ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









作画や演出に見るべきものが。「はっぴーバースデーマイダーリン」レビュー


旧アニメ「うる星やつら」は
作画部分で先進的な試みをやっていて、
引き合いに出される珠玉のエピソードは
いくつもある。

そういう、アニメならではの
クリエイティブの話ではなく、
旧アニメが原作の絵のイメージに近いかどうか、
という点について
最近思うところがあるので、
今回はある一つの回をレビューすることで
それに沿うことを書き綴ってみようと思う。


旧アニメ第1話をも含め、
どうしようもない作画の回(場面)は数多くある。

そもそも旧アニメは40年前のアニメなんである。
アニメ制作のテクノロジーだって今とは全然違うし、
アニメ自体が軽んじられていて
ともすれば“子供番組”扱いされていた時代なのだ。
そこで作られたものには
いわゆる“子供だまし”というやつも多い。
旧来の原作ファンの方たちがそれを見て
憤るのも無理はない。

しかし、最初期はともかく
回を重ねるにしたがって、
原作絵の印象を損なわない回も
存在したと僕は思っている。


だから、今回は旧アニメ「うる星」から
「はっぴーバースデーマイダーリン」を
レビューしてみようと思う。


まずは断り書きから入らなくてはならないだろう。

この「はっぴーバースデーマイダーリン」は
原作をベースにした、
旧アニメオリジナルエピソードだ。

元になった原作は、以前レビューした
「惑わじのバレンタイン」(12-6)である。

これが、相当改変されている。
ストーリーの改変もそうなのだが
あたるとラムのキャラクター、性格や行動が
原作とはかなり違った方向に変えられている。

そのことでこのエピソードを嫌っている人も
おそらく多いことだろう。

制作スタッフによる、
コンテンツの私物化ともいえるからだ。

それは承知の上で今回は
このエピソードをレビューしようと思う。
うる星やつら」ではないかもしれないが
一つのアニメ作品として
このエピソードは面白いと思うからだ。


ラムが欠席を続ける教室で
近寄ってきた友人を一瞥するあたる。
値踏みするように話しかけるメガネ。
任侠物やハードボイルド邦画のような演出だ。

黙って動く面堂。
その後ろ姿に無言で眉をひそめるしのぶ。
このエピソードはとにかく
説明セリフが徹底的に省かれている。

ここの台詞は「終太郎だ」だけ。
それで全てがわかるように、
僕たちは鍛えられている。

口紅の彩色がされてないと
ほんといいんだよなサクラ。

「別に悩みってほどのものじゃないんだけど、
ラムの奴がさ…」
冒頭からずっと
古川氏が「洋画吹き替えモード」なんだけど
雰囲気出し過ぎといえば出し過ぎではある。

この顔は結構あたるだと思うなぁ。

これが!この顔が!
遠藤麻未ラムというやつだよな!

拗ねるあたる。ここの無言の間も最高である。

ここであたるはラムに肩をぶつけるんだけど
これはないかな、と思う。
男尊女卑、家長制度くさいよな…。
昭和のリアルタイム視聴時にも
「これはないな」と思ったかどうかは
ちょっと自信がないけど。

布団にもぐりこんだあたるにラムが言う
「ダーリンたら、ねぇねぇゴメン」、
これもかなり洋画モードである。
ラムがこういう言い方をするのかというと
演出過剰だろうと思わんでもないが
言わなくもない気がする。
ラムに、この距離感で
言われてみたいのは間違いない。

その後には
「怒鳴んなくったってもいいっちゃ!」
というラムの台詞が入る。標準的には
「怒鳴らなくてもいいっちゃ」だが
台本上そうだったのか、
平野氏のアドリブだったのか。
どちらにしてもたいへん好ましい。

まぁ非道いシーンである。
月明りの青白い色が付くからか
ラムの取り残され感がものすごい。

だがあたるはあたるで耐えている。
ここの絵もめっちゃいいなぁ。

「まさかあいつ、他に誰か…」
あたるはこんなこと言わんよね。
それは自明である。ここは良くない。

遠藤麻未氏の、サクラさんの怒り顔は最高だなぁ。

当時は何の気なしに見てたけど、
止め絵とはいえこれすごいなぁ。
圧縮された行き詰まり感を演出するために
これを描く、っていうのがね…。

ここで「笑う標的」ってのが絶妙だ。
そして、映画の音声は入っていないのに
我々にはちゃんと「そんなにうちがっ!」と
聞こえてくるのだ。
こんな超演出、他にあります?

