ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









メガネかサトシか リメイク版アニメ「うる星」に寄せて

リメイク版アニメ「うる星」について語られる中で
たいへんよく出る話題が
“押井色”と“メガネ”についてである。

押井氏が今度のリメイク版に関わるかといったら
ビジネス的にそれはまずないだろうと思うが、
そもそもリメイク自体が
およそ考えられないとんでもないことだったので、
可能性はないと断言することはできない。


僕自身は押井ファンではなく、
パトレイバー」も「攻殻機動隊」も
通りいっぺん眺めただけなのだけれども、
それでもアニメ旧「うる星」における
押井テイスト及び「B・D」については
肯定的、というかたいへん好きである。

ただそれでも、
今の時代に“押井テイスト”の「うる星」は
ちょっとよろしくないだろうな、と思うのだ。

まずその最たるものといえる
メガネの“長台詞”だが、これは
今どきのアニメではうまく演出できないだろう。

メガネがマニアックに熱く語るシーンは
当初「俺たちの情熱の代弁」であったが
やがて「自虐ギャグ」となっていった。
それでもアニメ旧「うる星」においては
デカい声で喚く場があっただけまだマシだ。

今日でも漫画やアニメで
そういうキャラは見られるが、
だいたいが他者にまともに取り合ってもらえず、
ややダメな、扱いづらいトホホなキャラとして
画面の向こうで、または見切れながら
勝手に喚いているように描かれている。

要するに今の時代、デカい声の奴は嫌われるのだ。
陰キャが自己満な内容を喋るならなおさらだ。

テンションの問題でもある。
押井氏の演出には
ハイテンションな場面が欠かせないが、
今のこの鬱屈した社会にそれをやられても
ちょっと厳しいのではないだろうか。

「お黙り!」とか
「聞いとんのかおんどりゃあ!」的な、
そういう、勢いで相手を抑えこむようなギャグは、
この時代にはちょっと受け入れられにくかろう。


そしてそれは、
うる星やつら」という存在にも言えるのだ。

原作を、昔の作品として読む場合には
まったく気にならないことが、
新しくリメイクされて提供されたら
すごく気になる、ということはあると思う。

「うる星」のギャグは当時の最新ギャグであるが
そこから文化も進んだし、
何が面白いかの基準も変わった。

「うる星」には、
強引さで笑いを取るエピソードも多々あるが、
それは今の時代にそのままやるには
ちょっと苦しくないだろうか?

狭いターゲットのおっさん達が
懐古的に喜べばいい、と思っているかもしれないが
おっさん達だって日々新作アニメを見て
アップデートしているのだ。


さて。

メガネかサトシか、という問題は
“メガネ、パーマ、チビ、カクガリ、そしてあたる”
という男子グループがクラスに存在しているのか、
それともあたるのクラスに
“サトシ”や“コースケ”がいるのか、
という問題でもある。

今の時代に高校の教室内をデザインするなら
どう考えても後者だ。

集団のパワーが希薄ともいえるが
その反面、個体と個体を繋ぐ糸は
しっかりしたものとして深く描く、
それが令和の若い人たち
共感を得てもらえる描写なのではないかと
僕は思う。


だから本当はもういっそ、新「うる星」は
令和の話にして、ブラッシュアップしてほしいと
僕は考えているのだが、
いろいろあってそうはならないのだろう。

まぁでも素人が考えるようなことは
プロは当然わかっているというのが僕の持論なので
どう料理してくるのか楽しみではある。

今の僕はリメイク版に対して
ラムの可愛さや作画よりも
文化的な部分に最も興味がある。

どうであれ、信念をもって作れば
きっと面白いものになると思うので
がんばっていただきたい。

どうかよろしくお願いいたします。

アニメ・リメイク「うる星」のキービジュアルについて

「うる星」リメイクの話も
ちょっと落ち着いた感がある。
開始は4月だというから、今から騒ぎ続けても
到底持たないというのもあるかもしれないが、
一過性の消費になってはつまらないので
ぜひ、よりよい制作者と視聴者の関係を
築き上げてほしいものである。


さて、リメイクの話が出てすぐに
椎名高志氏がラムの描き方に言及していた。

中でもツノについて、
猫耳はダメとおっしゃっていたが
原作のラムのツノは(主に作画上の都合で)
頭骨からまっすぐ生えておらず、
まさに“猫耳”のように描かれていることが
とても多い、ということは、
ラムをちゃんと描こうとしたことがある人なら
みんな気付いているはず。

