2020年秋から2クールで
「STEINS;GATE」の再放送をやっていて、
下の子と一緒に楽しく見ていた。
「STEINS;GATE」はいわゆる「ループもの」で、
「魔法少女まどか☆マギカ」あたりと
並べて語られることが多いけれど、その文脈で
「ビューティフル・ドリーマー」(1984)が
語られることもまた多い。
昭和の頃は「ループもの」はまだ少なくて、
「タイムトリップもの」が多かったイメージだ。
「戦国自衛隊」(1979)を受けての
「炎トリッパー」(1983)など、
印象に残る作品も多い
(「ファイナルカウントダウン」が1980年)。
ループものが一般に
広く認知されるようになったのは、
実写「時をかける少女」(1983)あたりだろうか。
まぁその前にも「火の鳥」とかあったわけだけど。
で、1982年にうる星やつら「忘年会じゃあ!」
(11-11)が掲載されていて、
そのエンドレスなエピソードに、
ファンジン界の一部では
トークがかなり盛り上がった記憶がある。
そもそも「うる星」自体が、時の進まない
ギャグ漫画の次元に存在していることを
ファンは皆認知していて、
しかし「うる星」の持つSF要素から
ひねくり返して論じ合って喜んでいたのである。
というわけで今回は
「忘年会じゃあ!」のレビューだ。
扉絵はアラビアンナイト風のラム。
むろん原典は
「アラジンと魔法のランプ(千夜一夜物語)」
であり、「ハクション大魔王」の
アクビ娘なわけだけれども、
京都アニメーションの
「無彩限のファントム・ワールド」の
ルルもここでは紹介しておきたい。
ルルは小さな妖精なのだが、
ラムのように空を飛んだり浮遊することができ、
その動作がたいへんにラムっぽいのだ。
リアルタイム視聴の際、
「あぁ京アニが『うる星』リメイクを
してくれたら」と思わずにはいられなかった。
まぁそれはそれとして。
スレてない。面堂くんまだまだいい感じである。
なんでビキニやねん
(この時ラムはすでに2-4に編入済みである)。
この前週のエピソードが、かの
「酔っ払いブギ」であるから、
意識するなという方が無理なのである。
どこでもドア的な枠のすぐ向こうに
机が置いてあるのが
枠の厚みの無さを描いていてとてもいい。
こういう、SF心をくすぐる細かい描写が
嬉しくなってしまうところである。
足蹴である。
ラムの星とは文化が違うとはいえ、
なかなか豪快だ。
第1話でも見事な蹴りを入れていたしな。
この、コントラストの高い影が
心象風景を映像化した感じで、
記憶の喪失や次元の超越に
とてもよく合っている。
たいへんに映像的な感覚だと思うのだが
いかがだろうか。
銭湯の脱衣かごの作画もすごいなー。
今となってはこれが何なのかも
理解されにくくなってしまっただろうな。
温泉はストーリーテラーなわけだが
数か月後には同じようないで立ちで
主役をやっている(13-1)。
「忘年会じゃあ!」がループものなだけに、
「スーパー武蔵」は
その流れ上のエピソードなのでは?と
考えることも可能だが、
実際、着想自体は同じ出発点だったのではないか、
という気もする。
浦島太郎の話なのに
カメを助けたところとか
竜宮城での宴のシーンを
全部はしょってしまうところがすごい。
あれっ。ここの台詞は
不思議なことになっとるね。
しかしこの時点であたるは
自分の名前を忘れているので
何の問題もないのであった。
忍者やチルチルミチル、
二十面相あたりはまだいいけれど、
輪回し(輪ころがし?)してるのは
何のキャラなのか。
“けんけんぱ”している女の子もそうだが
一応2-4のクラスメイトのはずで、
こんなモブキャラみたいな役をあてがうのは
ちょっとひどいんじゃないだろうか。
だからこれもクラスメイトである。
たまらんなー。
そして飛んどる。
ラムも魔法のランプから出てきたし
この異世界の中では
超常現象も起こせるようだが
あたるや面堂はいたってまともだ。
あたるがまだ“常識人”の
役どころだった時代なのである。
そういう意味で、
似たようなエピソードの「夢で逢えたら」(25-1)
であたるが超人化しているのは、
あたるの立ち位置の変化を表していると
いえるだろう(主に夢のあたるが超人だが
現実のあたるももはや超人の域に達している)。
あたるが見つけたわけでも拾ったわけでもなく、
ランプ=ラムが向こうからやってきている。
ラムの設定を踏まえてこうしたのだとしたら
手が込んでいるなぁと思う。
さて物語も終盤だ。
ランプの精は願いを3つかなえるというが
エピソード中、3つ目の願いは発話されなかった。
そこがまた“ループもの”に絡んだ謎のようで
楽しめる要素となっている。
あられもない。
やっぱり天女もクラスメイトだった。
たまらんなー(大事なことなので2回言いm)。
高橋留美子氏の同人誌時代からの
“あの雰囲気”な、遊びっぽい描き込み。
言語化はできないのだが、
何だろうこの空気感。
思えば高橋留美子氏はめったに
コマ外の落書きをしなかったように思うが、
コマの中では結構遊んでいた記憶がある。
事の収拾が、温泉に委ねられている。
が、そんなはずはないので
これは「温泉の夢」と見るべきなのである。
皆ほぼ一斉に現実世界に帰還しているが、
見た夢はそれぞれ違うとみるべきであろう。
それは全く語られていないし。
SFにも造詣の深い高橋留美子氏であるならば
そのぐらいの仕込みは
考えていそうだ。
みんなで同じ夢を見たのが
「ビューティフル・ドリーマー」であるが、
「B・D」において温泉マークが
ストーリーテラーをやっていたことを
「忘年会じゃあ!」でのこのコマ
と照らし合わせて考えてみるのも
また一興である(亀にも乗っているし)。
「B・D」の2年前の掲載であるから、
押井守氏が熱心に原作エピソードを読み込み、
解析しようとしたかもしれない、と
思いを馳せるのも悪くない。
押井氏は原作派には
反感を持たれることも多いけれど、
それなりに原作を読み込んでいるとは思うのだ。
クラスの皆がどの時刻に帰着したのか
それは不明だ。
1回目の忘年会をやる前なのか(過去への
タイムトリップを行ったのか)、
それとも時間の経過はそのままなのか
(1回目の忘年会が既に行われた世界)。
過去に戻ったのであれば、
1回目の忘年会は行われていないことになり、
永遠のループからはもう抜け出せない。
だが散らかった机などがそのままなので、
時間は通常通り経過していると思っていいだろう。
であれば何度も忘年会を繰り返す日々のうちに
外界から情報を得て、
「もう正月か…。忘年会をするには遅いな」と
思う日が来てもおかしくない。
そうして一行は、
またハチャメチャな毎日へと戻っていくのだ。
時間の経過しない、いつもの楽しい日々へと。
ってこれ、ほんと「B・D」のプロットじゃんね。