劇中劇の、梓が倒されるシーンは見えない。
しかし僕ら視聴者は、
ラムがそのシーンを見たことを知っているのだ。
ラムがそれを見て、おそらくこう感じただろう、
そこまで想像できてしまうのだ。
これ、すごくないですか?

一度立ち去ろうとして、
しかしやはりもう一度
ショーウインドウに魅入られるラム。
あたるに対する反発と好きという気持ちが
入り乱れる描写である。最高過ぎて死ねる。

このエピソードではテンもいい感じだ。
代弁者の役どころを、控えめにうまく演じている。
「オンリー・ユー」の牢屋のシーンと
似た感じでもある。

あたるに冷たい言葉を浴びせられた後、
それでもテンの告げ口に耳を寄せようとするラム。
それは、あたるの弱みを握るためではなく
あたるとの雰囲気を修復するための
とっかかりを得ようとしての仕草であり、
むしろ献身的な行動なのだ。

このあたるの泣きそうな表情も最高だなぁ。


Bパートはあたるが
オモチャのライフルで遊んでいるところから始まる。
多分に制作スタッフの
ミリタリー趣味が入っていると思うけれど
あたるが特にサバゲー趣味というわけではなく、
“鉄砲のオモチャ”の一つや二つ、
男の子の部屋には普通にあった。

ただ弾が飛ぶとなるとツヅミ弾ぐらいしか
一般的ではなかったように思うけど、
これ何の弾なんだろう。

う~ん、こういう顔も
あたるはしないかな…。
この辺は旧アニメの改変、私物化といわれても
仕方のないところではある。

「おはようっ!」と元気を装い
朝食の食卓につくあたる。
だが発声と表情が全く合致していない。
「うる星」かといわれるとまぁ違いますわな。
しかし、シリアスものではないアニメで
こういう演出を見るのはたいへん新鮮だった。
この後、左右に目をやる演出も珠玉。

ガンダム」のホワイトベースの艦橋なんかでは
こういうのが繰り広げられていたように思うけど。
この回の演出の鹿島典夫氏は
サンライズ出身とのことなので
そういう流れもあるのかもなぁ。

親子喧嘩にまで発展しそうになった後、
ラムが出ていき、残ったあたる。
あたるは何も語らない。
視聴者はあたるの気持ちを考える。
自分と重ね合わせたりもする。
それが“感情移入”ということである。

ラムが転校するという噂を聞いて崩れ落ちるメガネ。
ここの、4段のぎくしゃく感がものすごくイイ!
ここやった人は天才か!?

友人たちに指示を出したメガネがその場をどくと
面堂がいた。この演出よ!
先ほどは部下に指示を出していたが、
今回は報告を待っていた。この大物感。
神谷氏のアフレコも、
押し殺した声でたいへんカッコいい。

この騒動を「どうせいつものから騒ぎよ」
と断じていながら、心では何を思うのかしのぶ。
まぁ面堂のことなんだけれども。
面堂がラムにご執心なことを
事実としては受け入れているのである。
完全に横恋慕ポジションだ。

んで、この後しのぶは特に何もしないのである。
そこがまた面白い。
動いてしまうと、ドタバタとして
ギャグに収束してしまうのだけれども、
動かなければその内面は視聴者に委ねられる。

「ん~っとぉ!」がかわいいサクラ。
「わしが奢ろう!」も、
真面目に言ってるところが秀逸なギャグ。

顎を上げた不遜な態度のサクラも魅力的だ。
こういう演出方法は
実写の世界から入ってきたのだろうけど、
動かすからにはこうでないとな、と思う。

素直な表情のサクラ。
ただの若い女になっているが
それもまたサクラの一面である。

あたるを拷問にかける準備をする4人組。
あたるは学校に戻らなかったので
彼らは何も為さなかったがそれでいいのだ。
彼らは彼らの役割を果たした。

この回で白眉な演技を見せる面堂。
彼もまた、何もしない。
台詞は端折りまくった最小限。
しかし、それがめちゃくちゃカッコいい!!

