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終ときて了! うる星「面堂兄妹!!」レビュー

面堂了子というキャラは
「うる星」がマンネリになると出現するという、
まさに“助っ人”でありながら、
彼女が登場する話はマンネリになるという
よくわからんキャラである。

キャラの役どころも確立していることから
“準レギュラー”なことは間違いないのだが、
どうも彼女には、“油断できないぞ”という気持ちを
持たざるを得ない。

初登場時からガイコツのマスクを被っていて
心を読み取れない雰囲気だったが、
そのキャラクターもまさに
“ペルソナ”を駆使しているかのようで
本当の素顔がよくわからないのだ。

あたるやラムはもとより
兄の終太郎にも本心は見せず、またその
「面白いことが好き」という性格に基づく行動も
少々芝居じみているから、
それが彼女の本当の姿なのだ、とは
迂闊に受け入れられない感じがする。

物語中でも謎に満ち溢れている彼女であるが
その謎は、ミステリアスというよりは
「あんた本当は“うる星”がメインの舞台じゃ
ないでしょ」と言いたくなるような、
“違和感”に近いものだと思う。

彼女が、「うる星」のストーリーに
寄与している気がしない、というか
むしろ彼女自身が「うる星」という世界で
遊んでいることが多い…ような気がする。

というわけで今回は
了子初登場の「面堂兄妹!!」(12-8)を
取り上げてみよう。

サブタイトルは、アニメ版の
「ザ・面堂兄妹!」のほうが語感がいいな。

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表紙は了子の後ろ姿。
高橋留美子氏は、黒髪の古風な少女に
特別な思い入れがあるのかと
当時は思っていたものだけれど、
古式ゆかしい女の子キャラの作品は
氏の作品には思い当たらない。
動かないと“もたない”しな。

言われてみれば了子狂言回し役が多く、
自らはほとんど動かない/手を汚さないという点が
彼女との間に隔たりを感じる理由なのかもしれない。

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牛車と共に、黒子がフィーチャーされている。

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牛車自体は面堂の母親から引き継いだ要素だが、
黒子は「うる星」において、
了子の十八番となっている感がある。

この黒子のような、
知識としては知っているけれど
よく考えたら不思議な存在、というものを
引っ張り出してくるのは
高橋留美子氏の得意技だ。
例えば食い倒れ人形とか、
“かわいいコックさん”などもそうだろう。

日本のカルチャーはその辺りも一巡したので
今では黒子など珍しくもないが、
漫画文化はかなり先をいっていたといっていい。

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退屈を持て余すブルジョア令嬢、という感じだが
今見ると、「そんなわきゃーない」と思う。
了子が、自分が退屈な状況など許すはずがないのだ。

実際、あたるたちとの出会いによって
彼女が開眼したわけではないのである。
たぶんもうずーっと前からああだったのだ。

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だからある意味、ハンカチを手にしたのが
あたるでよかったといえる。
了子を楽しませられない者が拾っていたら、
了子によって処分されていたかもしれない。

もしくはあたるの手に渡るように
ちゃんと仕掛けが施されていたかもしれない。
くだらないことにいくらでも金が使えるのだから、
それぐらいはやりそうだ。
つまり、全部彼女の筋書き通り、という可能性も
あるよなぁ、ということなんである。

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古めかしい牛車を見てなお、
若いお嬢さんではないかと推測するあたる。
妙齢の女性が出てきそうなものだが。

というか面堂の母親を連想しないのか?
と思って「戦慄の参観日」(6-4)を確認すると
あたるは面堂の母の牛車を見ていないのだった。
ほ~。そうでしたか…。

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了子扮するガイコツ。
後々あたるのクラスメイト達も
「ガイコツ」と評しているが
なんともファンシーなガイコツである。
顎の骨(下顎骨)が別体じゃない時点で
ガイコツではないのであるが、
ではオモチャのガイコツマスクのつもりなのか、
それともガイコツをリアルに描かなかったのか、
どちらなのかはよくわからない。


ここまでが了子登場のイントロである。

このエピソード、駆け足でレビューするには
もったいない面白さなので、次回に続きます。