ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









昔のサンデーグラフィックを出してきた。

どうも今年は空梅雨のようで
いきなり夏がやってきたように、
暑い日が続いています。

さて、リメイクアニメ「うる星」の関連商品絡みで
いくつか新規イラストが世に出てきています。

ちらほら言われていることですが
新しい虎縞の設定はよろしくないですなぁ。

レイなんて、左右対称だったら
ショッカーの戦闘員みたいに
なっちゃうんじゃないの?


さて話は飛びまして。

高橋留美子氏と押井守氏の確執の話は
何年か前の、サンデー誌上のインタビュー記事で
高橋留美子氏によって
やんわり否定されていまして、
建前上 決着がついたような形になっています。

大人の対応というか
もうそういうことでいいんじゃないかと
思うところですし、
蒸し返すつもりも全くないのですが、
この話題において、
“少年サンデーグラフィック10
「劇場用アニメ うる星やつら
ビューティフル・ドリーマー」”が
引用されることが、
僕の観測範囲では無かったようで、
たいへんに気になっています。

サンデーグラフィック上で
高橋留美子氏は作品について
何かコメントしていないのか。

何かしらコメントをしていれば、
それが例え編集者の代書であっても
公式コメントとして扱われるべきですし、
商業に乗るということは
そういうことだと思いますし。

ただ、そういうことが書かれていたかどうか
まったく記憶にない。

なので引っ張り出してきました。

今回はこの、サンデーグラフィックについて
少し書いていこうと思います。



表紙には夢邪鬼も描かれているが
どちらかというと原作寄りだ。

服の柄も原作と同じ、
梅か椿か…。

B・Dの夢邪鬼の服の柄は4弁花であり、
ここは映画制作にあたって
意図して変更されたとみていいだろう。

B・Dの夢邪鬼にはまた、ツノがない。

これについては、
ラムと同族にしたくなかったとか、
人間と表裏みたいな
概念っぽい存在にしたかったとか、
B・D制作側の思いも
いろいろ想像できるし、理解もできる。
そしてそれが、
高橋留美子氏にも共有されていたと思われる。

さてバクも描かれているが
首輪もないし、なんとも微妙。

表紙イラストの、原作者への発注は
結構余裕をもって早期に、
それこそ夢邪鬼やバクの設定画が
まだ出てないぐらいの頃にされたのかもしれない。

氏が遅筆であれば、その後追っかけで
設定画を届けることができたかもしれないが、
もしかしたら早々に描き上げられちゃって、
それをB・Dの設定に合わせて修正してくれとは
到底言えない雰囲気だったのかもしれない。

なんせ付録のポスターにせよ、
巻頭グラビアにせよ、
高橋留美子氏には多大な協力を仰いでいるのだ。

巻頭グラビアは、そのテーマが
B・Dにはあまり沿っていないが
発注時には漠然と“夢をテーマに”ぐらいの
話だったのかもしれないし。

ただまぁ読者からすると
「映画の設定とは異なったイラストだな」とは
当時、確実に思った。
まぁしかし描きおろしイラストというだけで
ありがたいことだったので、
異なっているからどうの、ではなかったけれども。


さて、B・Dという作品に対する
高橋留美子氏のコメントを
このサンデーグラフィック上で探してみたが
これが、ないのだ。

「スタッフ・キャスト大放談」は
アニメスタッフの取材に終始しているし、
「けも・こびるの日記」では
B・Dと全く関係ない、
日常のエピソードのことが描かれている。


B・Dの試写が
サンデーグラフィックの入稿に
間に合わなかったのかもしれないが…。

サンデーグラフィック10「B・D」の
発売日がいつだったかは覚えていない。

奥付では昭和59年3月6日になっているが
おそらく映画の公開日、2月11日あたりの
発売だったことだろう。

しかし、サンデーグラフィック誌上の
“上映館リスト”には

1月25日付けの追加情報が載っていて、
もしかして1月25日以後の入稿だったのかと。
すげえすごすぎる。


まぁそんなわけで、
サンデーグラフィック「B・D」誌上では
高橋留美子氏の言質は取れなかった。

週刊サンデー誌上ではあったかもしれないが
どうだろうなぁ。


ビューティフル・ドリーマー」のwikiでは
「語り尽せ熱愛時代」上で高橋留美子氏が
“「私の『うる星やつら』ではない」と
暗に言っている。” 
とあるが、続けて
「B・D」を評価していた、ともある。

これは本当にそう書かれていて、

例えビジネス上の仕草だとしても
その文脈を残さず汲み取るべきであり、
“「私の『うる星やつら』ではない」”だけを
切り取るべきではないのだ。


というわけで、このテーマについては
僕自身の中でも決着がついたように思う。

とりあえずは、善き哉善き哉。

元都知事のお触りに想起したわけでもないですが。 めぞん一刻「惣一郎さんっ!!」レビュー


先週はぐずついた天気が続いたが
来週は雨予報もないようで(東京地方)、
梅雨も明けたのではないかという様相だ。

梅雨といえば露子であるが、
今回は逆張りで、
めぞん一刻「惣一郎さんっ!!」(1-2)
をレビューしようと思う。

リメイクアニメ「うる星」の余波か、
「うる星」を扱った方が
アクセス数はいいみたいなんだけど、
まぁそればっかりになるのもね…。

扉絵は響子と惣一郎(+おまけの五代)。
“惣一郎”という名前の謎解き回である。

先日の高橋留美子氏のTwitterで触れられていたが
まだ五代と引っ付く予定じゃなかった頃の
ミステリアスな音無響子、というところか。

五代の持っている傘は
エピソード中で響子が五代に渡したものだけど
ジバンシィ似の、
よくわからないメーカー製という感じ。
1980年代のDCブランドブームを表しているのか。
現代だったら透明ビニール傘が
リアルということになるんだろうけれども。