ツノといえばリメイク「うる星」のテザーPVでは

f:id:rumicold:20220117213925j:plain

こうなってて、
あぁそうしましたか!と思った。
なかなか思い切りましたね。


先週ちょっと言及したが、
令和版「うる星」のKVのイラストには
いろいろと思うところがある。

f:id:rumicold:20220117214004j:plain

それを書き連ねる前に、
僕がこのイラストを「大好きだ」ということは
声を大にして言っておく。


さて、このイラストを初めて見た時、
40年(実際には三十ウン年)の時を超えて
ラム、及びラムを擁する「うる星」の
“エロチックな魅力”について
やっぱりそうだよね、と僕は思った。


このイラストを一言で表すならば
「ラムの肢体」である。

長い脚は綺麗に折りたたまれている。
顔と胸と脚はとても近いところに配置されていて、
だからその胸も脚も、見たいだけ見ていい。

これはラムを擁する「うる星」が
かつて大ヒットした大きな要因だろうと
僕は思っている。


今の人には想像もつかないかもしれないが
アニメ「うる星」放送開始の頃の日本での
女性の裸身(全裸であれ半裸であれ)に対する
中高生、大学生のアプローチは限られたものだった。

社会人向け週刊誌にはヌードグラビアがあったし
ドラマやバラエティでも
時にラブシーンやポロリがあったりしたけれども、
それらはあくまでも大人の領分であった。

子供から大人への過渡期を過ごす
中高生、大学生たちには
欲望のはけ口という意味合いの
エロコンテンツも魅力的だったが、
異性への“興味”を満たすことも重要だった。

異なる身体を持つ異性が
すぐそばにいる生活とはどんなものだろう。

ラムが体現したのは実にそれだった。

ラムの事をプラトニックに
好きだった人もいるだろう。
何を隠そう僕もそういうつもりだった。

しかしでは
ラムが半裸じゃなくても好きだったかと問われると
あまり自信がないし、
きっと“すごく好き”ではなかったろう。

いや俺はしのぶのほうが好きだった、
おユキさんのほうが好きだった、

そういう人も多いと思うが
だったらもし、ラムが半裸じゃなくても
「うる星」に引っかかっていたかと聞かれて
そうだと胸を張って言える人は少ないだろう。

僕らが「うる星」に惹かれるうえで
虎縞ビキニまでいかなくても、
ビキニアーマーやレオタードスタイルぐらいは
必須だったように僕は思う。

肌の露出が少ないラムが地面を“歩いて”いたら
それはただの御坂美琴なんである。
御坂美琴にラムの代わりは務まらない
御坂美琴御坂美琴で魅力的だが)
(黒子のほうがかわいいが)。

グラビアのような大人コンテンツの中ではなく、
学校で、教室で、ファンタジーの舞台で、
同級生や、僕らの好きな“メカ”と
共演したりしてくれる半裸の少女、
それが「うる星」の魅力だったのではないだろうか。


今でこそ、秋葉原を歩けば、
深夜アニメを見渡せば、
本屋でラノベの平積みを眺めれば、
半裸コスチュームの女の子を
わんさか見ることができるけれども、
半裸の女の子というコンテンツは
当時はそんなに市民権を持っていなかった。

市民権を持っていなかったのは
彼女らキャラと同時に、
僕らのような消費者側もであった。

ラム以前は、半裸の女の子の絵を描くなんて
許されることじゃなかった。
それは“変態行為”だった。

しかし、ラム以降は、
独りでラムを描く分には、
裸を描いてるんじゃなくてラムを描いているのだと
思い込むことができた。

ラムの魅力の一つに空を飛べることがあるが、
しかしそれは“移動方法”として魅力的なのではなく
その事によって、さまざまなポージングを
とらせることができるから魅力的なのだ。
女の子の身体の見たいところを
見えるような恰好をとらせられるから魅力的なのだ。

