ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









仮にも一国の王女である


今回は大人の話をします。
子どもは帰った帰った。


2024年に放送された
うる星やつら』ボーイ ミーツ ガール編ですが
アニメーションとして
突如 がんばったシーンがいくつかあります。


まずは『結婚するって本当ですか』での
カルラの“ぼろぼろぼろ”。
これは前にも取り上げました
唐突に濃密なアニメーションが展開されるので
違和感がありまくりでした。


次もやはりカルラ。
「嫁に…来てけろ。」のシーン。
はっきり言ってカルラは舞台装置でしかなく
助演女優以上のものではないのですが
ラムを差し置いて特別扱いされているような
感じさえ受けます。


もうひとつはここか。
「ダーリンのバカぁっ!!」のラム。
表情が、濃いです。
ずいぶんこってりした連続描写でありますね。
中割りの顔はすごく好きだけれども。



要するに何が言いたいかというと
泣き顔ばっかりやん、ということなのです。

もっとも、大昔の漫画の流行りにあったような
泣いている女の子を守ってあげたいという、
そういう需要に向けての泣き顔じゃないんですよね。
たぶん、“失恋ソング”にも似た
共感いいねを集めるためのもののように思います。


さて、ボーイ ミーツ ガール 編では
ラムの性格が、原作とはだいぶ変わっているように
僕には感じられました。
要点から先にいうと
うじうじと未練たらしい。決意もろくにできてない。


躓くあたるを見て辛そうに呻くラム。
アニオリです。
あたるの身体的苦痛に同情しているのか、
それともあたるの辛い状況に
敵ながら苦しみを共有しているのか。

しかし転ぶことなど
電撃や、あるいは民衆からのリンチに比べたら
なんということはない。些細なこと過ぎる。

このラムは、人を傷付けることに対する
覚悟が足りてないんじゃないでしょうか。
人を傷つけることに自分が傷付く、
そのことに今気付いたかのような、
あるいは想定よりも辛かったかのような振る舞いは
この大事件の規模に比べると、あまりにも稚拙です。


あたるの気持ちを確かめたいだけなのだ、
と殊勝な顔つきでいうラム。アニオリです。

“好きだといってほしい”と“確かめたい”とは
明確に違います。
“好きでないなら記憶を消す”と
“確認できないなら記憶を消す”は同じじゃない。

ラムはもう
記憶喪失装置を作動させることを
自ら選択した後なのです(弁天は関係ない)。
すべてを失う大きなリスクもわかっているはずです。
確かめたいだけだから何だというんでしょうか。
共感を得ようとするあまりに
こんな無責任なセリフを言わせるのには
まったく同意できません。
原作のラムはもっと覚悟を決めていましたよ。


ラム「なんで…!?」
問題はここからです。

「ウソでもいいから」
口が開いていないので、これはモノローグでしょう。

しかし、上坂すみれの演技もあいまって
あたるに懇願する体のラムとなっています。
あたるには聞こえていないでしょうが
視聴者には聞こえているし、見えている。
ツノを待たずして、ラムはもう堕ちている。

はっきりいって勝負になってない。
この時点で勝負が終わっています。
そして、そんなことはあってはなりません。
鬼族にとってこれは、ここ一番の勝負だからです。

途中で迷いが出るような、そんな気持ちで
あたるを翻弄したのでしょうか。
そんなことは
あってはならないのではないでしょうか。

しかし実際には、
ツノを待たずして、ラムはもう堕ちている。


ボーイ ミーツ ガール の鬼ごっこを指して
史上最大の痴話ゲンカ、のように
語られることもあるけれど
ラムの消失がかかっている点で
今までの喧嘩とは全くわけが違います。
なあなあで終わらせられない、
だから鬼ごっこという手段だったと思うのです。


今回のように、ラムの未熟な気持ち一つで
友引町や地球がぐちゃぐちゃにされて、
というか『うる星やつら』という物語が
それで終わらせられたら、たまらんのですよ。
サカってんじゃねえよ。


“感動ポルノ(Inspiration porn)”という言葉が
ありますが
僕は、今回のボーイ ミーツ ガール 編について
同様の印象を持ちました。





〈おわり〉