“面白い”には理由がある、というのは
結構 真理だなと僕は思っています。
意味もなく面白い、っていうことなんてなくて
面白さを言語化できないということなんじゃ
ないかなぁって思うのです。
漫画をリピートして読んでいる時などに顕著ですが
なぜ面白いんだろう、と考えること自体が面白い。
逆に、漫画のアニメ化の折りなどに
なぜ面白くないんだろう、と考えるのも
これまた探求心が満たされて面白い。
さて、今回は竜之介の「きゃー」を取り上げます。
エピソードは15-5、
『蘭は女の香り=その2=』です。
図式としては、
女らしい所作を身に付けたい竜之介が
ランちゃんの嬌声を小声で真似してみるという感じ。
この“小声で”というのを表す言葉が
なかなか見つかりません。
・おどおどと や、
・おずおずと みたいな“気おくれ”はしていない。
・ぽつりと というふうな寂寥感もない。
どう言えばいいかを考えることがすなわち
竜之介の気持ちを考えることでもありますが
ランに聞かれないように小声、なわけじゃ
ないんですよね。
(4/6 18:30追記:女らしさの吸収のためのデート、
というのをランに悟られたらマズい、というのは
もちろんあるでしょうが、それは笑いのために
小さい文字で書く理由とはちょっと違うでしょう)
ここで小声なのはもっと大事なことがあるからで、
その“大事なこと”というのは
「きゃ~っ!」というランの嬌声を
咀嚼し、理解し、吸収することでしょう。
つまり小声なのはある意味
“うわのそら”だからとも言えます。
それでも一応反復しておかなくちゃ、
という考えからの「きゃー」であり、
このコマが物語るのは
竜之介の“真面目さ”なのだと思います。
真面目な描写がなぜ面白いのか。
例えば『ミス友引コンテスト;本線』(18-8)の
この教養度テストの場合は
なんだかんだいって竜之介を蔑む笑いですが、
「きゃー」のほうでは蔑みが存在しない。
だって、竜之介は確かに
女らしさビギナーのトランスジェンダー(?)ですが
読者も含めてそのエキスパートではないのだから
蔑む構造にならないですもの。
『別世界への招待』(30-10)で
面堂がカップラーメンに感動するシーンは
感情としては結構近いような気がするんですけど、
これはブルジョアを揶揄する笑いであり
カップラーメンが我々庶民に近しいからこそ
面白いんだと思うんですよね。
「きゃー」は結構難しい。
もしかしたら「きゃー」は
面白いのではないのかもしれない。
ひょっとして、竜之介のたどたどしさが
「可愛らしい」だけなのではないでしょうか。
その微笑ましさというか
愛らしいものを見て和む・口角が緩むことを
“面白かった”と捉えてしまっているのでは
ないでしょうか。
なんていうことを考えている今日この頃です。
おまけ
『ランちゃんのデート大作戦!』では
名言「けっしごっむくっださっいなっ!」が
たいへんよろしゅうございました。
また「読めたでラム」からの
「わしラムが嫌がることするの大好きやんけ!」、
そして高笑いまでの、井上瑶さんの演技が
最高過ぎました。
そうそう「両ひじをわき腹につけ…アゴをひき…」
も竜之介の代表的な名セリフですが
田中真弓さんの好演技が光りましたなぁ。
というわけで。
〈おしまい〉