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『鏡が来た』レビュー その4

 
(前回その3はこちら


例えば“鏡”による“死に戻り”について。


瑛人が歩道橋で殺されて、犯人の先生は逮捕される。
他の連続殺人がありますから、
先生はおそらく死刑になります。

人間社会の司法としては、それでおしまい。
決着が付きます。


さてこの時、菜々が瑛人に興味を持たず
彼女自身がタイムリープしてこなかったら
どうなったか。

瑛人が歩道橋で殺されて、先生は逮捕される。
瑛人は9日前の過去に死に戻る。
瑛人は模試の日にまた殺される。
また9日前に死に戻る。
また殺される…。


ここのタイムリープでは記憶が維持されるので
瑛人もなんらかの対策を講じると思いますが
繰り返しを抜け出す前に
おそらく何度も殺されるはずです。

この、9日前への死に戻りは
物語の設定としてかなりむちゃくちゃです。
“鏡”が思念体によって創られたものなのかどうか
わかりませんが、この“死に戻り”については
ただ物語を成立させるためだけに
作られた設定でしかないです。


いやいや、物語の上でも菜々は
実際にタイムリープしたわけで
起こったそれが事実なんだ、事象なんだ、
という向きもあるでしょう。

菜々は、歩道橋の事件の時に
瑛人の“鏡”に気付いてタイムリープを決意します。

では、瑛人が“鏡保持者”でなかったら
放っておいたのでしょうか。



前回、邪心を引きずり出すことと
その浄化は別々なことだと書きました。

また瑛人が先生の邪心との対決において
その引きずり出しに“鏡”は使わず
主にバットを使用したことも書きました。

浄化の前に邪心との対決がある限り、
そこは物理的なバトルになる。

そしてそこで
瑛人が主にバットで戦ったということは、
タイムリープ以降、瑛人が“鏡保持者”なことに
ほとんど意味がないということになります。


菜々はタイムリープにおいて
瑛人との共闘を計画していたわけではない。
していたとしても、瑛人の“鏡”は非力なので
彼を選んだことはあまり意味がない。


それは瑛人にも係ってきていて、

冒頭からくどいほど聞かされる
“やりすごしてしまった”というフレーズに
意味がないことにもなります。
やり過ごさなくても、能力では勝てないから。


物語の構造が、バラバラです。


そのバラバラなことを、

“普通の人の平凡な日常”に溶け込ませて
なんとなく市井の人々の描写のようにしていますが
プロットとしては全然練られていないと思います。


雑談みたいな打ち合わせからは
この程度のものしか出てこないのかもしれないし
編集者がものを言ってはならぬと
厳命があったのかもしれない。


そりゃ僕みたいな塵芥同然のやつに
批判されますって。



ただここまでレビューを書いてきて
僕が思うのは
やっぱり足を踏み入れるべきじゃなかった、
ということです。


嫌なら読むな、と言われるのは絶対に違うし
読んでから言わなきゃ、と思うし
読者には批判をする権利があると思うけれど


嫌になるから読まないでおこう、と
自分で自分に言うのはアリだよな、と思うのです。


やっぱ失敗したわ。


〈おわり〉