何週かに渡って取り上げている「面堂兄妹!!」、
今週はアクションの冴える
“ロミジュリごっこ” 部分だ。
雷を前フリに現れたラム。
ヒロインAの登場だ。
この絵が素晴らしい。
左手の位置がいい。
手のメガホンであれば両手が口元に来るが、
顔を隠さないために左手が少し離れる、
さらにラムの記号としてのビキニを見せるために
外へ広げた左手の処理が、とても自然で美しい。
胸や身体のよじれ、下腹部もいいし、
ビキニの作画も質感や厚みを感じるもので
裸の上に乗っかっている感じが
すごくよく表現されている。
アニメ版では帯電したラムが
青白く表現されていて幻想的な雰囲気だったが、
色トレスのせいもあって現実味に乏しく
ファンとしては物足りなく感じた覚えがある。
さて
「ダーリンあぶないっちゃ~~」という
ラムの台詞は、あたるを気遣うもので、
前回エピソードの
「邪魔してやるっちゃ~!!」とは
かなり雰囲気が違う。
ラムが付きまといすぎると
あたるの自由度に制限がかかり、
物語が進まなくなるので
気まぐれに邪魔をするだけにしたのだろうが、
そのことであたるの主役度が上がり、
ストーリーに筋が通った感じはある。
このコマもセンセーショナルだったなぁ。
電撃系のキャラが、
電気を体表から“摂取”するのも斬新だったし、
その決めポーズがガッツポーズなのも、
かわいいヒロインキャラなのに
鉄人28号やマジンガーZと並ぶ表現で、
そういうのもあるのか って感じだった。
現代においては
戦う美少女キャラもたくさん輩出されているので
珍しくもない表現かもしれないが。
今回のラムの役どころとしては
このコマが如実にそれを表していて、
あたるのハンデでありながら、
気持ちの部分では
あたるの負担になっていないという、
要するにメリハリ要員だ。
本来であればその役割りは
ゲストの了子がするべきなのかもしれないが、
了子はそういうところが不得手な感じもする。
小技が利かないというかなんというか。
テンの下にベルトが作画されているが
このひと手間が結構ピリリと利いている。
続くコマでも
ベルトを締め直すあたるが描かれているが
こういう、テンを装備のように扱う、というのを
ちゃんと描くことで
テンの「アホみたい」という台詞に
説得力を持たしていると思えるのだ。
このコマも高度なパロディだ。
ヒーローが困難を乗り越えて、
ヒロインの元へ駆けつける、という
よくあるシーンのパロだが、
光っているのはあたる(ヒーロー)が
戦っている光などではなく、古女房に
みっともなくお仕置きを受けている光なのだ。
この頃の漫画が知的だったのはこういうところだ。
人形浄瑠璃にこういうものがある、と
知っていて読むのと、
人形がなにやらおどろおどろしい顔に変わった、
と表層だけを捉えるのとでは面白味が違う。
知らなくても、後でその知識を得ることで
「後から面白い」ということになる可能性もあり、
だからこういう知的なネタは
どんどん青少年に読ませるべきだと思うが
昨今はそういう感じでもなくなっているのが
残念な気がする。もっとも、ステージが移って
今はラノベとかが
その役割を果たしているのかもしれない。
こんどは “お仕置きしようとして結果的に
あたるを救った ”ラム。
前の頁と対になるギャグで、テンポがいい。
古城の大扉をめぐるこういったギャグは
「カリオストロの城」を彷彿させるが
この当時、一般的にはカリ城は
まったくメジャーではなかったし人気もなかった。
「もののけ姫」公開以前は
テレビでもそんなにやらなかったし。
この着せ替えシーンなどを見るに、
着想にはカリ城の恩恵も多分にあるように思えるが
ギリギリセーフかな、と思う。
逆にアニメ版ではこの階段辺りのシーンを
モロにカリ城のパロにしていたが、
当時“アニパロ”という奴も
その界隈では相当流行ったので、
コアな視聴者は結構喜んだのではないかなと思う。
このコマはすごく素敵なコマだ。
カットイン(でいいのかな)が、
後ろの背景と馴染んで、
情景描写としても素晴らしいし
絵としても立体的でとてもいい。
実写だと不自然になりがちな表現であり、
漫画やアニメの優位性がよくわかるコマである。
今回のエピソードで了子が自らやったことは
この手榴弾をばらまいたことだけなのである。
うーんなんという他人任せ(ディスってない)。
ラストのコマでは黒子の一人が
あたるにチョウチョのエフェクトを
かけてやっている。
…死んじゃった時のエフェクトって蝶だっけ?
天使の輪っかに羽が生えたやつが
ゆらゆら立ち昇るエフェクトは覚えがあるけど。
あと気絶だったら、
ヒヨコとか小鳥がピイピイ回るエフェクトも
よく見た気がするなぁ。
とまぁこんな感じで、
了子はほとんど働かず、
まわりのキャラたちが振り回される様子、
というのが了子出演回の定番な感じである。
了子は存在意義的には舞台装置といってよく、
数々のトラブルも
了子の差し金なのか黒子が忖度して動いているのか
判別がつかないところもまた、
掴みどころの無い感じを醸し出している。
了子のそんな掴みどころの無さが、
いつまでもよそよそしさを拭えない理由だ。
美人だけれどね。