これは、可動フィギュアで遊ぶ気持ちと
近いのかもしれない。


原作の「大ビン小ビン」(26-5)

f:id:rumicold:20220117214107j:plain

や、「妄想フーセンガム」(26-8)

f:id:rumicold:20220117214120j:plain

の、これらの絵からは、上記のような意味合いを
僕は感じ取るのだが違うだろうか。

そして、新アニメのキービジュアルは
それをもろに受け継いでいると僕は感じたのだ。


ここまで述べてきた内容は、
女の子キャラを性的に搾取していると
いえるかもしれない。
もしそう区分されるなら否定するものではない。

ジェンダー論に巻き込まれそうなテーマにおいて
お前はどちらの味方なのか、
どちらに塩を送っているのかといわれそうだが
本当のことだ。

ただ、射精を最終目標とした性的欲求とは違って
好きなものを愛でる、愛する、
そういうところに喜びを見出す比率は非常に大きい。

それは、例えば
美術絵画の裸婦像と何が違うかといえば
何も違わない気がする。

まぁそんなに高尚なものではなくて
筒井先生や豪ちゃんの描くような、
下世話で、そして人間くさい欲望にまみれた
“人間賛歌”の考えに従っているだけなのだけれども。

「うる星やつら」再アニメ化に向けて

新年あけましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願いいたします。

元旦早々「うる星」再アニメ化という
どぎついニュースが流れてきて、
この正月はまんじりともしなかった。

今年2022年の干支が“寅”であることは
もちろん認識しており、
だから年始の挨拶にもラムを絡ませようとか、
そういうささやかな想いはあったのだが、
そこに突然、メガトン級のパンチを
食らったような心持ちである。

「どうしよう、どうしよう」と気ばかり焦るのだが
どうしようといったって仕方がないし
何ができるわけでもないのだ。
それはわかっているのだが矢も楯もたまらず、
「どうしよう、どうしよう」と
ぶつぶつ言い続けた正月だった。

僕自身はアニメ「うる星」のリメイクに対して
結構肯定的である。
以前の記事で、
無彩限のファントム・ワールド」のルルのように
現代のアニメ技術でのラムを見てみたいと
書いたこともあった。

しかし時代の変遷が、「うる星」のリメイクを
困難にしているだろうとも思っており、
だから再アニメ化を夢見てはいるものの
半ば諦めているような状態だったのだが
そこを暴力的に叩き起こされたので、
気が動転して
いつもでも落ち着かないというわけなのだ。


公開された内容はあまり多くはない。
ラムの新しいキービジュアルと短いテザー動画、
あたるとラムのCV紹介及びキャラ紹介用の立ち絵、
そして製作スタッフの一部紹介というところだ。

そのKVがまた、ありゃまぁという感じで
いろいろと思うところがあったのだが
それは後日改めて書く。ちなみに大好きである。
だが同時にこれは言い逃れできんやろ、とも思う。


番組は4クールという長大なスケールで
放送されるとのことで、
勝負に来たな、と思った。
一連の政権批判やコロナで有耶無耶になった
「クールジャパン」をここでやりに来たのか、
そんな気もする。

そう考えると、
原作者のハーベイ賞受賞も説明が付く。
小学館創業100周年の記念事業として
ひと旗揚げにいったのかもしれない。

まさか国費は入っていないと思うが
今後何かにつけてマスコット化していくようなら
この「うる星」を見送ってしまった営利企業
歯ぎしりして悔しがるべきだろう。


今回のニュースを受けて、
案の定、“うる星”ジェンダー論が
一部で巻き起こった。

このブログがHatenaブログであることからも
お察しではあるのだが
僕もそれらの記事はほとんど読んだ。
怖いから触りにいかないけど。

ポリコレ的にも大きな問題を抱える“うる星”だから
どう料理していくのかは実に興味深い。
竜之介問題もさることながら、
テンは火を吐くのか(そして人を黒焦げにするのか)
友引高校の制服のスカートは膝上なのか、
楽しみでしょうがない。

願わくば、昭和のエピソードにはしないで
令和のエピソードにしてほしい。

期待しております。
よろしくお願いいたします。

読者参加型企画の名作!? うる星「見合いコワし」レビューその2

さて今週はうる星「見合いコワし」(9-7~10)の
レビューの2回目だ。

f:id:rumicold:20211226204341j:plain

表紙のラムは劇場版「地球へ・・・」の
オマージュだろうか。

テンのおまるロケットの後ろ姿は
劇場版「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」の
ヤマトのようでもある。
そういえばテンとあたるはそのキービジュアルの
古代進と森雪のようだ。

f:id:rumicold:20211226204409j:plain

1コマ目から上手いなー!
広い宇宙にポツンと小さな宇宙船、
そこでミニマムな台詞「こら!」が
生きるか死ぬかの大トラブルを
とてもちっぽけなことに見せるのに成功している。