このカッコよさは、
戦国における武将のそれであり、
また好敵手の好敵手たるところである。

面堂は、カッコよくなくちゃダメなのだ。
カッコよくて金持ちで、
本当にハナモチならない奴だからこそいいのだ。
庶民からかけ離れているからこそいいのであって、
“会いに行けるアイドル”ではダメなのだ。

ラムがあたるの元に帰ることを確認した面堂が
自分の気持ちや考えを吐露せず
黙って帰っていくところもたいへん良い。
この回の面堂は、とにかくラムファーストなのだ。
最高に男らしい。カッコいい。最高だ。

「ただいま~っ、ダーリンは!?」と
元気な声を出すラムのいじらしさよ…。

そういうのがラムかラムでないかといったら
ラムのようでもあるんだけど、
そもそも本来のラムとあたるだったら
こういう事態にはならんよな、とは思う。

ただまぁ、“そうはなりそうもない”というのは
お互いに大人の対応をすることでもあり
お互いへの執着の程度問題でもあり、
この年頃の男の子と女の子が喧嘩をして、
その喧嘩をうまく捌けるかっていうと
そんなに大人の振る舞いはできないような気もする。

「はっぴーバースデーマイダーリン」は
確かに留美っく「うる星」ではないと思うけれど、
別の世界線としては
リアルな話でもあると思うんだよな…。


ラスト近くはあたるの独壇場である。

僕がこの話の何が好きって、
このラストシーン(山下氏?)において
あたるがこの年頃にふさわしい顔だちであり
この年頃にふさわしい体型であることだ。

特にあたるの身体つきについては
シリーズ中でもベストな作画だったと思う。
印象に残るラストシーンに
それを持ってきたそのことが、
このエピソードを
一つの作品として評価を待つ机上に乗せている。

旧アニメ「うる星やつら」において
作画を論じるのであれば、
そして原作の絵柄に似ているかを論じるのであれば、
ぜひこのエピソードを持ち出してほしい。


ストーリーを語るなら
もっと他のエピソードになっちゃうんだけれどね。


原作のイメージ通りのエピソードというと
「パニックイン台風!」あたりかなぁ!?
でもあれ、イメージ通り過ぎて
ちょっと退屈な気もするんですよね。
ラムは可愛いけどね。〈おしまい〉

作品のテンポ


令和「うる星やつら」も 2 回の放送を終えました。

Twitterハッシュタグ
5 ちゃんねるについては
もはや追い付けていないのですけど、
いろんな感想が飛び交っていること自体は
ぼんやり観察しています。

見ていて興味深かったのは
“新アニメはテンポが悪い”という意見。

む、こんなにハイスピードな作品なのになんで?


たいがいそれらには
“間の取り方が悪い”とも併記されているので
おそらくそこでいう“テンポ”というのは
“リズム”というニュアンスなのではないかと
思います。

確かにそれはあって、
いわゆる溜めというか、
そこに至るまでに要する期待感の盛り上げ時間とか
コトが起きた後の反芻時間だとか、
というのが、新アニメでは結構違うように思います。

ただそれが不作為なクオリティの低さかというと
そんなわけは絶対なくて、
商品として計算された結果なのだろうとも
また思います。

知っているストーリー、
知っているギャグ、
それらを「知ってるよ、もう」と
考える隙を与えないギリギリの速さで
組み立てられているように思うのです。

僕はパチンコをしませんが、
繰り返し繰り返し流れるパチンコの演出画面を
飽きずに眺め続けられるというのと
本質は同じかもしれない。
エンドルフィンとかそういうやつ。


