先週に引き続き、今週も
『ラム・ザ・フォーエバー』のレビューを
やっていきます。第2回です。
視聴しながら
同時進行でテキストを打っているので、
まだ最後まで見ていません。
しかしこの第2回で扱うところまで見て、
「こりゃヤバいものに手を出してしまった」
という気持ちでいっぱいです。
上手くまとめられる気がしないというか
僕なんかに理解できる代物ではないんじゃ?
とまで思ってしまいます。
感想は全部見終わってからになるかもしれないけど、
できることから少しずつ。

第二幕は、
ものすごい強風に飛ばされるジャリテンから。
ジャリテンすごいな、って思うのは
彼が一人で登場することで
そこまでのお話と、
きっちり舞台が変わるところです。
ジャリテンって、ピンでやれるキャラなんですよね。
誰の補佐もあてにしないで
自分の人生を生きているからかなぁ、
と思います。
杉山佳寿子さんのアフレコの説得力も
あってのことだと思いますが。

教室で弁当の早食い競争をするあたるとパーマ。
パーマはやっぱりまつ毛がいいな。

食欲が満たされて次は性欲じゃ、とばかりに
しのぶ、そして竜之介に変態行為で迫る あたる。
そんなあたるに天誅とばかりに
電撃を浴びせるラムだが、その電撃には
いつもの威力がまるでなかった。



そんなはずは、と罪のないランちゃんに
電撃を試してみるラム。
えっ、それはちょっとひどくない?
そのおかげでランちゃんの、
身悶えサービスカットに繋がるとしてもさ。

同時刻、友引高校を季節外れの昆虫の大群が襲う。
暮らし慣れた“いつもの日常”から
違う世界への変容を表しているようだが
それが“座標の違い”というわけではなく
“同じ世界の変質”だと主張しているところが
押井作品に迫ろうという意図を感じて
ちょっと面はゆい。

襲来したトンボの複眼に映るラム。
自然界、つまり自然の摂理が
“ラムを目がけている”というのは
ちょっとどうなんだろう。
確かに石油騒動などあって
ラムは地球にとってもゲームチェンジャーだったが
それは知的生命体として通常営業であり、
地球、いやもっというと“宇宙”が相手にするほど
ラムは大きな存在ではないはずだ。
ただまぁこの辺でうっすら感じてくるのは
このLTFが『うる星やつら』という作品世界を、
あるいは作品を取り巻く世界を
メタ的に表現しているのだろう、ということである。

ラムは徐々に能力を失っていく。
電撃の弱体化に続いて飛行能力も落ちてゆく。

そんなラムを、風見鶏の“目”が見つめている。
この視線は、BDで窓からしのぶを見やる
男の後ろ姿にも通ずるような気がするなあ。

デートする面堂としのぶ。
エレベーターでラムとすれ違っても
それがラムとわからない。

メガネもカクガリもチビも
ラムではない、別の女の子に惹かれ始める。
チビのセリフ
「でも、どうしちゃったんだろうなぁ俺たち。
ラムちゃん以外の娘なんか、これっぽっちも
興味なかったのになぁ…」
いや~、そうだよねぇ…本当にねぇ……。
ラムの能力の喪失、
また存在感の希薄化とくれば、
まさしく『うる星やつら』の終焉を
匂わせているのだと気づかざるを得ない。
しかしそれは、RMLで一度やったんだが。
BDが“終わらせられない物語”を描いたことは
この当時でもファンの間では周知の事実で、
それに対してRMLは、仮想的に“一度終わらせた”。
RMLと同じことをまたやるとも思えず、
であればこのLTFで消失するのは
『うる星やつら』ではなく“ラム”なのだろう。
だってタイトルがそう言ってるし。

突如地震が起こり、太郎桜のあった丘は陥没。
ついで隆起したあと、小さな湖が生まれた。
太郎桜の切り株は湖の底に沈んでしまった。

同じ頃、ラムは孤独感に身をやつし、
「何か忘れ物をしているような気がする」と呟く。
そんなラムを、突然街の騒音が襲う。
「うち、こんなにたくさんの音があったなんて
知らなかったっちゃ…」と怯えるラム。
なんらかのメタファーなんだろうと思うけれども
それは『うる星』制作陣に対する批判や
ヘイトのようなもの、ということだろうか。