おまるロケットが逆さまになっているのも
推進力がないのだなぁ、と考えさせられて
(当時としては)実に気が利いていると思う。

f:id:rumicold:20211226204431j:plain

“エンコ”なんてもう死語も死語、
国語辞典からも消えているのではないだろうか。
「うる星」の新しい版ではどうなっているのだろう。

f:id:rumicold:20211226204445j:plain

“さすらいの狼”、昔そういうタイトルの
アラン・ドロンの映画や、
同じタイトルの日本の時代劇ドラマが
あったそうな。

しかしあたる(=作者)が持ち出すにはちと古い。
日本の特撮「スターウルフ」(1978)あたりからの
連想なのかもしれないな。

高橋留美子で“ウルフ”といえば“ウルフガイ”だけど
そっちはあまり詳しくないので
その中に“さすらいの狼”というフレーズがあったら
たいへん申し訳ない。

f:id:rumicold:20211226204511j:plain

この(プリムの)宇宙船のモチーフは何だろう?
悪魔族(=プリム)にも、
薬売り(=プリムの変装)にも
特に関連があるようには見えないのだが…。
船体には文字で注意書きがされているようでもあり、
ネタだとしたら、わからないのは口惜しいなー。

f:id:rumicold:20211226204532j:plain

この、いかにも999が立ち寄った風の風景!
空に浮かぶ恒星も、虎柄周波数で
怪しい電波を放出するとかの
謎設定をもっていそうだ。

特に言及はされていないが、この星はもちろん
ラムの故郷である“鬼星”であろう。
宴会スタッフがみんな
ラム(と親父)の身内っぽいし
星の遠景は虎縞っぽいし。

f:id:rumicold:20211226204717j:plain

 

f:id:rumicold:20211226204759j:plain

後ろで出てくる噴水も、
鬼の神話がモチーフのようだ。

f:id:rumicold:20211226204820j:plain

アニメではラムのドレスは紫だったかな。
原作の白っぽいやつのほうが断然いいな。

f:id:rumicold:20211226204834j:plain

読者公募のこういうの、
今の時代ではどうなってるんだろうね。
新しい版では修正されているんだろうか。
この方もお元気なら
還暦を過ぎたあたりのはずだが
その後人生が変わったりしたろうか。

地底のプリンスは
アニメでは千葉繁氏が声をあてたが
千葉繁氏以外考えられない完成度だったなぁ。
「うる星」と親和性の高い、
優れたデザインだったのだろうね。
ドイツのものっぽい軍服と
ニッカポッカを掛け合わせて
ギャグ方向に振ったのも、とてもいい!

f:id:rumicold:20211226204858j:plain

この辺の会話の作り込みを見るに、
作者も相当気に入ってたみたいに思える。
これはファン冥利に尽きるねぇ。
ってこの投稿者の方は、留美ックファンとしては
私よりずっと年季が入った先輩にあたるのですが。
すみません生意気言って。

f:id:rumicold:20211226205015j:plain

プリム扮する薬売りはカタコトの日本語で、
まるで一昔前の中国人の描写のようだ。
薬売り(売薬さん)といえば越中富山であるが、
富山の喋り言葉は、別にカタコトではない。

もしかしたらこうした“口調”も、
読者の考えたキャラ設定の
一部だったのだろうか(ユニといい)。

f:id:rumicold:20211226205027j:plain

胸と、背負った箱にはラッパのマーク。
言うに及ばず某製薬会社のマークだが、
某製薬会社のほうは
ラッパが上下逆さまである。

というわけで
「見合いコワし=2=」のレビューはこの辺で。
ラストまで追うにはあと2回はかかりそうだ。


来週の土曜日曜は正月なので
更新はお休みします。

皆さま、よいお年をお迎えください。

素晴らしき宇宙旅行!! うる星「見合いコワし」レビューその1

つい最近の日本の話題として
衣料品大手のZOZO創業者・前澤友作氏が
自費で宇宙旅行を実行した、というのがあった。

そういえば私はこの2021年冬アニメで
月とライカと吸血姫」というのを
視聴しておりまして。

イリナが過酷な訓練を行ったのに比べて
前澤氏はそこまで苦労したようには見えないので、
その辺もテクノロジーの進歩なのかなぁと
思ったりもしたわけです。

そこで思い出すのは「うる星」の

f:id:rumicold:20211218155318j:plain

これですよな。

古くはアポロ計画の時分から
SFファンたちは
そういう認識を持っていたんだろうけど、
私たちオタクが地球の引力や
大気圏を認識しだしたのは
大気圏突入でザクが燃えちゃう辺りからかな。