うる星やつら」はもはや古典ですから
本来はオリジナルのスピードで
物語を進めるのが正しい。
それが絶対的な正義だと僕も思います。


でもこれ、2 回目のアニメ化だし
年号も 2 回変わっちゃってるんですよね。

若い人は映画でもなんでも倍速で見るし、
楽曲のギターソロは飛ばしちゃう。

幅広く“知っていて”、
共有できることに価値がある。

あと単純に、“昭和のペースはかったるい”。


若い人たちとの感受性の違いだけではなく、
クリエイティブとしても
令和の今の世の中に出すのであれば
解像度を上げた作品でなければと思うでしょうし
それが、情報量の多さでもあるならば
ビビッドな色使い(に仕込まれた視覚的な刺激)や
画面の変化のスピードが上がるのは
必然だとも思います。


もっとも、どこかで見た
「商業的に過ぎる」という意見は
本当にそうだなぁとは思います。


ただ、2回もアニメ化してもらって
贅沢言える立場じゃないし
じゃあ自分がスポンサーできるかといえば
アニメをオンデマンドするなんて途方もなくて
せいぜい円盤を買うぐらいだし
売られているものを買う、という
基本の姿に立ち返っているだけ、とも思います。


それで十分楽しいですし。

といっちゃうと消極的過ぎるかもしれませんが
市井の一人として
人生を楽しむことは
そんなに悪くないです。

ここからの道は若い人が作ればいいよねと
僕は思っています。


そろそろ新アニメ「うる星やつら」以外の
留美ックの話を書かなきゃと思うのですが
日々、刺激を受けるのは
新アニメを取り巻く今の状況、なんですよね…。
〈おしまい〉

祭り(感想とかレビューとはちょっと違って)


数日前の10月14日、
リメイクアニメ「うる星やつら」第1回が
無事に放送となりました。

翌日に仕事を控えた中年男性としては
リアルタイム視聴に挑む体力はなく
翌朝早起きして(早起きは平気)
視聴に臨みましたが、
たいへん充実したいい作品だったのではないかと
思います。

知っている内容、知っているギャグに対して
自分が楽しめるのかどうかというのが
自身の最大の関心ごとでしたが
目くるめくテンポだったので
それらを自問する間もなく、
ある意味、遊園地の絶叫マシンのような
ハイスピード娯楽コンテンツだったなぁと
僕は感じました。

考えるのではなく、感じる。
今の時代に合った作り方だったなぁと思います。

アニメとしての出来も、かなり良かった。
退屈はまったくしなかった。

ま、退屈しないというのは
視聴しながら/原作を思い返しながら/
旧アニメと比較しながら、というのを
脳内で平行作業しているからかもしれませんが。


放送後から翌朝、
そして24時間以上経った現在まで
Twitterハッシュタグ #うる星やつら とか
5ちゃんねるの当該スレッドなどは
ものすごい勢いでコメントが寄せられており、
反響という意味では
このプロジェクトはスタート大成功どころか
過剰ともいえるぐらいの反応を
集めているといえるでしょう。

まさか、潜在的なファンが
これほどいるとは思わなかった。驚きです。

それらの場では、新アニメに対する感想と共に
びっくりするようなディープなネタを
出してくる先達もいるし、
むちゃくちゃハイレベルの絵師さんが
いきなりぽんとラムの絵をあげてたりするし、
そうかと思えば過去さんざん行われてきた話題が
堂々巡りしていたり、
低レベルな投稿があったり、
まさにカオス・坩堝のような雰囲気になっていて
これはもう身体が保たないなと
僕は音をあげているところです。

ほんとに、わんわんと轟音が渦巻いている。


しかしまぁ、これが当分続くのか
一過性のものなのかは、今の時点ではわかりません。

過去、神がかり的だといわれたコンテンツが
あっという間に
一般の口端にのぼらなくなったことは
枚挙にいとまがない。

それは本・映画・音楽・テレビ番組・ゲーム、
どんなジャンルでも最近はそうで、
日本が、世界が、
文化を消費するスピードが速すぎるんですよね。

大事なものを大事にする、大事にしていきたい、
そういう気持ちが
マジョリティにないがしろにされても
傷付かないようにしないといけないなと
現代を生きる中年男性としては思います。


