先週、少し取り上げたのだけれども
ペラペラめくってみたら結構面白かったので
今週は夏子先輩が活躍する、
「コートの中では泣かないわ」(6-2)を
取り上げようと思う。
二話にわたったエピソードなので、
少し長くなりそうだ。
このエピソードが掲載されたコミックス6巻は
ラムのかーちゃんは初登場するわ、
名作くノ一の修学旅行編はあるわ、
ランちゃんは初登場するわで
めちゃくちゃゴージャスな一冊である。
そんな中で夏子は目次上をキープしててえらい。
扉絵ももちろん夏子である。
扱い的には、新美少女キャラのピンナップ、
のような扱いであるが、
どうも夏子は設定画的にしっくりこない。
ショートヘアの美人キャラが苦手なのか…
と思ったりもするのだけれど、
「戦国生徒会」の藤波竜子ちゃんなんかは
すごくかわいいし。
夏子はくせっ毛だからだろうか。
なんか大人になったら
真子のお母さんみたいになる気もする。
さて、6巻は花和先生の巻でもある。
ここではいきなり「だからね…」と
話をはしょりながら登場しているが、
一つ前のエピソードで
新任でやってきた花和先生であるから、
今日までの数日間に何かあったんだろうな、と
納得させてしまうところが興味深い。
それもこれも1冊の週刊マンガ雑誌を
何度も何度も読み返していた、
昭和の読者の行動様式に負うところが大きい。
一週間後が楽しみだったから、
エピソードとエピソードの間には
きっちり一週間という時間が流れていたのだ。
この辺りは制作サイドと読者との
信頼関係でもあるな、と
令和の今は思うのである。
というわけでまだ友引高校に
慣れていない花和先生だが、
生徒寄りの姿勢の先生では、イマイチ
話を盛り上げることができなかったのか、
「うる星」の中盤以降は、
生徒との対立を得意とする温泉に
ほとんどの出番をかっさらわれていた。
花和先生の得意技は
“歯の浮くようなクサい台詞”だが、
考えてみれば「うる星」では中盤以降も
“クサさを笑うギャグ”は多用されていたので
花和先生で事足りるシーンも
かなりあったはずである。
なのになぜ、使ってもらえなかったのか…。
最終回の扉ではちゃんと登場しているが、
ちょっと場違いで恥ずかしそうである。
ラム(=宇宙人)のこの台詞、
あたる(=地球人)を舐めくさっていて、
たいへん面白い。
「サル!!」という台詞も、
見たままを口にする幼児のような反応であるが、
宇宙人が、覚えたてのことを
遠慮なしに言ったんやろうなぁ、と思うと、
実に味わい深い。
しかしまぁ、コマがよく傾いていることよ。
SFナンセンスギャグ漫画の、
地に足が付かない感じであるとか、
すぐ近くにいるのに覗き見しているような感じとか、
「うる星」にはとてもマッチしているように思う。
さて、夏子キャプテン登場だが
めちゃくちゃ目がデカくて黒目がちやな。
美人にしたいのか可愛くしたいのか、よくわからん。
後半に顔が崩れるので、
その対比として美人にしたんだろうけど
幼稚なイメージの体操服と相まって、
どうにも掴みどころがない。
バレー部のキャプテンといえば
そういえばオグリの阿久津さんも
おんなじ髪型だわ。
テンプレなのかな。
一人で男子バレー部を訪ねるあたるだが、
この、学校生活の中での1シーンが
読者にとって「俺たちと同じだ」と
共感するところである。
「うる星」中盤以降、
あたるもすっかり偉くなってしまって、
舞台が整わないと動かなくなっていたのは
残念なところである。
事件自体はみみっちいことだったりしたが、
超人化したあたるたちには、
有象無象としての動きはもうできなくなっていた。
その頃には友引高校も
読者たちの学校とは異なる、
「友引高校アトラクション」になっていて、
読者が一緒に入り込める感じではなくなっていた。
もっともそれで新たな読者も付いただろうし
何が正解だったかはわからないことなのだが。
男子バレー部のキャプテン。
アニメ「うる星」の“パーマ”とそっくりだが
抜擢の顛末はよく知らない。
素手で薪割りできるなんて、
夏子すごすぎるやろ。人類最強か。
