今週は何を書こうかと
朝から虚空を見上げているのだが
取り上げたいエピソードを思いつかない。
時事ネタもピンとくるものがないし。
ネットをブラブラしながらではあるが、
かれこれ4時間ばかりもこうしていて
いい加減疲れてきた。
今からではボリュームのある作品について
書く気力が出ない。
「なぜ描かないのだい?」
いわゆる「なぜ描か」である。
ちょうどいいので「けもの24時間」をやろう。
この作品は当初、シップ ポケット コミックスの
「ダストスパート!!」に収録されていた。
「ダスト」の雑誌掲載自体は増刊サンデーで、
だから小学館から単行本が出ても良さそうだが
どういう経緯でスタジオ シップから
単行本が出たのか。それはよくわからない。
マイナーな出版社の刊行物だったが、
たまに書店の棚に並んでいた。
アニメ「うる星」から入り、
留美ックを渇望していた初心者の僕にとっては
「ダスト」も含め、「けもの24時間」は
貴重な「うる星」「めぞん」以外の作品だった。
その後、サンデーグラフィックにも掲載されたので
「けもの24時間」は
そこそこ知名度があるのではなかろうか。
「けも」のうえに傍点があるのは
獣24時間と読まれないためなのか。
このテキストでは傍点を省略しているけれど、
「
「九時ら。」である。
この、腰をひねった座り方は腰をやる。
これな…。
何かをやらなきゃならないのに手に付かず、
現実逃避していると、この台詞が浮かんでくる。
「描け」でも「描かないの?」でもなく
「『なぜ』描かないのだい?」なのが
哲学的でとても面白い。
この作品発表当時、
高橋留美子氏はまだ在学中である。
その時代の大学生たちの、
どこかインテリでありたい気持ちが
この台詞から垣間見えるようでもある。
「れでー」とか「じゃ~ッ!!」という台詞、
そして高橋留美子氏の顔の作画が
「できんボーイ」(少年サンデー)みたいである。
ちなみに、「ちゅどーん!」は
「できんボーイ」作者の田村信氏が発明したと
高橋留美子氏は語っている。
お顔が見えたご友人。誰だったかなぁ。
サンデーグラフィックを漁れば
初期のお手伝いが誰だったか
書いてあっただろうか。
机を投げた美しい人である。
これが描かれた昭和53年はじめは
「うる星」短期集中連載の前か最中で、
だからこの「厚顔無恥」な「一作」は
「うる星やつら」を指しているのかもしれないが
エピソードそれぞれを指しているとしたら、
「はずしましょう ブ…ブラを…」
「土曜の夜は 子どもをつくるっちゃーっ!!」
「うちのおなかの中には ダーリンの(略)」
あたりの流れを指しているのかもしれない。
そういった台詞が扇情的だった時代である。
松本零士キャラのようなお顔だ。
美化どころか卑下したこの自画像は
たいへんに好印象であると思う。
だからどうにも「アオイホノオ」における
高橋留美子氏の描写は受け付けないのだ。
オチは、自堕落ぶりを描いているようで、
漫画家を志す人たちに向けた
メッセージのようにもなっている。
ほんとにマンガ好きなんだねぇ。
昨今は漫画家の自叙伝的な作品も
数多く出ているけれども、
そのほとんどが懐古的なものであるのに対し、
この「けもの24時間」は
若い駆け出し漫画家の、
リアルタイムな日記なのが面白い。
同胞の「劇画村塾」向けだから
カッコつけない、素直な内容だし。
当時、まだファン初心者だった僕も
この作品で、高橋留美子氏に対して
すごく親近感を持ったものだった。
なんということもないエッセイ漫画(?)だが、
たいへん存在感のある作品だったと思う。
今の高橋留美子氏が今後
「けも・こびるの日記」を新しく描くとしたら
描くネタはあるんだろうか。
普段どういう生活を送ってらっしゃるんだろう。
願わくば、
偏りなく世の中に触れていただき、
それを今後の作品に落とし込んでほしいものです。