もう一つ
(改めて念押ししておくと
僕は新アニメ「うる星やつら」に対して
肯定的だし、いい出来だと思っていますが
それとは別のベクトルとして、事実として)
新アニメ「うる星やつら」は
“上書き”だな、と感じています。

おそらくここから先、スタンダードは
この令和版「うる星やつら」になる。

web検索ではまず令和版が出てくるだろうし
キャラクタープロダクツは令和版
(と、あるいは原作版)ばかりになるでしょう。

なにより、昭和版を語ることが
わずかにでも、心苦しくなりそうです。
昭和版を褒めることが
令和版の否定となるわけではないのですが
受け取るほうの感じ方によっては
対立と捉えられたりしそうだし、
何かとやりにくい。


例えば

これは旧アニメの、僕が大好きな一コマですが
今となっては、この旧ラムを掲載すること自体が
「旧アニメにこだわりがある人なんだな」と
まず思わせてしまいそうな感じがあります。

たいへんやりにくい。

おそらく世界的にそうなっていって、
昭和版のアニメ「うる星やつら」は
どんどん薄められていきます。

それを、僕は“上書き”だなぁと思うのです。

しかし、他方それも世の常、とも理解していて。

嫌われない老人にならなくてはなりませんからね。

怖いので何度も言いますが
令和版アニメ「うる星やつら」は
面白いし、来週も楽しみです!



そうそう、新アニメの放送開始日が
旧作と同じ10月14日であることがバズりましたが
それってファンへのサービスではあるだろうけど
コストのほとんどかからない、洒落みたいなもので
ビジネス的にどうの、ということでは
ないんだろうなと思います。

であれば、
そして小学館100周年記念事業なのになぜ、
(これも旧作とのリンクとなる)
“水曜日放送”にしなかったのか。
水曜日にすれば、向こう4クールに渡って
サンデーとの連携ができるでしょうに。

そうしなかったのは
そうするほどではないという
雑誌の凋落なのかとか、
旧作と現連載作との兼ね合いを
サンデーが気にしたのかとか、
深夜帯だとそもそも意味ないだろうとか、
同じく凋落しているといわれながらも
TVのゴールデンはやっぱり高いんだろうなとか、
そしてNHKならゴールデンで枠がありそうだし
サンデーとしても根回しは済んでいるだろうに
やっぱりさすがに「うる星」は下品だったのかとか、
そういう妄想がはかどります。


あ~、いやらしい大人になっちゃったなぁ。
〈おしまい〉

昭和版と令和版のどちらが原作に近いか


少し前に、某大型匿名掲示板において
うる星やつら」の新旧アニメのどちらが
原作寄りの絵柄か、という話がのぼっていました。

先に態度を表明しておくと
僕は旧作の絵柄のほうが
原作に近いと思っていまして、
ただむろんクオリティの低い回も数多くあったし
トータルで作画クオリティを保つことが
できていないということそのものが
現代のアニメファン層から見たら
信じられないことなのかもしれないと
考えたりもしています。

僕自身は当時、遠藤麻未氏のラムに入れあげていて、
遠藤麻未氏のラムこそが正義、ぐらいのところまで
心酔していたのですが、
長い年月を経て振り返ってみると
遠藤麻未氏のラムは
やっぱり結構高田明美氏の設定に忠実方向であり、
古瀬登氏や林隆文氏のほうが
原作に似せようと努力していたのではないかと
思ったりもします(実ったかはともかく)。

可愛いことを評価点に加えていくと
森山ゆうじ氏や土器手司氏のラムが
一も二もなく高評価になってしまうけど
はたしてそれが本当にラムだったのか、
という話ですよね。

僕を含め視聴者層が
好きなキャラを疑似的な恋人と捉えて見ていて、
原作よりも自分好みになっていれば
そっちのほうを喜んでしまう。

それは、それこそ消費者として当然なんだけれども
酸いも甘いも噛み分けた今となっては
ラムがラムとして描写されていることが
一番大事なんじゃないかなと僕は考えています。


それもあって、
今回のリメイクアニメについては
原作に沿ってというよりも
原案付き、というぐらいで捉えた方が
楽しめるのだろうな、とも思っています。

おんなじことやってもつまんないもんね。
〈おしまい〉

リメイクアニメ放送まであと少し!