そういう概念に目を向けさせたという意味では
機動戦士ガンダム」の功労は
たいへん大きいものであるといえましょう。

というわけで今回は
「見合いコワし」(9-7~10)編のレビューです。
4話分ある相当長いエピソードなので、
どうしたものかとは思っているところであります。


f:id:rumicold:20211218155337j:plain

物語はテンから始まる。
テンの“盗み聞き”という要素が
後のあたるの“隠密行動”へと繋がっていて
この仕掛けは抜群に上手い。

もちろん、発想としては順番が逆なのだろう。
あたるとラムの間に“秘密”を発生させるためには
どうしたらいいか、というところからの
テンの盗み聞き、なのだろう。

f:id:rumicold:20211218155356j:plain

テンと、ラムの親父との3ページは
“日常”からの出立点となっている。

続く錯乱坊やサクラとの3ページ、
少し間を置いて面堂やクラスメイトとの2ページは
彼らがあくまで地球の日常をいろどる面子であり、
ひとたび地球を離れて非日常の世界に突入すれば
あたるが孤軍奮闘しなくてはならないことを
読者に言い聞かせている
(このことは「オンリー・ユー」との良い対比だ)。

そのように、「見合いコワし」“=その1=”は、
そのページ数を丸々
イントロダクションに使っているが
その甲斐あって、物語は壮大だ。重厚感もある。

f:id:rumicold:20211218155416j:plain

サクラも昔はこういう腰の軽いところがあって
それが なうなやんぐ らしくて良かったのだが…。

f:id:rumicold:20211218155429j:plain

UFOでやれ。

f:id:rumicold:20211218155442j:plain

親父さんに何と言われたのか知らんが、
ラムがあたるに
行き先を伏せる理由があるようには思えんが。

f:id:rumicold:20211218155456j:plain

メタである。

f:id:rumicold:20211218155510j:plain

この頃の面堂のラムに対する想いは
自分より上級のインベーダー/高嶺の花に
恋焦がれるような、
ちょっと可愛らしいところがあった。

f:id:rumicold:20211218155526j:plain

うーんこの、松本零士的な計器の数々!
潜望鏡の描き込みも、ギャグ漫画とは思えない。

f:id:rumicold:20211218155542j:plain

おや、このシルエットは……

f:id:rumicold:20211218155552j:plain

=その2=に登場してくるレイであろう。
考えてみればラムが地球から帰ってくるのであれば
レイがまず第一花婿候補であって然るべきなのだが

f:id:rumicold:20211218155605j:plain

こんな扱いを受けていて可哀そうに。

f:id:rumicold:20211218155628j:plain

あくまで“見合いを邪魔する”という方便で
はっきりと本心を言わないあたる。
最終話(ボーイ ミーツ ガール)までの流れを
知っている者からすれば
もはやあたるらしい美学にさえ見える。

とはいえ、では「ボーイ ミーツ ガール」のほうを
改めて見てみると

f:id:rumicold:20211218155645j:plain

ちょいちょい媚びる部分が垣間見えてなぁ……。


とまぁ、今回の=その1=は導入部であり
ラムが事の重大さに気づいていないこともあって
あたるに焦点が合わせられた回であった。


もしかしたら〈つづく〉が、
続かないかもしれない。

なりそこないの目にも涙…「人魚は笑わない」レビュー後編

今週は、「人魚は笑わない」レビューの後編だ。

f:id:rumicold:20211212214037j:plain

登場していきなり湧太に攻撃される“なりそこない”。
前編、姿を現したときに“涙目”だったので

f:id:rumicold:20211212214050j:plain

“なり損ねてしまった悲哀”みたいなものを
たずさえて登場か?と思ったのに
後編ではただのモンスター扱いである。
※雑誌の初出版はもう持っていないので
単行本化にあたって手が加えられてたらすみません。

