さて前回までで主役二人の紹介を終えたところで
次は舞台背景の説明となる。
ありがちなクラスの看板。これだけで
「最上級生」「先輩」「受験生」「卒業間近」と
説明しちゃえるんだから日本の漫画すごい。
卒業間近なら恋愛方面で何かあるな、と
深読みを普通にしてしまうのも漫画脳だが
お約束に乗っかって、
読むと同時に妄想していくのも
また楽しい漫画の読み方だと思う。
ここの「さわ…」という擬態語が
高橋留美子氏の気配りを感じさせる。
「さわ…」って何の音なのだろう、
看板が揺れる音か? と思ったが
クラスの軽いさざめきなのかもしれない
(ざわ…の前段階か)。
通常、舞台が教室に変わるときには
クラスの看板と共に、生徒のガヤ声や
「キ~ンコ~ン」とチャイムが
鳴ったりするものだが、
後で出てくるようにこの時は実は授業中なので
実はこの「さわ…」が、
「休み時間ではない」という
伏線だったのかもしれない。
読者が作者に遊ばれているような感覚で
ちょっと悪くない。
明子のこの台詞はなんだかちょっと呑み込みにくい。
変装の腕前を褒められ(おだてられ)ているのに
分別なく変装するかのように言うな、というのは
先ほどの「べら」を棚上げしているし、
変装倶楽部の部員であることの否定にも繋がるのに、
彼女には自分の変装行為を卑しむ風がないからだ。
単に感受性の強い年頃の明子が、
異性にちょっと強がっている描写である、
というならそれでもいいのだけれど、
キャラの紹介がここではまだ続いているので
読者としてはちょっと迷ってしまう感じはある。
ここでひっくり返っているのは装四郎だが
明子の時といい、仲間の変装に
動揺しすぎなんじゃないのか?
その辺りも、バラエティの「録音笑い」
(録音笑いっていうんだって)に通じて、
ちょっと冷める感じがしてしまうのだ。
注意する先生のこの顔は妙に濃い。
次頁のこの顔が
ギャグとして先に存在し、
そのからの逆算だったのだろうか。
ページの流れとしては少し浮いているが
くどいギャグとしてアリと思う人も
いるのかもしれない(傷つけない)。
明子に「立たされていた感」がないな。
(装四郎への)上から描写も相まって、
委員長的なキャラに勘違いしてしまうのだけれど
全然そういうキャラじゃない。
変装倶楽部内では
ちょっとそういうところあるけれど、
考えてみれば結構狭い世界の作品である。
「変装を見破る」のも
伏線といえばいえるのだけれど
四つも同じ顔、と自己否定しているので
あまり効果がない。
ストーリーよりギャグを優先した結果、
のような感じだ。ただこれは
(実は初代部長の)教頭が見破っただけではなく、
一緒に暮らす家族である装四郎の父が
見破ったことでもあり、
次頁の、装四郎と教頭の親子関係の
露呈の驚きにも繋がってくると思えば
そうそう安直に扱うことでもないようには思う。
「血のつながりにゾっとする」は、
「その関係が自分が望んだものではない」子供が
言うことなんじゃないかと思うのだ。
なのに、
(「親として情けない」とかいう台詞じゃなく)
なんでこういう台詞になったかというと
次のギャグに繋げるためだろうと思うけれど、
そのギャグの構成も「きゃーそうだったのー?」を
言わせるための、そしてその顔を描くための、
無理やり感のある構成になっていて、
装四郎のヤな奴感が強くなっていく。
若い子の、親への反発、というには
ちょっと描写が強すぎるように感じる。
そう思うのも僕が
歳をとったからなのかもしれないが…。
もうあの頃の感覚では読むことはできず、
この辺りが、漫画は
リアルタイムで読まなければならない理由ではある。
このコマも、たじろぐ先生が
ギャグの確認、後押しをしているといえ、
だからこのコマは「笑うとこ」認定されている。
氏はこういうのがお好きなんだなぁ、と思う。
ほんとに、この作品は高橋留美子氏の
落書きを寄せ集めたような作品だと思う。
忙しい時期にこれを描くのは
楽しかったんではないかなぁ。
長くなったので今回はこの辺で。
それでは良いお年を。