先日9月29日に、
リメイク版「うる星やつら」の
第2弾PVが発表されました。
まぁラムがくるくるとよく動くこと。

アニメーションの品質については
本編を通して見てみないと何ともいえないですが、
少なくともラムを魅力的に描きたいという
制作スタッフの気持ちは伝わってくる気がします。

ただ、ラムは確かにかわいく描写されていますが
高校2年生として適切に描かれているかというと
どうなのかなと思うところもあって。

もっともそれは、
昭和の高校2年生と令和の高校2年生がもう既に
生活環境とか精神年齢とかいろいろ違うだろ、
という話でもあります。

近代化以前の日本男子が
16歳までに元服していたことを考えれば
昭和と令和の違いなんて
誤差でしかないかもしれないし。

ただ、リメイク「うる星」は
どうやら連載当時の年代設定のようなので
あたるやラムも昭和の高校2年生ということになる。
それにしてはちょっと幼いかな。

感覚としては、リメイク版のあたるやラムは
原作漫画でのスケ番3人娘
“ しゅがあ・じんじゃあ・ぺっぱぁ ” 
ぐらいの年恰好に見える。
要するに中学生です。

中学生が 
“ 好きと素直に言えない ” と言ったってそれは、
例えば
からかい上手の高木さん」における西片と同じで、
未発達・成長途中ゆえの “ 言えない ” のように
見えてしまいます。

それではいけない気がするんですけどね。


ただ今回のリメイク「うる星」は
文化事業ではなく、完全にビジネスですから
まず第一に売れることを目指したはずで、
だからこその、
あのキャラクタービジュアルなんでしょう。

まんがタイムきらら系のアニメなんかに
かなり寄っていってる気もしますが、
よく考えてみれば
日常系であり
ナンセンスギャグでもある「うる星」は
それ系と(今の令和の時代なら)
親和性があるのかもしれない。

なおかつ、リメイク「うる星」は
どうもハーレムアニメ的なキャラクター商法を
(成功するかどうかはともかく)目論んでいそうで、
であれば全方位にアプローチできる絵柄で
勝負するわなそりゃ、と。


意外に、若い世代や女性ファンなんかも
ターゲットになっているのかもとも思います。

おっさんだけがターゲットなら、
現在の人気SNSゲームの絵柄がそうであるように
もっと肉感的
(乃至、肉感的にしても釣り合うリアルさ)に
するはずだと思いますし。


まさか、本当に 
“ 2匹目の(男性版)「おそまつさん」” を
狙っているのではあるまいな。
あれは狙ってできるものじゃないと思うんだがな。


さて、放送開始を前にして、
リメイク版「うる星やつら」のグッズが
いろいろと発表されていますし、
コンビニのフェアなんかで、特製アイテムなどが
販売・頒布されていたりします。

ですが個人的にはあまり食指が伸びないんですよね。

無理やり言語化するならば、
リメイク版はSDキャラのような感じがしています。
二頭身キャラとでもいいましょうか。

むろん二頭身ではないですし、それをいうなら
リメイク版「うる星」の公式SDver.だって
ちゃんとあります

そうではなくて僕が、
新しいキャラ絵に対して感じる感じ方が、
なんだかSDキャラを見る時の気持ちと
似た感じだということなのです。

SDキャラそのものを
蔑視しているわけではないのですが…。

なんでしょうねぇ、
子ども扱いしてしまっているのかなぁ。

浅野ラムが
「子どもを作るっちゃ」といったとしても
「はしたない!」とか
「まだ高校生なんだぞ」とかではなく、
「子どもが子作りって」
「何をわけのわからん戯言を」というふうにしか
思えないんだよなぁ…。

ラムには本来
セックスシンボルの一面が確実にあって、
でもリメイクアニメではどうもその面が薄くて。

一つ目のキービジュアルは、
エロくて大好きだったんだけどなぁ。


そんな感じで、
キャラクターものとしての “ 好き ” は
僕にはあまりないのかもしれませんけど、
動画としての出来と、
メタ視点でのコンテンツの行く末については
興味津々で楽しみにしています。

