さて今週は
「面堂兄妹!!=その2=」のレビューだ。
了子はいろいろ催し物を企画するが、
今回のエピソードが読みやすいのは、
何かのイベントにロミジュリが内包されて
いるのではなく、
ロミジュリそのものがテーマなため、
そもそものまとまりがよい/消化しやすいから、
であろう。要はパロディである。
この手法が派手に使われたのが
翌13巻の“ダメッ子武蔵”三部作ともいえる。
向こうは世界観ごと変えてきているが。
ロミジュリで一番有名なのは
「おおロミオ、あなたはなぜロミオなの?」
“Oh, Romeo, Romeo! Why are you Romeo?”
という台詞だが、
うる星の今回のエピソードでは使われていない。
ロミオ家(モンタギュー)と
ジュリエット家(キャピュレット)は反目していて、
それは終太郎とあたるの関係と同じなのだが、
ロミジュリでは「身分の差」はないからこそ
道ならぬ恋、が切なさをかき立てるのに比べ、
面堂家と諸星家では身分が違い過ぎる。
それを無理やり使うとするならば
「あたる様、あなたはなぜ貧乏なの?」
となり、せちがらいにも程がある。
元ネタへの冒涜にもなりそうで、
エンタテイメントとはいえ
さすがに使えなかったというところだろうか。
扉絵はミュシャのようなイメージカットだ。
あ、カラー原稿ではないか。
というわけで「カラーエディション」を
引っ張り出してみよう。
2色カラーだがおおむね記憶通りである。
了子の顔が無表情で
萌え感はまったくないのだが、
上流階級を描いた演劇ってこんなだよね、と
妙にリアルに感じる。
この辺りは大人になってからじゃないと
楽しめないところだなー。
それをこの時描いていた高橋留美子氏も
やはりただものじゃないわけだが。
このページの面堂家の居室の作画カロリー!
いやほんと、面堂家のブルジョアぶりを
作画であらわす心意気たるや!である。
各コマごとに丹念に見ていっても
全然飽きない。
サンデー掲載が1982年であるから
大友克洋氏の「童夢」が発表された翌年となるが
濃密さでは引けを取らないといえるだろう。
プロの仕事である。
とにかくこのエピソードは作画がいいのだ。
アニメにおける“劇場版”のように、
特別に手が込んでいる。
ここで了子は左手の父、そして右手の兄を見るが
その顔の動きで、場の雰囲気を窺っていることを
上手く表している。
で、その演出をするためには
家族の席順、また家具の配置を考えなければならず、
その辺りが丁寧に作られているな、という印象だ。
こんなただの説明カットでこのパース感!
こういう、ち密な手作業がなされた作品であると
いうことを味わいたい。
いたって“普通”な素振りのあたるである。
面堂家の周到な防衛網と関係なく
普通に訪問した、というギャグからすれば、
あたるが(超人ではなく)ただの一般人なほうが
より面白い。
ここはアニメではどうだったかなー。
古川登志夫氏演じるあの軽薄な感じで
「どもどもー」と入ってきたっけかなー。
ちょっと覚えてないけど、
原作みたいな素っ気ない感じの方がいいな。
「なによ!」と本気で怒るでもなく
落ち着いている了子。
読者の持つ了子のイメージは、これだろう。
感情の起伏が少ないのでもない、
感情を押し殺した暗部があるのでもない。
全ては了子の思いのまま、なのだ。
これがスベると“予定調和”が一気に陳腐になり、
エピソードがマンネリになってしまう。
了子は結構、厄介なキャラなんではないかと思う。
このコマは大注目だ。
ギャグの種類でいえば、「うる星」全域にわたって
よく使われる類のギャグであり、
後期では見飽きた感が強い暴力系のギャグなのだが、
このコマは、面白いからだ。
このコマのどこがギャグかと考えると
「馬に蹴られて死んでしまう、ってあるよねー」
「あるあるー」
(ってあるかーっ!)
「ないなら張り子の馬で蹴りましょう」
(なんじゃそりゃーっ!)
という、
ちょっと乾いた笑いなのではないかと思う。
だから視点の先は馬でもなければ面堂でもない。
無為に笑っている了子とあたるである。
作り物のあるあるで笑っている二人が
不気味で面白いのである。
そうではなく、
馬が蹴るその行為そのもの、
または銅鑼にぶつかる面堂そのもの、を
笑いの根っこにしてしまったのが
「うる星」後期のやり方だ。
そこにはウィットがあまり感じられない。
元来、くすくす笑いやニヤニヤ笑いであったものに
ワッハッハな笑いが求められてしまったことで
路線の変更、かじ取りの修正が
行われたのかもしれない。
商業に乗るということは、そういうことでもある。
似たような事例としてはこのコマだ。
馬が実馬(?)でなく張り子の馬なのを
説明もなしに押し通すように次に繋げる、
了子のこの台詞は笑うところなのであるが、
後期の作品ではむしろこの部分、
珍奇なモノが登壇したり
暴れてみたりすることのほうが
大きく扱われるようになっていった。
そこには笑いのレベルの違いが
厳然としてあると、僕は考える。
僕がターゲットから外れたのなら、
僕が去るしかないわけだけれども。
がばっと起き上がる面堂が面白い。
彼は人並外れた大金持ちだけれども、
まだ“超人”ではないからである。
介抱していた黒メガネが
その姿勢のまま敬礼するのも
ちょっと ふふっとなる。
このページでは、面堂の女性への執念が
取り沙汰されているけれども、
彼の女性への執着を最後まで見たことがないから
いまいちピンとこないんだよな。
彼には体裁とかプライドとかの
守るべきものがあるので、
全てを捨てて女性にアタックするあたるとは
比べ物にならない感じ。
だからやっぱりこのシーンは、
このコマが先にありき、だったのだろうと思う。
面堂の「失礼な、……」は味わい深い。
父の“嘘つき呼ばわり”に対して立腹しているようで
深いところでは
“女好き”であることへの誇り、
またあたるへの敬意も読み取れる感じだ。
で、この
“面堂とあたるの女好きくらべ” のやりとりだが
面堂家家族への説明、という流れから考えれば、
あたるがやってくる前の段階でなされているのが
普通である。
しかしそうすると導入部のオチが
張り子の馬で走り去るあたる、となってしまい、
続く“あたるとラムの邂逅”への繋がりが
ややフラットだ。
面堂の家族のやり取りで舞台が変わるほうが
リズムがあって格段に面白い。
この構成の妙も、たいへん素晴らしい。
今回はエピソードの前半部分を見ていったが
この部分は実質、一幕の“お茶の間芝居”なんである。
ただ相当に完成度が高いのだ。
続くアクションシーンもやっぱり面白い。
それについてはまた来週。