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映画「ビューティフルドリーマー」の感想・レビュー

先日の当欄でも触れた、
実写邦画「ビューティフルドリーマー」。
仕事帰りに新宿で観てきたので
それについて書こうと思う。

まぁそもそも
ビューティフルドリーマー」の感想ともなると
これはもう完全に「るーみっく」ではないわけで、
それを言い出したら押井氏の「B・D」だって
るーみっくじゃないだろうと
言われるかもしれないが、その昔
「サンデーグラフィック B・D」が出た時点で、
るーみっくとは関係ないよというのも
ちょっと苦しい話なのである。

で、本広監督版の「BD」の話を
ここに書くのは確かに逸脱しているのだけれど、
「B・D」の話がいちばん通じるのが
るーみっくの界隈なのだから仕方がない。

というわけで「ビューティフルドリーマー」の話。

そもそも本家「B・D」にしてからが
僕は理解しきってなどいないのが
前提ではあります。

ネタバレしないつもりはないので
行間を開けますね。
ネタバレを回避したい人は違うページにどうぞ。















それではさっそく。
まず他愛もない話から始めると、
劇中劇の部分のキャスティングがわりと良かった。
なかでもひときわいいなと思ったのは
カーチャ役の福田愛依だった。

「B・D」のラムの無邪気さ、屈託のなさ、
そういった役どころにまさにぴったりだった。
表情だけでなく、顔だちも
ラムを3次元に落とし込んだら
まぁこんなところだろう、と思えるぐらいには
イメージに沿っていると思う。

演技はちょっと難しい部分もあったけれど。
例えば茶缶をくんくんするところなんかは
実写では再現できない難しいシーンだった。
ただこれは誰がやろうが難しいわけだし、
彼女はいい線いっていたと
思うべきではないかと思う。

ただ原作のラムとは違うやね。
あくまでも「B・D」のラムとしては、だから、
彼女をもって
3次元のラム決定版というわけではない。

Twitterなんかではアヤメ役の秋元才加
高い評価を受けていて、
僕も台詞回しはサクラさん、いや鷲尾真知子さんを
演じるにあたってほぼ完璧だと思った。

ただ頬がこけ過ぎなのが気になって。
病弱な頃のサクラさんならともかく。

サクラもナイスバディでナウなヤングなので、
もう少し健康的な感じが欲しい気がした。

温泉マークはモリタ君がやっていたのかな?
例の喫茶店のシーン、
最初はたどたどしいなと思っていたけれど
最後セミの声に言及する頃には
しっかり温泉マーク(池水通洋さん)の
しゃべりになっていて、すごいなーと思った。


ではストーリーそのものについて。

Twitterではかなり褒められていたけれど
何が言いたいのか、
誰に向けたメッセージなのか。
僕はちょっと違和感を感じた。

「B・D」に乗っかる形でのメタ構造、
また大林宣彦監督への追憶というところでいえば
映画製作という楽しい時間、楽しかった時間、が
テーマであるのは明白だ。
言い換えれば自分の大切な充実した時間、であって
それは映画製作でなくても
野球でもサッカーでもいいし
バスケットボールでもアニメや漫画でもいい。

仲間と過ごした時間、
自分の想いを遂げるために
どこまでも時間を使う感覚、
そういった楽しい、楽しかった時間。

そこに想いを馳せるからには
今はそうでない、ということが重要だ。
今が楽しくないからこそ、
あの楽しい時間を大切に思う、
あの楽しい時間に戻りたい、
あの楽しい時間を終わらせたくない、
あの楽しい時間の中に閉じこもっていたい。

この点で、ラムと、
制作者&観客は立場が異なる。
ラムはまだ未来を知らないからだ。
ラムは今が楽しくて、
今が終わることを知らないし、
今の先が面白くないことも知らない。

この点、押井監督の「B・D」は
作品を永遠のループ化することで
ラムたちを保護したともいえるし
見限ったともいえる。

だが、本広監督の「BD」は
映画を完成させてしまった。
つまり区切りをつけ、終わらせたのだ。

楽しい時間には終わりが来る。
そうともいえるし、
もっと成長を、という意味かもしれない。
リコが失踪を詫びた行動が
大人になる、ということなのかもしれない。

または、作品を世に出すことを
自分たちの居心地よりも
優先しろということかもしれない。
産み出すのであれば、
心地よい羊水から出なくてはならない、という
これもメタといえばメタである。

いずれにせよ、一歩前へ、
というメッセージだと、僕には感じられたのだが
「楽しかった時間」への憧憬とそのメッセージとが
どうにもちぐはぐな感じもする。

なんとなく思うのは。

この作品がシネマラボの第一弾であり、
若手映画人へのメッセージ性を
強く発しているはずだ、ということである。

「楽しい時間」を出た先にも、
「楽しい時間」がまだまだあるのだ、と
だから作品を完成させ、
仲間たちとひとつ成長するのだと、
そういうことなのかなぁと、僕は考えた。

確かにそれはそうで、
例えば同人誌をやっていた人が
商業誌の制作に携わる、なんていうのは
夢の先の夢を辿り続けているようなものだろう。
草野球の先のプロ野球なんてものも
そういえるかも知れない。

ただ、そういう進路に進めなかった
多くの観客たちにとって
消化しにくいメッセージだったのではないかと
僕は思うのだ。

「誰に向けた映画か」
といえば、やはり若手映画人、または
彼らを支えるベテラン映画人に向けて、
だったのかな、と僕は感じる。


「B・D」の一部実写化は
なかなかうまくやっていたが
それが、この作品が我々「B・D」ファンに
見せたかったことかというとそれは違うと思う。

そんなことをやっても意味がないからだ。

「B・D」の実写化の
精度を誇っているようには見えない。
例えばわかりやすいところでいうと
温泉マークをぶん投げた後の
息を弾ませたサクラのポーズ、
あれは、アニメをトレスしていてはダメなのだ。
むしろ、2020年の映像テクニックでもって
超えないとならない。
そして超えたうえで観客に納得されないとならない。

でもそんなことは無理だ。
あのシーンは漫画・アニメ言語で描かれているから、
別の実写論法でどんなにうまくやったとしても
「それは『B・D』じゃない」といわれてしまう。

やむを得ずトレスにせざるを得ず、
しかしトレスなんかに意味はないのだ。

意味はないが価値はある。
多くのTweetがそれを示している。
確かに楽しい、楽しかった。

でも、やっぱり「パロディ」かな。

DAICON OPアニメ」に似ているかもしれない。
KEMOCONが今開催されたとして、
ビューティフルドリーマー」が
そのOPムービーだったら、
これは本当に素晴らしいことだろう。

まぁ「るーみっくじゃない」論争は
やっぱり起きちゃうと思うけど。


「B・D」を実写化しようとしてみたよ、
という「姿勢」を皆に見てもらう、
それによって勇気づけられて、
自分もやってみよう、と
立ち上がる後進がいるならば、
その役に立つならば。

「B・D」の実写化部分には
そういう感じを僕は受けた。


全てはたどたどしい模倣から始まる。
それはループではなく、
受け継いでいくものなのだと、
それはDNAにも似て、
未来に向かうものなのだと締めくくって
この作品のレビューといたします。