X のおすすめタイムラインを見ていると
『らんま1/2』に触れたものが多くなってきたなあ、
と思います。
おおむね 乱馬とあかねの初々しい恋の仕草を
紹介してくれているのですが、
本編と違ってSNSのポストでは
そういうラブラブなシーンにかなり偏るので、
この二人が常にときめきあっているように
見えてしまいます。『キックオフ』かいな。
『らんま』ライト勢の僕から見ると
なんだかもう、二人の恋の行方が全然心配じゃない。
なんでしょうね、アクシデントはあっても
彼らが別の人を好きになることはないんだろうな、
そういう達観した感じがある。
安心感といえばそうなんだけど、
ちょっと“ネバーランド”的な雰囲気もありますなあ。
それは『うる星』も同じでしたが。
さてそんな中で思ったことがありまして
それは“許婚”という言葉の持つ“言霊”的な話です。
『らんま』作中でもしょっちゅう使われている
この“許婚”という言葉。
本来的には、本人たちの意志に関わらず
親同士が勝手に決めた婚約のことで、
現代社会では結構忌避されていそうな
仕組みなんじゃないかなと思います。
(今やってる大河『光る君へ』見てても
政略結婚ごっついなー、と思うし
藤原彰子(一条天皇中宮)本人も
めちゃくちゃ文句言ってますな)
結婚を約束した間柄、または
そこに到達する意思をお互いに持ち合わせる間柄、
というなら“婚約者”と言い換えられますが
そうでなく“許婚”という言い方にこだわる場合、
本人たちにとっても、“親同士が決めた”
という経緯が重要な意味を持つ表現にみえます。
“運命”のようなニュアンスを
込めているんでしょうかね。
呪縛でもありながら、
“出会い”のひとつの形であることも確かです。
もっとも、あかねの朝の校門での乱闘を見る限り
出会いに困ることはないはずなのですが。
許婚、ということで相手へのこだわりが生まれる。
すると、他の異性に好意を持つことが
明確に不貞行為となって足枷となる。
そうなると、朝の校門のモブたちに
出る幕はありませんなあ。
なかには結構いい奴もいたかもしれないけど。
「俺の許婚」「私の許婚」、
これを言いかえる場合に、では
「俺の婚約者」「私の婚約者」でいいかというと
ちょっと違う気がするんですよ。生々しいというか。
許婚というシステムが既にファンタジックなので
「俺のお嫁さん」「私のおムコさん」あたりが
相応しい感じがしますねぇ。
結婚後の家計管理とかそれこそ夫婦生活とか
そういう要素を感じさせないような。
作品的には、二人をケンカさせたい場合に
「親が勝手に決めたことだから」と
反体制という方向に問題をすり替えることで
キャラの評価を落とすことなく
緊迫したムードに持ち込め、
都合がいい部分もあったのではないでしょうか。
よく考えてみれば
戦後高度経済成長期以降の自由恋愛時代に
“お見合い”が煙たがられていたことにしたって
今から考えると、よくわからんことではありますね。
まぁ当時は今よりもっと“断りにくい”時代、
だったのかもしれませんが。
昨今、お見合いという方法が再評価されていたり、
それこそ“出会い系”や“マッチングなんとか”が
重宝されているのを考えると
世の中変われば変わるもんだなあ、と思います。
〈おしまい〉