f:id:rumicold:20211212214114j:plain

“なりそこない”に、喉笛を掻き切られたっぽい
鰍(かじか)ちゃん(淡水魚)。
喉をやられたわりにはしっかり喋る。
この鰍の表情はよく見ると、

f:id:rumicold:20211212214126j:plain

めったに見られない作画である。
「めぞん」の口絵でこういう表情があったような。

f:id:rumicold:20211212214144j:plain

産まれたての子鹿が初めて立つような
感動シーンだ。
不安定な両脚もそうだが、
両腕の奇妙なポージングがたどたどしさを強調して
とてもいい。

急いで読むと、
長年虐げられて生きてきた少女が
自分の力で立ち上がったシーン、のように
読めてしまうのだが(なんか神々しい光が
差し込んでるし)、実はここは怪奇シーンである。
立てるはずのない少女が立ってしまう、
得体のしれないシーンなのだ。

f:id:rumicold:20211212214222j:plain

この段階で既に湧太の治癒力、そして
真魚が人魚の肉を食べてそれに追随したことは
読者には明かされているが、
湧太はまだ真魚の能力について知らされていない。
真魚の頬の傷がすぐに治ったことも含めてここは、
湧太が自分以外の能力者に邂逅する場面、
というわけだ。

f:id:rumicold:20211212214250j:plain

鰍(かじか)は鮎と顔が似ているし、
二人とも名前が淡水魚なので、おそらく同期だろう。

人魚に淡水魚の名前が付いているのは
なんだか納得いかないが、
海水魚の名前だと途端に寿司ネタっぽくなるし
サザエさんっぽくなるしで
苦渋の決断だったのかもしれない。

f:id:rumicold:20211212214313j:plain

安らかに死にたい、という願望は
なかなか叶えられないのだろうが、
あくまで“不老長寿”であり、
“不死”ではないのだから
まぁいつかは、ね。

f:id:rumicold:20211212214329j:plain

真魚が歩けるようになったのは
“治癒力”とは関係なく、
必要になった筋力が、短時間に増強されるという
マッスル系の超能力といえる。

f:id:rumicold:20211212214350j:plain

この台詞は後々の別のエピソードで
布石として生かされていた、大事な台詞だ。
後世ではファンタジー系の漫画やアニメで
多用されるようになったが、
「人魚」のこの時代では
比較的新鮮味のある台詞だったように思う。

f:id:rumicold:20211212214427j:plain

「若く生まれかわる」、これを理解するのが難しい。
鮎の一件を見る限り、
(若い人間を喰って)見た目が若くなることには
人魚的にあまり価値はないようで、
身体の組成が若いものになることが重要らしいが、
しかし若い娘の容姿に擬態しても
そこから何十年何百年?かけて老化するんだろ?
ということは“見た目の若さ”も一面では
人魚らの“若さ”を表しているのではないのかと。

鮎が選ばれちゃったのがなぁ、
インパクトはあったけど、間尺に合わないというか。

f:id:rumicold:20211212214456j:plain

数十年に一度、一人だけ攫ってきて
モノになるかどうか十五年観察するって
効率悪すぎるだろう。
もっと規模を大きくするべきだと思うんだが
それを管理する、集落の人魚の人数が
そもそもそんなに多くないのかもしれないな。

f:id:rumicold:20211212214513j:plain

頭を落とせば殺せるというのに、わざわざ
河豚のキモをどうやって食べるかみたいな
工夫せんでも…。
まぁ実際には対“なりそこない”の
化学兵器ということなんだろうけど。

f:id:rumicold:20211212214531j:plain

「はい!」とか言わずに
黙々とやるべきことをやる真魚の姿が
湧太との関係性を表していて面白い。

f:id:rumicold:20211212214544j:plain

ここでも無言で務めを果たそうとしてるし。

f:id:rumicold:20211212214601j:plain

なぜ“なりそこない”達は
地上に這い出てこないのか。
人魚たちを畏れているのだろうか。
まぁ確かに鰍の時も、
先に手を出したのは鰍だしな。

f:id:rumicold:20211212214619j:plain

個人的に真魚の名セリフベスト3に入るこの台詞。
特殊な環境で育てられた真魚の、
特殊な死生観が滲み出る台詞であり、
とてもSFである。
少女漫画のSFのような、冷酷さ・無情さと
人間の儚さ、同じ種としての一体感、
そういったものを感じさせる一言だ。