いよいよですねぇ。


あぁそうそう、コミックスの「復刻 BOX」ですが
Vol.1 は 9 冊分で 5,000 円+税ですか。
特装部分の上乗せを考えると
ほぼ「MAO」なんかと同じ価格にしていて、
これは好印象ですね。

デアゴスティーニみたいに
Vol.1 だけお買い得、なんてことにならないと
いいですけど。
Vol.1 の発売日までに
(購入者が引くに引けなくなる前に)
Vol.2 以降の価格が発表されるのを
期待するばかりです。


もう一つ、箱についてですが
告知の Tweet を見ると
箱の幅がそれぞれ違っているようで
縦には重ねられない仕様のようです。

そのへんもどうなるか、お楽しみですわね。
〈おしまい〉

キャラクターが、牙を剥く!

 

漫画・アニメのキャラクターの特徴のひとつに
「ギザ歯」というのがあります。

一般的には敵意を持ったり発奮した時などに
剥きだした歯列が
ノコギリのようにギザギザに鋭く尖る漫画的表現を
「ギザ歯」と呼称していると思います。


最近ではそれとは別に、
構造的に 歯がすべて三角の牙、
みたいな身体的特徴を持ったキャラが出てきていて
一部の特殊性癖の方たちに愛されているようです。

例えば“ばいきんまん”とか
グレンラガン」の“ヴィラル”なんかが
そうなんですけど、
基本的に彼らは地球の“人間”じゃあない。

“八重歯”は人間にも普通にいますが、
そうではなく
歯がすべて獣のような牙で構成されていて
しかも上下で噛み合わせができる、というのは、
ホモ・サピエンスに設定するには
ちょっと無理があるらしく、
だいたいが“異種族”なんではないかなぁ。


さて、「うる星やつら」のラムは
しばしば牙を剥いた姿が描かれます。
ギザ歯というよりは、
発達した犬歯という感じですけど。

初期のラムは “宇宙人” “鬼” という
異種族らしさを強調するためか、
牙が描かれた描写が多用されていました。

「あなたにあげる」(1-4)

ラムには、身体的特徴として牙がある。
ラムに限らず、鬼の星の住人や
スケ番三人娘なんかにも牙がある。


で、そういう宇宙人たちと区別するためか
「うる星」登場キャラの地球人たちには
ギザ歯の “漫画的表現” が
使われていないようなんですね。

コミックスをひっくり返して見てみたのですが
これがほんとに無くて。

たぶん、異星人と地球人を
きっちり線引きしていたんでしょう。


で、面白いのがクラマ姫で、

このコマは「花婿、それは女」(15-9)ですが
牙が描かれています。
以後、クラマ姫の登場するエピソードでは
何度か同じように牙が描かれているのですが

「恋人泥棒;後編」(20-7)


竜之介と出会う以前のクラマ姫には
牙は描かれていなかった。
クラマ姫は宇宙人設定ですが
一応モチーフは鳥類だから、ですかねぇ。

「女になって出直せよ」(2-7)

「父よあなたは強かった」(3-1)

「口づけと共に契らん!!」(14-2)

14巻の面堂との絡みの時には牙がなかったのに、
さほど間の空かない15巻では、牙が描写された。

これは、漫画制作の経緯で
何か変化があったんだろうな、と
思うところです。


もう一人、牙の描写があるのが

「電飾の魔境」(29-1~4)の真吾。

「電気仕掛けの御庭番;後編」(29-10)でも
うっすら牙があり、

「愛の脳天逆落とし;後編」(31-2)においても
しっかり牙が描かれているので、
真吾はもう、牙がある設定なのでしょう。
出自はしっかり地球人のはずなのですが。


とまぁ、「うる星」においては
制約の下で“ギザ歯の漫画的表現”が
運用されたのかと思ったので
他の作品を見てみますと、
意外にもその手法は使われていないんですね。

一部の古めの作品しか調べていませんが、
見つかったのは「笑え!ヘルプマン」の
ひろみくんぐらい。



ひろみくんは変身するとはいっても
変異するわけではないので
これは漫画的表現なのだろうと思いますが、
まぁとにかく ひろみくんには
その手法が使われている。



でも本当に他の作品には見当たらなかったので、
結構厳密に運用されているみたいですね。


とりあえず、ラムには
ブコメモードだろうがなんだろうが
常時“牙”があるはずなので
大口を開けた時にはお忘れなく。なんちて。
〈おしまい〉

1、0、1、4! 1、0、1、4!!


