少し前に漫画家による自伝漫画が流行りましたが
最近はそれが一ジャンルとして定着したのか
落ち着いてきて、
代わりにというわけでもないですが
なんだかよく見かけるなー、と思っているのが
漫画編集者の絡む作品です。
金字塔として『編集王』がそびえ立っているのは
当然ですが。
最近読んでいるのは
『モノクロのふたり』
『月刊トリレンマ』
『来見沢善彦の愚行』
あたりですね。…ジャンプ系ばっかりやん。
まぁ何が怖いって
こういう内情漫画を読んで
知った風な感じになるのが一番怖いので
気をつけなければと思っています。
これらの作品に触れていることもあってか
漫画作品の組み立てについても
考えたりするのですが、
最近考えていたのは
長編漫画ってなんだろう、ということです。
単純に話数が多いものが長編漫画、というのは
あまり当たっていなくて、
一般的には長大なストーリーものを
指すんだと思いますが、その区分けは
“一話読み切りタイプ” かそうでないか、
だけなのかっていうお話です。
例えば『うる星』は34巻出ていて
第1話と最終話は繋がっていますが
長編ストーリーというわけではない。
週刊誌掲載漫画として
どこから読み始めても一応成り立つような
“一話読み切りタイプ” で作られていると言えます。
では『めぞん』は?といった時に
これを “一話読み切りタイプ” という人は
あまりいないんじゃないかと思いました。
エピソードに連続性があって、
そこまでのストーリーを知らないと
理解できないシーンがままありますので。
そうでないエピソードもありますけれどね。
“一話読み切りタイプ” ではない反語として
では長編漫画なのか、といった時に
そうではないんじゃないかと思うのです。
ボリュームのある大きなストーリーがボンとあって
それを端から掲載ページ数分ずつ切り分けていく。
一棹の羊羹を
少しずつ食べていくイメージでしょうか。
途中、予期しない出来事があって
お煎餅を食べることもあるかもしれませんが
基本的に、羊羹の内容や大きさは決まっています。
そうではなく
まだ形になっていないものを
作るそばから提供していく、
いや順序が逆で、提供するために毎度作る。
最終的にどのぐらいの大きさになるのか
終盤までわからない。
わんこそば型とでもいいましょうか。
『めぞん』はこちらのわんこそば型だといえます。
というかある時期までの連載漫画は
掲載誌を存続させるために存在しており、
人気がある限り続ける、というのが普通でしたから
当たり前といえば当たり前です。
手塚治虫だってそうだったでしょうし
往年のTVドラマからしてそうだったことでしょう。
ただ、じゃあ、メッセージ性はどうかというと
それについては羊羹型のほうが
エピソードの純度が高いですから
伝達性において優れていると思います。
『めぞん』は実際、“日常系”なのだと思います。
“恋愛もの”ではなく。
もちろん恋愛要素はあるし、というか
惚れた腫れたばっかりやっていますが
それは日常、生活、人生に内包されていて、
人間の営みと言いますか
五代くんも響子さんも
恋愛をするためだけに
生まれてきたんじゃないと言いますか。
例えば皆さんの知人にも
既婚者はいらっしゃると思いますが
その方の馴れ初めをことさら
感動的なラブストーリーだとは思わないですよね?
それはあくまで日常に根差したものだ、と。
『めぞん』は…まぁ元々が
コメディ路線だったこともありますが…
連載漫画として
彼らの日常や人生を描いたものであり、
それは“彼らの場合”であり、
「五代くんみたいな恋愛がしたい」というものでは
ない気がするのです。
「五代くんみたいに振舞おう」
「響子さんみたいに振舞おう」
「三鷹さんみたいに振舞おう」、
そういう感じじゃないし、
同じように振舞うケースは我々にはない。
だってそれは
状況状況に応じて変化していった
彼らの人生なんですから。
んでもってそれは、
わんこそば型の連載漫画だったことが
大きく影響しているのではないかなぁ、と
思ったのでした。
〈おしまい〉