f:id:rumicold:20211212214644j:plain

鰍は真魚を探す使命のために洞窟の中に入ったが、
他の人魚たちは“なりそこない”を
恐れ過ぎなのではないか。

f:id:rumicold:20211212214708j:plain

真魚の左にあるのは何だこりゃ。
牡蠣か何かか? と思ったら

f:id:rumicold:20211212214720j:plain

湧太の靴底か。

f:id:rumicold:20211212214745j:plain

そこまで切羽詰まってるんだったら
多少の犠牲は見込んだうえで
“なりそこない”と対決するほうがいいだろうに。
真魚が流れてこなかったらどうすんだよ
(実際、陸に逃れられたわけだし)。

f:id:rumicold:20211212214805j:plain

ここの婆ぁたちは、
超自然現象を崇める殉教者たちのようで
迫力のある作画だ。

f:id:rumicold:20211212214819j:plain

たぶんだけど
このぐらいじゃあ人魚は死なないだろ。
真魚の顔を得た奴も少しはいそうだけどな。

f:id:rumicold:20211212214836j:plain

ここでのばばの台詞は、
つまり自らを語った台詞だったわけだが
内容的にはちと苦しいな。
それはこのばあさんが、

f:id:rumicold:20211212214855j:plain

ここに留まることを選んだからだろうに。

f:id:rumicold:20211212214913j:plain

こういう歯列の描き方は珍しい気が。

f:id:rumicold:20211212214926j:plain

ここでは、元の姿に戻った人魚たちに
“知性がない”とは言ってないんだよな。

まぁこの辺は「人魚」シリーズ通しての謎で、
人魚たちは何のために人間の姿になったのか、
まったく語られていないのである。
海の中に彼女らの生活があるのかどうかも
全然わからないし。

f:id:rumicold:20211212214944j:plain

真魚と同じ“成功例”であるところのばあさんを、
人魚たちがなぜ喰わなかったのか、
これもまた謎である。

つまり、この婆さんを喰うに至るほどには
切羽詰まってない、ということになるからだ。

真魚という“完璧”を前にして、
人魚たちも焦っちゃったのかねぇ。

f:id:rumicold:20211212215002j:plain

この台詞は真魚に語りかけているけれど
実質湧太が自分に言い聞かせているわけで、
五百歳の割には感性が若いな。

この「人魚は笑わない」における真魚
ヒロインポジションとも言い切れないものがある。
ただの運命共同体ではなく、
湧太の貴重な“同類”であり、
それはすなわち性差を越えて、
もう一人の湧太なのだ。

ロードムービーの様式は
手塚治虫の「どろろ」のようでもあり、
そう考えると
湧太と真魚が両立できない因縁のようなものも
考えられたりしなかったろうかと思ったりもする。
また、「七瀬」シリーズのように
最期を遂げるラストも
あったのかもしれないとも思う。

そう考えると、「人魚」シリーズの最終回は
見たいような見たくないような。〈おしまい〉

記憶があるからむしろリーディング・シュタイナー?「人魚は笑わない」レビュー

さて、そろそろやるか……「人魚」を。

人魚は大作なので
そううかうかと取り上げるわけにもと思って
なんとなく避けてきたのだが、漫画・アニメの
「チート転生」「死に戻り」ブームがあるうちに
取り上げておいたほうがよさそうなので
ここいらで腰を上げることにした。

つい最近まで“5ちゃんねる”にスレもあったし。
そこで語られていたことで
内容はほぼ網羅している気もするが。

そもそも僕は「人魚シリーズ」のアニメを
まったく見ていないのだ。
アニオタに復帰したのが2008年だったから……。
レンタルでもして見てみたい気もするが、
こんなの置いてる奇特なTSUTAYAあるんかね?
動画配信ならありそうだけど。

というわけで今回は
「人魚は笑わない」のレビューである。

f:id:rumicold:20211206222400j:plain

花魁のように、帯を前で結んでいる真魚
寝たきり、をあらわしているのか
誰かに身体を捧げるということを
あらわしているのか。

f:id:rumicold:20211206222416j:plain

海水浴客の女性たちに「きったなーい!」と
罵声を浴びせられる湧太。
登場のインパクトとしては秀逸だが
シリーズを通して読んでから改めて見ると
湧太ってそんなに貧乏じゃないはずなんだよな。

