さてさっそく続きを始めよう。
「宝塚への招待」レビューの2回目だ。
亜月くんはなんでカッコつけてるんだ?
“憑依”などの心霊現象をバカにしている、
と見るのが妥当ではあるが、
寺まで来ておきながら
自分だけ座らないのが解せない。
真彦に対する反感もあるのだろうが、
なんか勝手なことしてるよねぇ。
月に2回、公演を見るというのが
リピートなのか、違う演目を見るのか
よくわからないんだけど、
なんで9月以降は見なくていいんだろう。
“宝塚”ファンならわかるネタなのかなぁ
(編成の区切りとか卒業とか)。
いやあんたも盆は働けよ尼として。
ここで亜月くんと
ギターのフラッパーくんが出ていくが、
意味ありげに去っていくのが腑に落ちない。
準備のためとか一言言わせるだけでいいだろうに。
そこが意味深になってしまっているので
「あぁ、ステージを成立させるために
まともな二人を温存したんだな」と、
ストーリーの仕掛けの方に意識が行ってしまうのだ。
宝塚風の衣装は突然出現したとしか思えない、
という事は宝塚風のメイクも、
おばあちゃんが霊力で改変したのだろう。
しかしそれならばなぜ、
右半身を真彦に残してやっているのか。
本来は、全身宝塚でステージに登場し、
その後、真彦の覚醒のタイミングで
あしゅら男爵化するべきなのだ。
それを端折ったのは、
ステージに登場した時のインパクトのほうを
重要視したかったからだろうか。
ナンセンスギャグ漫画に近いからといっても、
辻褄も大事にしてほしかった気がするけどなぁ。
はっとする正彦。
亜月の台詞が響いて覚醒したような描写だ。
しかし続く台詞が
演奏やステージよりも
おばあちゃんに対する怒り・憎しみを
前に出したものだったため、
真彦にとっての音楽の重要性が
おざなりにされているように感じる。
バンドメンバーは
演奏が無茶苦茶になったと嘆いているが、
どう無茶苦茶だったのかは語られていない。
真彦は曲がりなりにもギターを弾いてるし、
奇抜なパフォーマンスということでは
米米CLUBのジェームス小野田のようでもあり
(米米CLUBはこの「宝塚への招待」掲載当時
既にメジャーになっている)、
“WILLOW”の音楽性をどう損ねたのか、
そこは描かれなかった。
だから真彦の立ち回りが
ステージを台無しにしたのか貢献したのか、
よくわからないのだ。
コンテストがどうだったのかは描かれなかった。
ボーカル交代のことも回収無しだ。
ちょっとひどいんじゃないか、とは思う。
まぁ結局は、真彦のおちゃらけノリの解放、
というところに収束させたかったわけで、
他のことについてはページが足りない、
という感じなのだろう。
おばあちゃんとの仲直り=赦しを得たので
これから先の真彦は、棒立ちになったりせずに
ノリノリになれるわけで、
それがバンドの未来を示していると
言えば言えるかもしれないが、
やっぱり言ってもらわなきゃわからないかなぁ。
気付くのも怒るのも遅いよ君は。
話としては、おばあちゃんへの未練、憐憫の情を
こういう形で表しました、ということだろうけど、
この下品な感じが
フェイク/照れ隠しとは言い切れないのがまた。
前ページのおばあちゃんの変顔に被せる形の、
2段落ちのギャグのつもりかもしれないけど、
それによって失ったものもあって、
どうにも読後感が良くないように思う。
救うつもりなのか最後に情感出してるけれどもさ、
おばあちゃんはとっくに成仏しちゃってるんだし、
供養というよりは
真彦が、宝塚を好きな自分を取り戻した、
というだけのようにも見えて、
なんだか品のないストーリーだったなー、と。
ヒューマンドラマだから
そういうのもあってもいいのかもしれないけれど、
切なくなるわけでも、ほっこりするわけでもない、
気持ちの持っていきようのない話だったと
僕は思う。
“宝塚”が“宝塚”である必要なかったしなぁ。
女の園だとか、全然関係なかった。
衣装やメイクがケバい、それだけだった。
もうちょっと、
丁寧な造りにしてくれたらよかったのに。
これ32ページあるけど、
1回でまとめるのは無理がある。
短期集中連載とかできなかったもんなのかなぁ。