なかなか放送開始日が判明しなかった
リメイクアニメ「うる星やつら」ですが
ようやく 2022 年 10 月 13 日スタートと
発表されました。
24:55 なので、実質 10 月 14 日であります。

キービジュアルも新たに追加されていまして
テンやあたるの両親、温泉マークや
さらにはトンちゃん、竜之介親子そのほかが
確認されており、
なるほどなぁといった次第です。

拡大すると
ラムの衣装の虎縞が(アウトラインも)
ペンで描かれているのではなく
彩色として処理されていることがわかります。

その辺りは、
プロダクトの仕様の管理、と
いうことなのかもしれません。


さて、まじまじとイラストを眺めると
背景のパース感に比べて
後ろのサブキャラたちが
意外に少ないな、と思ったりもします。
その数 21 名(テンと弁天・おユキ含む)。

今回、リメイクアニメは 4 クールでの放送ですが
原作の話数に比べると全然少なく、
ですからエピソードは結構厳選されるわけで
出演が決まっていないキャラは
キービジュアルにも出せない、
という判断かもしれません。

この辺り、
景品表示法絡み及び
企業ガバナンス、リスクマネジメントが
令和の基準で機能しているのでは、と
思ったりもします。


ちなみに、旧アニメ ED ラストの集合カットは

30 名弱。


“ I,I,You & 愛 ”が 20 名弱。

旧アニメの初期のイラストでは

30 名程度。

この旧アニメのイラストは
おそらくキャラ設定が決まってない中で
作成されたのでしょう、
本放送とは仕様の違うところも散見されます。

放映が決まってないキャラもいたでしょうに、
初期のビジュアルに出しちゃえ、というのが
当時のアバウトさというか、
長期放送を見据えたフジテレビの勢いというか、
令和の今のやり方とは
一概に比べられないところが
あるように思います。


そういえば
リメイク版の新キービジュアルの背景は
第一弾のキービジュアルと連動していて
縦軸の信号が今度は青になっているようです。

旧アニメ当時は、漫才コンビ“ツービート”の
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」が
跋扈していた時代ですから
隔世の感がありますなぁ。


さて、リメイクアニメ放送に合わせて
「うる星」単行本も
以前の装丁で復刻されるようです。

しかし、
その旧版の表紙に価値を置くってことは

(画像はアフィリではありません)
これら現行の表紙について
どういうつもりだったのか、と
聞いてみたい気もします。

(画像はアフィリでは…)ワイド版と

(画像は…)文庫版はまぁいいとしてもさ。


それはともかく。

ボックスセットという部分には
特に惹かれはしないのだけれど、
持っている単行本がもうだいぶんボロボロで
かなりキッツイことになっているので

新調したいような気もしています。

旧版と新版とで
セリフ回しなんかが変わっていないか
調べてみたいし。


だけど、じゃあ古い方を捨てるかっていったら
捨てられないんですよね。

2 セット並べる余裕はないしなぁ。

いっそ、電子書籍で新しく購入したらどうか、
とも思うのですが、
こういうブログをやっていて痛感するのが
目当てのシーンを探すときの
紙媒体の応答の良さ、です。

電子書籍も、
スライダーで素早く(画像を表示しながら)
頁をめくれるようになればいいのですが、
最新の電子ブックリーダーってどうなんだろう。

マンガについては、見開き表示も
諦めきれないところですねぇ。

あと、自分の所有物にはならない、というところも
電子書籍はいまいちだなぁ、と思うところです。


そういえば今度の復刻版は
一冊単価いくらなんでしょうね。

〈おしまい〉