死のリスクがない分、
思い切った行動に出て
人生のチャンスを掴めるはずだし。
戸籍はたぶんないけど。

そういやぁ、人魚の肉を食べたことで
身体能力の向上があるかどうかなどは
作品中では語られていないが、
その辺どうなのだろう。

格闘シーンや、水の中で人魚と同等に
渡り合っている湧太を見ると
何らかの身体能力上乗せはありそうだけれども。

f:id:rumicold:20211206222436j:plain

野摺崎に人っ気がないことを
湧太はなぜ喜んだのか。
人魚を探している、ということから考えれば
人っ気がないほうが人魚がいる確率が上がる、
からなのか。

しかし人魚を探すには
噂や伝承を辿るしかないはずで、
それにはどうしたって人間を介する必要がある。

もしかしたら、だが
自分に浴びせられる好奇や侮蔑の視線といった
煩わしさから離れることができる、という意味で
人っ気がないことを喜んだのだろうか。

f:id:rumicold:20211206222450j:plain

カタカナである。ちなみに「人魚は笑わない」は
1984年夏のサンデー増刊号、
渚のはいから人魚」は1984年3月発売である。

f:id:rumicold:20211206222501j:plain

真魚はなぜ、足枷をされて幽閉されていたのか。
逃げる恐れがあるからなのか。
しかしそういうものだと育てられれば
自分が生贄であることに
疑問は持たないのではないかと思うのだが。

f:id:rumicold:20211206222511j:plain

水田があるらしい。男手もないのにすごい。

f:id:rumicold:20211206222524j:plain

一同の中でも若く見える“鮎”(淡水魚)が
いちばん長く生きている?
な……なんだってーーー!!

いくら実年齢が年寄りっていっても
“鮎”は人間を食べてから
まだ少ししか経っていないわけですよ。
食べたばかりなのに、逝ねってひどくない?

人間喰ってから、満期を迎えたっぽい婆さんに
刺身になってもらう方が良くないか?

それとも若い見た目の人魚じゃないと
美味しい刺身にならないとかかね?

f:id:rumicold:20211206222557j:plain

「ギャーーー…」という叫び声は
おそらく“鮎”の断末魔だと思うが
覚悟を決めていたにしては騒々しい。

人間に化けていた“鮎”が、
人魚の姿に戻って理性をなくしたから
ケモノのような雄叫びをあげた、
ということなのだろうか。

後述するが、
人魚に戻ったら理性をなくす、とは
どこにも描かれてはいないんだけどね。

f:id:rumicold:20211206222619j:plain

人魚はなかなか死なないはずで、
だからこの銛には
例の毒が塗られていたのかもしれない。
あとで真魚に食わせるのに、
そんなもの加えるのもどうかと思うけど
(12/12追記:最終的には首を落として
絶命させたようなので、銛は身動き取れないように
磔にしていたのかもしれない)。

f:id:rumicold:20211206222634j:plain

f:id:rumicold:20211206222645j:plain

う、うち気持ち悪い!!

f:id:rumicold:20211206222718j:plain

f:id:rumicold:20211206222732j:plain

ばばはアホなのか?

f:id:rumicold:20211206223021j:plain

f:id:rumicold:20211206223034j:plain

実際には集落の者たちが“男”を苦手と
しているわけでもなく、
“男”イコール、即“侵入者”ということなのだろう。

f:id:rumicold:20211206222755j:plain

死んだ雄太は“なりそこないの穴”に
放り込まれるが、そこはどうも
“鮎”の儀式を執り行った洞窟のようだ。
つまり“なりそこない”が行き交う洞窟で
儀式を行ったということになり、
ここにはちょっと疑問が残る。

f:id:rumicold:20211206222843j:plain

エフェクトからして、
障子の向こうの気配には
気づいていなかったらしい湧太。
図らずして真魚が湧太を助けた、
ということになる。
特に作品中の意図はないようだが。

f:id:rumicold:20211206222911j:plain

一コマだけ抜き出すと
何とも味わい深いコマであることよ。

f:id:rumicold:20211206222930j:plain

なんでそんなブロック肉が落ちてるのかね?
得体も知れないのに喰ってるし。
つうか「人魚シリーズ」の登場人物たちは
みんな気軽にわけのわかんない生の魚肉喰うよな。

というところで、次回に続く!