ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









「われら顔面仲間」レビューその2

さていよいよ本編に突入である。

この作品はとにかく七変化というか
仮装パーティーのようというか、
普通ならモブシーンの落書きで
コソコソやるようなネタを、
堂々とストーリーの中核に
持ってきてしまった一品である。

f:id:rumicold:20201219111346j:plain

導入の一コマ目からしてこれなのだが、
「導入の一コマ目からしてこれ」というのが
既に出オチとなっている。
ウルトラマンが学生服を着て自転車に乗っていて、
そこがギャグになっているが
留美っく的には母子の
「ママー」「見るんじゃありません」の部分で
笑いを取りに来ている気がする。
この、奇天烈なものに対して一般人が
それを避ける反応をする、というパターンは
高橋留美子氏の作品ではよく見られるが、
無関心でいられると奇天烈が成立しないわけで
だからこの一般人が、
笑いでいう「ツッコミ」役を担当し、
いわばその笑いに加担しているということになる。
ということは一般人は一般人ではなくて
むしろ演者側なわけで、
そのクサさが好みのわかれるところでもある。

ここでは装四郎がウルトラマン信楽焼のタヌキ→
狼男(?)→大黒天→(本人)→花嫁のお面→
面堂家タコ→フランケンシュタイン→ドラキュラ、
と、どんどん変装を変えていくのだが、
ストーリー上、必然性がない。

もちろん、装四郎のモノローグもあいまって
自己紹介(登場人物紹介)となっているわけだが、
変装にトリックがあるわけでもなければ
元ネタを当てて楽しめるものでもなく、
装四郎が奇怪なふるまいをしているのを
見させられている感じが強い。

f:id:rumicold:20201219111423j:plain

装四郎は「変態ではない」というが、
奇怪な様相が変態なのではなく、
奇怪なふるまいが変態なのだ。
ここでの「変態」は、
ラストの「変態!(すけべ)」に繋げるための
一節だと思うけれども、
冷ややかな目で見る読者からすると
ちょっと壁を感じるぐらいには
装四郎は変態である。

f:id:rumicold:20201219111442j:plain

ここの台詞回しは
スピード感を狙っているのだろうけど
早いなりのテンポ、がない感じで
ちょっと辛い。
装四郎がコケたのは
チャックを気にしたからなのか
それが冗談だったのを受けて
ずっこけたということなのか。
まぁ明子にバトンを渡すためなんだけど、
見破る・見破らないという話の回収や
明子のクールな性格の紹介を、
この数コマでこなすのはいかにも厳しい。

f:id:rumicold:20201219111510j:plain

当時は明子がランちゃんに似てる、なんて
思っていたけど
おっさんになってから見ると、
全然似てないな…。
むろん後のコマでの表情の作画は
作者のパターンに沿って、
他のキャラに似ているところもあるけれど。
顔だちとしては
竜之介辺りに似ているのかなと思わなくもない。

f:id:rumicold:20201219111531j:plain

そしてべら。
この使い方は錯乱坊や竜之介の親父、
あるいは乱馬の親父パンダあたりのそれと
通じているわけだが、
好き好きではあるけれど…好き好きだが、
僕はあまり好きではない。


話は逸れるが僕は漫才がそこそこ好きである。
漫才にはしかし、「変顔」の延長線の
幼稚な笑いも存在する。
意外にもそれらは需要があり、
そういう方向性の芸人さんは
どの時点でも必ず存在するのだ。

一発ギャグが子供に浸透すればデカい。
またそういうジャンルは
テンションが高く、場を盛り上げやすいから
現場に呼ばれることも多くなってこよう。

視聴者が、そういった芸人を「下に見ること」で
愉快に、楽しくなれるという側面もあろう。
喜劇は悲劇、ピエロの役割でもある。

僕は「妖怪人間べら」に魅力は感じないけれども、
「うる星」や「らんま」に
当時中学生のファンが多かったことを踏まえれば
「不吉じゃ」とか「海が好きっ」の
顔アップと同様に、
そこに魅力を感じる層もあるということだろう。

ただ実のところ、「われら顔面仲間」は
そっち方向へかなり振ってある。
それが、僕がこの作品を
ちょっと苦手とする理由なのだ。

いいものもある、悪いものもある
スネークマンショー)。
来週に続きます。