ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









たとえばこんなポリコネ案件


今年は正月早々激動の一年でした。
よもやよもやの大ニュースから始まり、
揺れる気持ちで秋を迎え、
そして一年を終えようとしています。
皆さんにとってはどんな一年だったでしょうか。


アニメ令和「うる星」はおおかたの予想通り、
ずいぶんポリコレに配慮された作品となりました。

そのことに残念な気持ちはありますが
不満は特にありません。
社会の中で暮らすにあたって
受け入れていかねばならないことだと思っています。

不快に思う人がいるならば
その表現は必ずしも安全で妥当な表現とは言えない、
それは確かにそう。

そこまではわかるんですけど、
最近ちょっと、
考えすぎてわからなくなってきたこともあって。



(3-1)あなたのソバで
例えばこれは41年前の大晦日の五代くん。

僕は、この五代くんの台詞は
ギャグとして描かれたと思っています。

ではその狙いはどういった面白さなのか。


五代くんはその前段で

と言っていますが
それは「やりてーよーっ!!」の予備動作であり、
伏せた顔や小刻みに震えるその身体が
人に言えない薄暗いその欲望をあらわしています。

これは青年の暗部を描いていると思われ、
すごくカッコ悪い。
そしてその暗部は、
欲望の共感のために描かれたのではなく
笑われるために描かれたと考えるべきです。


ですがどうも、
昨今の世論を聞いていると、
例えばこの五代くんの
「くそ~っ やりてーよーっ!!」を、
ギャグと受け取らずに
「うわっ 怖っ」と受け取りそうな人・世代が
結構いるんじゃないかと思うんですよね。

確かにここの五代くんには
“押し倒してでも”という
相手の気持ちを顧みない考えがあり、
はっきり言ってしまえば
「強○してーよーっ!!」といってるわけで
漫画の主役キャラとしては完全にアウトです。

それはわかります。
この台詞を「笑えない」という感覚も理解できる。


ですが、このコマのギャグって
「俺たちの五代!」とか
「そうだよなやりてーよな!」という
五代くんの欲望に共感するタイプの
ギャグではないと思うのです。

先ほども言いましたが
男の羞恥心の共有というか。
そこで思うのは、苦笑または怒りを伴った
「駄目に決まってるだろ」であり、
「普通思っても言わないよな」であり、
「カッコ悪い」であり、
「俺たちはこんな馬鹿なことしないぞ」であり。

理解してもらい辛いかもしれないけれど、
このギャグを読むときに脳裏に浮かぶのは
男の姿・習性といったことであり
女性の姿は介在しないんですね。



「くすぐり様」より「勇気を出して」吉田戦車
吉田戦車氏の作品のこのコマと
ちょっと似た感じの面白さだと思います。

このコマを読むときに、
犬をイジメることの是非を考える人は
あまりいないのではないでしょうか。
考えるのはそこじゃない。


どうも昨今、間接的な表現というのが
あまり理解されない世の中になったように感じてて、
だからギャグというものの幅が
狭まったように思います。

僕は世代的にも不条理ギャグが大好きなのですが
それがこの世から少しずつ減っていく気もしていて、
ちょっと寂しいです。〈おしまい〉