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劇場版「うる星やつら 完結篇」をレビューする


去る 8 月 25 日に
リメイク「うる星」の新情報として
弁天の CV が発表になりまして
同時に弁天の立ち絵も公開されました。

半月前のおユキまでは
そんなでもなかったのですが、
今回の弁天の絵を見て
ちょっと漠然とした不安に駆られています。

今回の「うる星」って
解像度というか、画面の情報量的に
大丈夫なんでしょうか。

弁天のビキニアーマー
形がとりにくい形状で、
だからこそ質感を出さなきゃいけないし
そうでないなら露出している裸のほうを
魅力的に描かなきゃいけないと思うんですが
どうなんでしょうね。

まぁ、サクラまでの紹介絵と違って
ラン以降の絵は
設定資料から切り抜いてきたようなタッチなので
本当に“あり合わせ”で掲載したものかもしれません。
情報のメインは CV のほうな気がしますし。

ただラムのビキニの虎縞もそうですが
令和の高解像度の時代に合った作画をしてくるのか
ちょっと不安なところはあります。

結構、再放送で NHK 枠とか狙ってたりしてなぁ。
そうなるとアクの弱い、
ケレン味のない仕上がりをしてきそうで
期待が薄れてしまうところですが
どうなりますですかねぇ。


さて先日の当ブログで
リメイク版キャラ設定での
「ボーイ ミーツ ガール」が
想像しにくいと書きました

旧アニメでの「ボーイ ミーツ ガール」は
言わずと知れた 1988 年の
劇場版「うる星やつら 完結篇」です。

これ、うろ覚えですけど
たぶん僕、映画館には観に行ってないんですよね。
後々、ビデオで見た気はするんだけど
内容は全く覚えていない。

なので、一回おさらいしてみることにしました。
今週は、
うる星やつら 完結篇」をレビューします。


物語は見知らぬ宇宙船の姿から始まる。
SF っぽいアニメでは
何かにつけて見られるような絵であり、
ちょっと安っぽいんじゃないだろうか。

続いて
シャドーを利かせて映し出されるのは
謎めいた美男子。
っていうかルパである。

なぜルパから始めるのか。
まぁ劇場版だから、なんでしょうなぁ。
ルパが、一番重要なゲストだから、なんでしょう。

原作の場合のオープニングは

この、闇の中のラムである。
今まで 355 話やってきて、ある意味では
その 355 話が前フリだったともいえるが
とにかく今回、ラムにただならぬことが起きる、
それがこの扉絵なのだ。

観客/読者にとって、何が重要か。
見終わった時に、
その感動とオープニングの記憶がリンクするか。

この映画では、そういうことを
掴めていなかったんではないかなぁ、と思う。

タイトル題字で
文字間を空けたのにも疑問が残る。

この文字列は
ファンや関係者が愛する“ロゴ”なのだ。
こういう処理は、ちょっと無いんじゃないだろうか。


続いては原作通り、幼いラムが登場する。
ロリータ方向に振られているが
この部分は端的にいって出来がいい。
ただし幼児性を強く描かれているので
気恥ずかしい感じもしてしまうのだが。

ただ映像美に振り過ぎて
本末転倒になっているところは見受けられる。

ルパのひいじいちゃんは
ラムの中で“まっくろけ”と記憶されているが
それがこんな

綿毛/風花の舞い散る風景では成立するまい。

原作アレンジが全て悪いとは言わないが
例えばサクラの水晶に映し出されたラムの姿、

これはなぜわざわざ仰向けに変更したのか。

原作では俯せである(扉絵とも同じ)。
どちらが窮状を表すか、
どちらが迫りくる魔の手を想像させるか。
なぜわざわざ変えたのか。


あたるの解釈についても違和感がある。

ここでは、ラムの凶兆を聞いたあたるが
勇壮な BGM と共に自宅に向かって走っているが
そこではあたるはまだ走ってはならんのだ。

後で、象徴的に走るシーンがあるからである。

また、ラムに対して素直になれない、
やせ我慢をしてしまう、などの
“あたるらしさ”も損なっているように思える。

映画館には確かに一見の客も来るだろう。
だがそれらへのサービスは
物語の根幹をないがしろにしてまで
することではない。


「ラムは女の子です」
「うはははははは…女の子!?」
のところのラムのひいじいさんのアフレコは
最高だなぁ!
令和の芸人さんの間の取り方にも劣らない
見事なアフレコだ。