その騒音のイメージ映像に一瞬出てくる男性は
『ときめきの聖夜』のあたるかと思ったけど


靴が違いますな。

数日後、朝のジョギングをするラムに
今度は小鳥たちは寄ってこない。

少し後のシーンでは、
部屋に入ってきた小鳥にラムが
「もううちには、何を言ってるのか
わからないんだっちゃ…」と言うんだが、
この辺りからよくわからなくなってきた。
映画冒頭で、
ラムやランが小鳥たちと通じる描写があったが
それはつまり小鳥たちが“善きもの”であることを
示している。
ラムが能力(神通力)を失う、
つまり“人気を失った”ことで
“善きもの”たちの声が聞こえなくなる、というのが
よくわからない。
踊らされていた時には聞こえなかった善意の声が
踊りを止めたら聞こえるようになった、
というならわかるのだが、
このラムのように
すべてを失っていきつつあるさなかに
善意の声さえも届かなくなる、というのは
あまりにも救いがないのではないか。

アルバムを眺めていた面堂は、自分たちの生活から
ラムが消え始めていることに気付き
あたるとメガネを自宅に呼び寄せる。

ここで黒メガネではなく、
黒子が迎えに来るのは正しいのか?

アルバムの写真からラムが消えていることに
驚くあたる。
これはすぐに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
を連想するが、BTTFはLTF公開の
わずか2カ月前に日本公開であり、
インスピレーションを得たとしても
制作に反映するのは
時間的に難しかったのではなかろうか。

「今日から日記をつけようと思うっちゃ」
この場合のそれは、“生きた証”ということに
なるだろうか。


女はええんか。女は得じゃのー。

すべての異常現象は、
自主映画を境に始まっているという面堂。
この時点で太郎桜に考えが及んでもよさそうだが。

同じ頃、帰宅したジャリテンとじゃれ合ううちに
飛行能力を失っているラムは
誤って窓から転落してしまう。
ラムを気遣うテンは、
ラムの角が無くなっていることに気付く。
む、さっき小鳥とのシーンでは角はあったから
わずかな時間で無くなったことになるな。
角が無くなったことにラムは無自覚なのか。

祖父からのアドバイスで
太郎桜を引揚げて調べようという面堂たち。

その作業の途中、
ご神木と一緒に 鬼姫の骸骨が発見される。
自主映画でラムが演じたのがこの鬼姫なわけで、
この骸骨とラムを重ね合わせてしまうのは
観客としては当然なことで。
どうにも悪趣味だなぁ。

胎児のような意識体がラムを呼ぶ。

ラムが窓の外を見ると
あたるが幼いラムと手を繋いで立っている。

家の外に飛び出したラムは
道化師の一団にいざなわれるまま付いていく。
この辺、どうにも押井氏を意識しているのが
色濃く感じられてしまうんだけど
それはやまざきかずお氏がそうしたかったのか、
観客が求めるものを探ったらそうだったのか。

直後、ラムの身を案じたあたるが
あわてて帰ってくるのだが…
ん? これは太郎桜を引揚げた後なのか?
骸骨を見たからラムを心配しているのか?
鬼姫の骸骨とのその後の描写がなかったから
あたるの心情の流れがよく掴めんな。

あたると入れ違いに湖にやってきたラムは
口に何かを含んでから
水の中に入っていく。

おそらく酸素を供給するカプセルだろうと
想像は付くが、
あきらかに入水自殺を仄めかしており、
たいへんに胸くそ悪い。
とりあえず今週はここまで。
ヒロインの失墜を、死とイコールのように
表現しようとしているのだろうか。
わからんでもないが、それは悪趣味だし
なにより『うる星』は“娯楽作品”だからなぁ。
前衛芸術を見に来てるんじゃないのよ。
まぁ続きを見ないと何とも言えないけどね。
今回はややあらすじ紹介に近くなってしまって
申し訳ないです。
うーん マジやばくね?
〈つづく〉