今年のNHK大河ドラマは『光る君へ』で
紫式部の話なのですが、放送前から
ラブ・ストーリー物の気配を感じたものですから
わりと熱心に見ています。
とはいうものの実は僕は
『源氏物語』をまだ読んでいなくて、
漫画好きを自認しているのに
これは結構恥ずかしく思っています。
あとは『三国志』も読めていませんね……。
なんかその辺って教養課程というか
読んでる前提というか、
共通言語の一部になってると思うんですよね。
だからそれを持ち合わせていないのは
なんだかとっても恥ずかしい。
漫画でいうと『ドラゴンボール』でしょうか。
ま、DB も通しでは読んでないのですが。
いやお恥ずかしい。
『源氏物語』は平安時代の話で、
となればやっぱり
うる星やつら『平安編』(8-6,7,8)ですよね。
この話、何がいいって
ラムが物の怪・怪異の役どころなのが
すごくいい。
普段から空を飛び、電撃を放つといっても
地球社会に溶け込みまくっているラムは
もはや異星人・異分子ではないのですが
『平安編』では異種族っぽい振る舞いが多用され、
しかもあたると相思相愛なので
異種間恋愛のドキドキがたまらないです。
このあたり、昭和アニメ版の
『あたる源氏 平安京にゆく』では
大幅に改変していて残念だったですね。
『壱の巻』の表紙はこれ。
エキゾチックなラムの衣装がよいです。
衣装コンセプト的には
『アマテラス宴会』(11-3)の衣装と
似た感じがしますが、
普段のビキニよりも露出度は減っているのに
色気は増しているのはどういうことなのか。
時は平安時代、のコマ。
池ではガメラっぽい怪獣が
ゴジラっぽい怪獣と闘っていますが
これは玄武と青龍のもじりでしょうか。
次のコマでは
この時代に電信柱がなかったことから
桜の木を電柱代わりにしていたのだ、と
説明をしていますが
電力の存在の説明は端折るこのスピード感よ!
強引ではあるのですが
決して雑なわけではない引力がそこにはあります。
面堂の屋敷にはあたるが遊びに来ているが、
対等の友人として描かれており
面堂の臣下とかではないのがかなり好ましい。
面堂邸で宴会が催されるというデマが流され
人々が集まってくるが
鬼のラムが現れるまでの、宴会の雰囲気描写に
6ページほど費やされており、実に楽しい。
特に何かが起こるわけでもないのだが
面堂の性格を物語る行動が描かれたり
錯乱坊やサクラがやってきて
少しずつ役者が揃っていったりという
だんだん盛り上がっていく感じがいいのだ。
宴には女の子たちもやってくるが
知った顔ではなく ちゃんとモブで、
そしてちゃんと描いてあることで
かえって世界の広がりを感じさせられる。
ランちゃんはその女の子たちの中にいたのかな。
ランちゃんだけがあたるの傍につく、
それがまた本編の流れを継続しており
時空の広さともいえる味わいを醸し出している。
電話の着信を非常識だという面堂。
部屋に電話機が置いてあるのにね。
これもコマを行きつ戻りつ、
味わい深いギャグですなあ。
突然現れた錯乱坊が貪るのは
ケンタッキーフライドチキン。
こんなコマの片隅で、いちいち楽しいねぇ!
そこへ巫女のサクラ登場。
『平安編』のサクラは
髪のボリュームのバランスのせいか
車田正美作品の美少年みたいに見える。
TV取材に対する面堂の答弁に反して
宴会は風情などどこへやらの乱痴気騒ぎだ。
令和の現代では、
風情という概念がなくなりつつあるので
このギャグも理解されにくく
なっているのではないだろうか。
面堂の屋敷の三軒隣は藤原さんだ。
こういうインテリジェンスなギャグが
昔は成立していたわけで、
引き伸ばし期のマンネリギャグとは
一線を画していますな。
錯乱坊曰く、悪霊の顔だという
ラムとテンのシルエット。
あんまり好みのネタではないけど
テンの使い方など お見事という感じではある。
悪霊の姿に尻込みする面堂を尻目に
女と見て突撃していくあたる。
この頃はあたると面堂とで
女性に対する嗅覚にかなり差があったということか。
ラムに覆いかぶさるあたる。
少年誌の上品な主人公の姿である。
ラムがメモに書いた住所の“大江山”は
“酒呑童子”という
平安時代の鬼退治の伝説の舞台ということらしい。
学びが多いなあ。
壱の巻のラストは、純真でかわいいラムで締め。
「つづく」の文字は、
“アヒルのおまる”のデザインで囲まれているけれど
作中でも面堂がトイレブラシを振りかざしており
なんだなんだ?トイレネタ流行っていたのか?
ということで、今回はここまで。
次回の『弐の巻』レビューに続きます。
引き続きよろしくお願いします!
〈つづく〉