかなり脈絡のない
「花見デスマッチ!!」(17-7)を
レビューしておこう。
このエピソードは全編2色カラーだ。
そのためか、扉にはラムのレオタード姿が
奢られている。
高橋留美子氏の著作では
ちょくちょくレオタードが読者サービスとして
提供されている印象があるが、
なんなんだろうな……。
新体操という体育種目が
ポピュラーになった時代でもあるし、
それに乗じてあだち充氏がやたら
レオタードをエロいものとして描いてたから
サンデー読者としては
そういう風に教育されてしまった感があるけど、
高橋留美子氏の絵柄では、レオタードで
身体のラインが如実になっても
別にエロくないような気がするんだが。
それにラムの場合、
当たり前だが虎縞ビキニの方が露出度は高いのだ。
あえて言えばレオタードの方が
背中は広く開いていると思われるが、
作中ではそういう、背中を丸出しにしたカットは
皆無である。
ラストのカットも髪で背中はほぼ隠れてるし。
まぁしかし続く18巻では例の
“ミス友引コンテスト”において
似たような扮装をしているし、
なにかしら、描く衝動があったのだろう。
タコの足が各々1本ずつ
桜に齧られちゃったんだって。
そんなに簡単に桜が行き来できるのか?
なんでタコ1匹につききちんと足1本なんだ?
ナンセンスギャグとしても、
仕掛けのための誂え、という匂いが
ちょっと強すぎる気がするなぁ。
そもそもタコは“面堂家”の由来であって、
本来了子もその下にあるはずなんだけどねぇ。
そうそう、気になったので、
桜と蛸に何か因縁らしきものや
言い伝えがあるのか少し調べてみたけれど、
特にないようだ。
あえて言えば蛸の調理法に
「桜煮」というのがあるが、
そこから題材を得たわけでもないだろう。
桜と了子の悪行を露呈する黒子たち。
主に背く行為だが、
ギャグにおける“悪ふざけ”“悪ノリ”であり、
黒子たち、ひいては了子が
“花見”という事態を望み、誘導しているのだ。
蛸の足は、本当に生えかわるらしい。
といっても鹿の角のように
毎年生えかわるようなものではなく、
トラブルに際して欠損した脚が
再生する、ということのようだ。
“花見”の内容からすると
「代償」はおかしいよな。
詮議として、とかならわかるけど。
桜が酒に弱い(酔っぱらう)ってのもなぁ。
別にそういうリファレンスないだろ…。
一人残らず全員ってのは強引だなぁ。
実際にはラムとあたるが残ってるしなぁ。
ラムとあたるが代理戦争をやっても
いいぐらいなんだけど、
なぜかそうはならなかった。
実際、ウヤムヤもいいところで、
勝敗を付けることが目的ではなく
「特にオチはないのである」というオチだ。
そういう観点から見るとこのエピソードは、
黒眼鏡たちの従業員としての悲哀みたいなものが
ストーリーの主軸だといえる。
それが日常であり、
エンドレスだから、オチもいらないのだ。
であればもっと、そうダストの“完璧の豚”や
“HCIA”のようにやってほしかったような気がするが、
サンデーというメジャー大雑誌では
そういうふうにはいかなかったのだろうかねぇ。
そうそう、もちろん
“パーフェクト☆カラーエディション”にも
このエピソードは収録されているっピよ!
〈おしまい〉