カスか変態、と言われて俯く花和先生、からの
侮蔑を気にしていなさそうな男子バレー部員、
という二段構えのギャグが、
テンポがよくて動的である。
男子バレー部員がボケて、
夏子がズッコケるのではなく、
夏子が「カスの集団……」と吐き捨てるところが
ギャグをさらにシュールギャグへと昇華させていて
凝った構成だ。
続いての男子バレー部キャプテンの、
「よー夏子!!」がまたいい。
この“下の名前の呼び捨て”は
異性を意識したものではなく
古くは昭和バンカラの、
スケ番を張っているような女の「看板」としての
アンダーネームなのだ。
数多の“夏子”の中でも“夏子”といえばこの“夏子”、
“港のヨーコ”の流れの“夏子”である。
ちなみに「燃えろいい女」は1979年で、
このエピソードの前年のヒット曲である。
そして「燃えろいい女」の“なつこ”は
“ナツコ”である。
また烏丸せつこの邦画「四季・奈津子」は
ドンピシャ1980年である。
自信満々なようで、
「し、しかし」とどもってしまうキャプテン。
このセンスがいいんだなぁ。
すごい背景だな。
「ちゅどーん」ではない。
なんでもかんでも「ちゅどーん」、より
いいと思うのだけれど。
爆炎の書き込みもすごい手数だ。
大の大人が幼稚な言葉使い、という
今でいうところの幼児化ギャグである。
このエピソードというわけではないけれど、
古川登志夫さんは上手だったなぁ。
この所作も、憧れの所作である。
「(バレー部では)こういう仕草が
あるのかもなぁ」と想像して楽しくなるコマだ。
こういう、世界を広げてくれる漫画が
廃れないでほしいもんである。
最高である。
赤塚不二夫や楳図かずお、田村信といった
サンデーギャグ漫画の流れを汲むこの空気感。
当世の漫画だったらきっと夏子の顔を見せて
ダイナミックに描いてしまうだろう。
そうではなく、このちっちゃい感じが
たまらなくいいのだ。
夏子のポージングもたいへんに中途半端で、
完璧じゃないところが、「パチパチパチ」という
周りの拍手によく合っている。
あとこの頃、「〇〇じゃーっ!!」という口調は
全く一般的ではなく、女性が使えば
それだけでギャグだったんである。
その辺りも汲んでおきたい。
いきなりマイクを持って
スポットライトを浴びる夏子、から
柳の木を背景にした大衆演劇の舞台となり、
70年代ドラマのような大人の雰囲気を垣間見せて
メロドラマのお約束に持ち込むという、
これでもかとギャグを詰め込んだ、
ゴージャスな見開きとなっている。
終わったかと思ってページをめくると
夏子がガバッと起き上がって
次のギャグを繰り出してくるのが、もーたまらんね!
「男」の板のトスも、
前のページでちゃんと伏線を張っていたからこそ
突然放っても、ばっちり生きているのだ。
「男なんて~!!」といえば
島津冴子の声が脳裏に蘇るが、
キャラ立ての側面が強かったのでやや陳腐だった。
それに比べて夏子のこの「男なんかっ!!」は
実にキレがある。
そして夏子の両手の作画が、
アスリートの瞬間的な対応力を描いていて
これまた最高なのだ。
それにしてもこの男子バレー部員、
LGBT的に適切な配慮が必要そうなキャラだけど
顔がとても「そんな感じ」である。
パーツがセンターに寄ってるところが
なんだかとっても小日向さんのお友達っぽい。
これが1980年の作画だっていうんだから、
高橋留美子のセンス恐るべしである。
花和先生のこの台詞は
クライマックスを盛り立てるための
さりげない前菜だ。丁寧な構成である。
夏子の渾身のアタック、彼に拾われてる。
男子バレー部、すげえな。
もう骨格変わってるやん。
ガリガリ君みたいになってるし。
周りの部員の従順な態度を見ると
女子バレー部は、カリスマキャプテンが牽引して
存続してきたようだが、
この女子キャプテンが、
バレーが上手いかどうかは描写されておらず、
だから部はキャプテンの“顔芸”だけで
ここまでやってきた可能性もある。
まぁ、友引高校だからね。
次回は後編「コートに消える恋」を取り上げます。