最近『うる星』の本質についてずっと考えています。
オタクが虐げられていた時代の
アニメへのレッテル貼りに
「ロボットや戦車で戦うヤツに
半裸の美少女が出てくるヤツでしょ!?」
みたいなのがあって、まぁそれはその通りで
実際それが『うる星』だったと僕は思ってて。
だから僕にとって「ロック・ザ・プラネット」は
大正義なんですね。

さて、原作者の高橋留美子氏は
『うる星』の中で好きなエピソードとして

『悲しき雨音』(1-3)、

『白球にかけた青春』(5-4)、

『最後のデート』(24-2)、
の3つを挙げられています。
どれも面白いエピソードですが
この並びはもしかしたら
3つ並べてバランスをとるためでは?とも感じます。
『悲しき雨音』はSF、
『白球にかけた青春』はギャグ、
『最後のデート』はラブ。
その中で今回は、『最後のデート』について
ちょっと見ていきたいと思います。
『最後のデート』は人気エピソードですし
僕もわりと好きです。
しかし『うる星』らしいか、代表エピソードか、
といわれるとそうではない気がする。
(高橋留美子氏は“お気に入り”を挙げたのであって
代表エピソードを選んだわけではないので
高橋留美子氏の選考がどうの、
という話ではありません)
まず、望ちゃんは幽霊です。

この、“幽霊”というモチーフは
厄マンあたるが呼び寄せたのか。
言い方を変えれば
『うる星』ワールドが呼び寄せたのか。
そういう見地で見ていくと
望ちゃんは実は“幽霊ではない”ことに気付きます。
彼女は幽霊キャラではない。
幽霊の属性が何ひとつ描かれていない。
呪力があるわけでもなく
壁を通り抜けて何かするわけでもない
(あたるのスキンシップはスカってましたが)。
いやいや死んでいるではないか、
もう実在しないではないか。
幽霊だからこそ
あたるに会うことができたのだ、
そういう向きもあるかもしれませんが
それは彼女の勇気の問題かもしれません。
死んだ後でなくても、
余命いくばくもない少女の恋、という話なら
そういう漫画は星の数ほどあることでしょう。
僕の知っているのは
『ファントム無頼』の『愛と死の大空』
ぐらいですが。



まぁ『最後のデート』はパロディでもありますし。
そして『最後のデート』では
ラムも特別な能力を発揮したりはしません。
つまり『最後のデート』には
『うる星』における“奇想天外”さが見当たらない。
もちろんそういうエピソードがあってもよくて、
実際に僕も『最後のデート』を
好きではあるのですが
これは『うる星』の本質ではないだろう、とも
また思います。
番外編、スピンオフではないのか、と思うのです。
毎度毎度例に出して申し訳ないですが
『県立地球防衛軍』の『摂氏34度の退屈』は
最高なエピソードだけれども
『県立地球防衛軍』の本質ではないよね、と
そう思うのです。

ただ、『最後のデート』は
望ちゃんを幽霊にしたことで
ギャグ漫画として成り立たせ、
新規性も感じさせたということで
すごい“手腕”でもって制作されたなあ、というのは
痛切に感じます。
この辺り、高橋留美子氏には
アレンジャーというかプロデューサーというか
ある意味で商売人としての
ものすごい才覚があるのだなあと思います。
島本和彦氏が

「高橋留美子はタイミングだけで生きている!!!」
と描いていましたが
それは一部的を得た話であって
時流を読むのが上手いというかなんというか
成功を掴む感覚に長けているんだろうな、と
思いますね。
まぁ「だけ」とは思いませんが「だけ」とは。
とりとめのないおしゃべりにお付き合いくださり
ありがとうございました。
次回もどうかよろしくお願いいたします。
〈おしまい〉