もう最終回を迎えたんですが
『姫様“拷問”の時間です』という漫画が
大好きでして。
アニメ化もしていて
今期、2期を放送していますね。
アニメのほうは漫画とだいぶん
売り方を変えてきてるな、と思ってます。
アニメのほうは僕の好みからやや外れていて
結構寂しいのですが
クオリティ自体はちゃんとしているので
プロが“わかってて”変えた結果であり、
であればまぁ致し方ありません。
漫画のほうの“するめイカ”のような面白みを
初めて知る人にも味わってもらいたい、という
“布教したい気持ち”はありますが
アニメの“スイーツパラダイス”的な
作風のほうが、多くの人にリーチするという
作り手側の判断なのでしょうから
それは受け入れなくてはね。
『うる星やつら』の
最初のアニメ化にあたっても
初期原作ファンは、同じような忸怩たる想いを
持ったことでしょう。お気持ちはわかります。
でもまぁあの頃は「アニメ」という言葉すら
一般的ではなく、「テレビまんが」というのが
世の中の意識でしたから、
文化レベル的にしょうがなかった、のも
事実かと思います。
昔のアニメの復刻・リメイクは今も続いていて
そんな中でいろんな作品の感想において
「昭和の笑いを今やっても時代遅れ過ぎる」
という意見が見られます。

時事的なものはもちろんそうなのですが…
“笑い”ということにおいて、
ネタと演出がそれぞれ存在しており
“ネタ”のほうは古今東西たいして変わらず
ずーっと同じことをやっててなお 面白い、
ということを
わかっていたほうがいいと思います。
落語しかり、チャップリンしかり。
先ほどの
『姫様“拷問”の時間です』を読んでいて
ふと

『春のうららの落第教室』(3-7)
「春眠、こやつら ちと手ごわいぞ。」を
思い出したんですよね。

「まずいぞエクス」とほぼ同じなんですよ。
もちろんこれはパクリとかの批判ではなく
こういうボケとツッコミは
定番だということです。
つまり“ネタ”はぜんぜん古くなんかない。
現代でも十分通用する。
ここで昭和アニメ『春うらら居眠り教室』から
同シーンを見てみましょう。

万珍樓「春眠こやつら手ごわいぞ」
春眠「フンだ。」
という感じですが、あきらかに感覚が古い。
漫画のほうが


コマが一瞬で(読者のタイミングで)
切り替わるのに比べて
アニメのほうは

あ「面白そ~、俺もやってみようっと」

万「うぅっ、はぁぁ、ダメだ」

春「ホントにダメだこりゃ」

万珍樓「春眠こやつら手ごわいぞ」

春眠「フンだ。」
となっていて、
くどい。だるい。スピード感がない。
漫画との比較で、ここだけ見るとね。
「春眠、こやつら ちと手ごわいぞ。」の
ギャグを楽しみに見ていると
そういう印象を持つと思います。
僕もそうでした。
ですがこのシーンは長回しで続きます。


万「こういう手合いを眠らせるには」
(ヒソヒソ)
春「わーっ!〇〇じゃ〇〇じゃ!!」
万「シッ!静かにせんかい。
この際やむを得んのじゃ」
作中で、漫才のステージをやらせてるんですね。
ちょっと前にブログで取り上げた、
『竜之介VS弁天!むなしきお色気大決闘』の
『新妻鑑』と同じ手法といえるでしょうか。

「ちと手ごわいぞ」という珠玉のギャグを
押井氏の絵コンテで漫才風のコントにしたのは
評価が分かれるでしょうが、
尺を埋めるという仕事を考えると
「まぁそういうやり方もあるかもな」と
思わないでもないです。
ただまぁ、ネタではなく演出でいうと
ちょっと古い感じはします。
昨今のイケてるアニメなどでは
複数の会話をカブせたり
視聴者が聞こえにくいような音量に絞ったり、
笑いを先鋭化しています。
理解できる人にだけ届けばいい、というような
ともすれば傲慢ともいえるような手法ですが
そのやり方と、
万人に届く一句一句わかりやすい台詞回しと
どちらがコンテンツとして望ましいか、
っていう話ですよね。
それはもう売り方の問題であって
どっちが正しい、ではないわけですが。
まぁでも観る側の人間は
ワガママな消費者でいいんだと思います。
俺はこっちがいい、いやこっちだ、
それでいいんじゃないですかねぇ。
おまけですが、この
『春うらら居眠り教室』は
ハッとするようないい絵が散見されまして





クレジットを見ると

こうで、石井邦幸氏か金沢勝真氏が
担当したのかなって思うんですけど
すごくいいですなぁ…。
面堂の頭も設定と違いますがとてもいい!!

ラムの唇が奪われなかったのが
今から思うと残念な気がしますが
遠藤麻未ラムらしいこのカットもよかよか。
〈おしまい〉