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小動物をいじめるな! うる星やつら『平安編』レビューその3


うる星『平安編』のレビューも
今回で第3回となりました。
(前回はこちら

考えてみれば、サンデーを発売日に買っても
15日間に渡って追いかけるエピソードなんですが、
ストーリーものというわけでもありませんし
“今週はじめてサンデーを買った客”をも
惹きつけなくてはならない、という
ギャグ漫画の使命からか
この“平安編”、特にこの『参の巻』は
笑いの繰り出し方がすさまじいです。

この頃だと
まことちゃん』もまだ連載していましたかねえ?
ドリフの『全員集合!』から
ひょうきん族』への過渡期って感じでしょうか。


さて、『参の巻』の扉絵はこれ。
ぬーちゃんに跨ったラムが勇ましい。
コスチュームはいろいろと情報量が増えているけど
顔と頭には何も付けていないのはちょっと不思議。
耳飾りぐらいはしそうなもんだけど。


前回に引き続き
“じぱんぐ”で鬼対策会議を行っていた面々は
テレビの臨時ニュースで鬼の襲来を知る。

“ぬーちゃん”の元ネタについて
当時は深く考えたりしなかったけれど
今はインターネットという便利なものがありまして
閃いたワードをすぐに確かめられます。

「ぬ」が付くので、鵺(ぬえ)かなあと
思ったのですが、伝承の浮世絵の描写を見ると
鵺は四肢が虎縞に描かれており、
おそらくこれはビンゴですね。

 

テレビは“ぬーちゃん”の姿を映し出すが
“目のような造形”というのが
『壱の巻』でのこれ↓

と同じく、何かをかたどっているのかと思いきや
別にそういうのは無さそうだ。
「そうに違いない!!」などと言っていて
台詞はいかにも“早とちり”風なんだがなぁ。
鵺の伝承で、何かそういった“巨大な目”、
のようなものがあったのかもしれませんね。

トンちゃんのキャラも炸裂している。
同じ1コマの中での台詞だから
即答も即答、かぶさり気味の超スピードギャグだ。

ラムが“じぱんぐ”に現れるが
あたるがラムを“鬼”と認識していなかったのが
驚きである。
確かに彼は“蛍光桜の正体であるところの娘”に
飛び付いていったのであり、
自らが形作る鬼の様相を見てはいない。

ですが、ですがですよ、
ラムもとい“らむ”にはツノがあるじゃありませんか。
ツノがある女の子とデートしておきながら
鬼と認識していなかったというのは、
異端に敏感な古来ニッポンにおいて
そりゃずいぶんな話ですなあ。

ラムのコスチュームは普段のビキニとは違いますが

こういう仕草においては
太ももの存在感も際立ち、たいへんありがたいです。
感動的な作画だなぁ。

「ツノがあるっち!!」
この台詞はファンの認識率高いよね、よね!?
最近の版では直っているのかどうか気になるな。
そして数十年を経て今気が付いたけど
テンも自分のツノを指さしていたのか!
ラムしか見てなかったから気が付かなかったわ。
ジャリテン、なんと可愛らしい!!

女子ども(おんなこども)とは戦えない、という面堂。
ちょっと前に、『北斗の拳』の描写を巡って
時代の変化が語られていましたが
こういうのも“ジェンダー差別”になるらしいですね。
今どきの漫画のバイオレンスシーンでは
女性も容赦なく区別なく殺されるんだそうです。
まぁ、そうなるわな。

そして…女性に銃を向けるあたる。
“あたる”ではなく“あたるの佐”だからセーフなのか?
まぁでも原作のここら辺での
あたるの本質としてはこうなんだろうな、と。
わりとルッキズムも持ち合わせていたしね。

従業員を脅して口封じするトンちゃんと温泉マーク。
完全にヤクザのやり口だが、
“ヤクザのやり口”というのが忌避されるのではなく
少年漫画のギャグにまで降りてきている、
というのがこの時代の文化でもある。

先鞭をつけたのはドリフなどかもしれないけれど
少年、小中学生も
「ヤクザってこんな感じだよな」と
認識していたっていうわけで。

まぁしかし現代では矛先が変わって
『推しの子』辺りを見て
「芸能界ってこんな感じだよな」と
共通認識になったりしているから、
興味の対象が移っただけであって
「昔は良かった」ということでは
ないのかもしれないけれど。

あたるの浮気の証拠をラムに見せるテン。

テンはインスタントカメラを使ったから
すぐにラムに見せることができたのだ
(“ポラロイド”は商標である)。
現代ではカメラの液晶画面で確認できるから、
DPEでは数日かかる、というのも
時代性のあるネタになってしまったのですなあ。

平安京防衛軍と“ぬーちゃん”の決戦を
自分も観戦しに行くという しのぶ。
この しのぶ、ずいぶん美人に描かれていますね。
うる星随一ではないでしょうかね。
優しい笑顔だからというのもあるだろうけど
子ギツネや因幡クンといる時は
女子高生らしく“すっぴん”風だからなぁ。

「すごい美女」と紹介される、セコンドのラム。
忘れられがちだけど、ラムは絶世の美女なのだ。
シャツの袖を捲っているのもショートパンツなのも
たまらんなぁ!(普段のビキニのほうが
露出度高いのに)

うっかり受け入れてしまいそうになるけど
武道・格闘に混じって
トンちゃんが野球の格好なのはギャグだし、

リングの照明の提灯に
EXPO'70のマークが付いているのも
ギャグなのだ。

してみると、『平安編』において
トンちゃんがメインで起用されたのも

こういったギャグの間持たせとして有用だから、
という理由があるのだろうな。

最後はドタバタのコマで締め。
脚注で“低次元”と称されているが
観客の眼がラムたちのキャットファイト
注がれているあたり
下衆い感じが濃厚にたちこめており、
世相というかなんというか
古い文献を見ているような気持ちにさせられる。
決して“古くさい”というわけではないが それは、
僕自身が昔、その時代にいたからこその
懐古趣味が入っていることは否定できない。

今の若い読者にとってのそれは
我々がトキワ荘辺りの作品に抱く感覚と
同じ感じになるのだろう。

『平安編』はネタとしても
古い時代に(当時の)新しいものをぶっこむという
いわば“パロディ”の手法であり、
だから時事性が強く出てしまって
時代が流れれば陳腐化するのは仕方ないのかもね。

まぁでもラムがかわいいからいいのです!

〈おしまい〉