この映画ではオリジナルのギャグシーンも
入れられていて、

しかしこういうのはちょっと
幼稚すぎやしませんかね。
いったい誰が喜ぶというんですかね。


さて原作と見比べてみると
作画アングルがかなり変えられているのに気が付く。


こういう具合だ。

しかしこれはどうやら視線誘導的なことのようで
上の例でいえば

若かりし頃のひいじいさんを、
現在のひいじいさんと一致させるために
立ち位置を一緒にしているだとか、
ルパのひいじいちゃんは右で演技させるだとか
そういうことだと思われる。

これを、相当マメに行っているのだが
なんかそれもなぁ、親切すぎるというか
観客のレベルを低く見積もっているというか。

台詞のフキダシの都合がある原作と
同じがいいというわけでもないけれど、
ルールにのっとっていることで
単調になり過ぎているきらいがなくもない。

まぁ昭和の作品ですし、
リメイク版ではもう少し変化にとんだ画面を
見せてくれるだろうと期待しつつ。


ルパが来襲するシーンのこれ。

「オンリー・ユー」がこれ

なんだけど
これはもうマンネリと言われても仕方なくない?


ルパの豚車(?)のブタの振る舞いも
原作から変えているけど
変える意味あるのかなぁ。

例えば最初、ブタはブレーキかけてるけど
それは“停まる場所が違う”、
つまりブタがアホであるか、
もしくはルパが制御できてないということになり
いずれにせよ人為的なミスということになる。

ルパが帰る時にしたって
なんかブタの暴走に巻き込まれた風になってるし、
テンションの高いドタバタにすれば
観客が喜ぶと思ってるのかなぁ。
そんなに幼稚じゃないんだけどなぁ。


友引高校の保健室はガラス戸だっけかな。
もちろんアニメ版設定だと思うけど
ぜんぜん記憶にないなぁ。
開け閉めで SE 付けられるから
便利なのかもしれないけど。


ルパとラムが対峙して、2 回目の電撃の時に
ラムに台詞が付いているのだけれど、
これも改悪だと思う。

原作で、2 回目の電撃を無言で放つのは
ルパの“顎クイ”に対する不快感の表明でもあり、
無敵の電撃の表現でもあるのに
どうしてわざわざ変えるのか。

脚本か演出か絵コンテか知らないけど
観客がお子ちゃま扱いされてるんだろうなぁ。


ルパの「おめえが早ぐおどなになるように。」
という台詞の後に、この映画では
「その時を楽しみにしているだ」という台詞が
ルパのキメ顔と共に付け加えられているが、
これも蛇足と言わざるを得ない。

ルパの謀略の予兆は
前段で切ったほうが高まった。

指輪からの毒粉をトリック扱いにして、
この後の意外性を
上げたかったのかもしれないが
匂わせ・伏線ぐらいは
もう楽しめる年齢だよ観客は。
あんまり子ども扱いしないでほしいなぁ。


友引高校を去るルパは、
何度か崩れた表情を残している。
しかしそれでは今後の“闇の宇宙”でのルパの、
“意外と善人”“意外とマジメ”という
ギャップギャグが毀損されてしまうではないか。
それは惜しいことだと思うのだが。

ラムを連れ去る時のルパが

原作のどこか寂し気な笑顔をできなくなって、

こんな安っぽいドヤ顔をさせられたのも
そういうチャラいキャラに
シフトさせられたせいではないのかなぁ。


ここまででだいたい 23 分。
まぁだいたい 30 分アニメ 1 週分だ。
とりあえず今週はここまで。
次回に続きます。〈おしまい〉
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