ディフェンスする惣一郎の後足が、
餌に喰らいついている上半身と
別々に動いている感があってとてもいい。

背古井さん寄りの四谷さん。
回を重ねるごとに、
すっかり人懐っこい人になっちゃったけど、
こういう不気味なキャラクターだった頃も
とても魅力的だったなー。

朱美さんに脅かされる響子だが、
エピソードの後半で五代も同じ目にあっていて、

さらに続くページで

3段オチとなっているのが
心地いいテンポである。
“どいつもこいつも”ということでもあり、
響子と五代が“似たもの同士”ということでもあり。

四当五落”とは、簡単にいうと
受験生は4時間しか寝るな、という
教えを含んだ慣用句である。
スポーツの練習中は水を飲むな、と同じような
昭和のスパルタ特訓法、かな。

埃をあえて被り続ける五代が
“変態”ではなく“アホ”として描写されているのが
とても面白い。それは次のコマの

「おーい。 好きやでー。」にも繋がっていて、
五代というキャラへの愛着が増していく。

考えてみればこのエピソードはまだ第2話であり、
読者にはまだまだ五代を
好きになってもらわないとならないのだ。
それにはバッチリ成功しているといえるだろう。

単行本だと読みづらいが、五代のノートには
ひどい落書きが。

 

高橋留美子氏の作品では
めったに見ない色っぽい表情だ。
これは青少年のハートを掴みにきてるな。

「落っこちてたりして。」と
朱美さんに心配されるまでもなく、

こんなところで一寝入りしてしまうなんて
ほんとどうかしてるよね。
漫画っちゃあ漫画なんだけれども。

あきらかに“ラッキースケベ”ではなく
意図的に触りにいったことが
バレているにもかかわらず
「胸をさわったぐらいでなぐるかなー。」
というのもすごいけど、
「“彼氏”に操を立てているからかも?」と
いう連想になるのがもう、サイコパスっぽいなー。
すげえな昭和。

「わいせつ行為!!」、
このコマがギャグになっている構造を考えていくと
いろいろと興味深いわけです。すげえな昭和。

賢太郎がせしめた硬貨は
100円玉か50円玉あたりかと思われるが
(日本で500円玉が登場したのは
このエピソードが世に出た後の昭和57年である)、
いずれにせよ当時としても
カップラーメンのほうが価値があったのではないか。

そんなカップラーメンを
五代がまず差し出しているのは、
そのカップラーメンが、
五代が身銭を切っていない
“仕送り”の品だったからではないだろうか。

三鷹が犬嫌いだったこともあって、
犬の“惣一郎”は当初、重要なファクターだったが
めぞん一刻最終巻においてはかなり影が薄い。

さすがに15-2「契り」において
住民の皆によって茶々丸に連れていかれて、
あの晩に一刻館に居なかったことは
最低限の思いやりだと思ったけれど、
夫“惣一郎”の投影であり、
時に響子の相談相手でもあったはずの
犬の“惣一郎”の、
最終巻における素っ気ない扱いはまるで、
魔女の宅急便」において
“ジジ”が言葉を喋れなくなったような、
そんな時の移ろい・諸行無常・色即是空といった
一種の物悲しさを感じさせる気もする。

それとても、惣一郎の人物の大きさであり
一刻館という場所が、惣一郎と同化して
五代と響子を包み込んでいる、というならば
それはそれでハッピーエンドなことだけどね。

コスプレ写真集

コスプレーヤーのえなこさんが
高橋留美子作品のコスプレをした写真集が
9月に発売されるらしい。

natalie.mu


えなこさんは綺麗な顔立ちをしていると思うけれど、
いままでのコスプレ写真を見ていると
必ずしもそのキャラクターに相応しいとは限らず、
SNSなどのコメントにあふれる讃辞も
「えなこさんは何やっても素敵」的な、
えなこさん寄りの評価が目立つように思う。

それはえなこさんに対するファン活動であり、
尊重したいと思うけれども、
そこで発せられる「素敵」という言葉が
ラムちゃんのコスプレとして素敵」なのか
「えなこさん素敵」なのか
あやふやになっているところは、
“ラムのコスプレ”に対する審美眼しか
持っていない僕なんかにしてみると
忸怩たる思いがある。

たぶんだけど
えなこさんありきの企画なんじゃないかなぁ。

それに対して小学館が、
自社の有力IPとコラボしたらどうでしょう、
なんていうのはもう、
ありがち過ぎて書くのもためらわれるぐらいだ。

100周年を機に、
IPビジネスを充実させたいだろうし。

であれば小学館コミックの人気キャラを
いろいろ出せばいいんじゃないかと思うが
それは権利関係がめんどくさいし
何かあった時にややこしいし。

高橋留美子氏の作品でまとめておけば
一元管理できるし名目も立つし。


さて上記ニュースなどで使われている
告知画像だが……

エディトリアルとアドバタイジングの差があるので
あまり言うのもかわいそうかもしれないが
もうちょっとがんばってほしかった。

カメラマンさんはamana出身のバリバリの人だから
そこは問題ない、というか
氏のサイトの作品を見れば、
本気出したらもっといけるというのはすぐわかる。

主に問題はスタイリングとレタッチなんだけど
スタイリストとレタッチャーが、
るーみっくに精通しているはずはなく、
だからその責任はディレクションにあるのだ。

えなこさんの拘束時間の問題もあっただろうし、
制約が多かったことは想像できる。
何より予算が少なかっただろう。

もしかしたらディレクターは
与えられた条件以上に頑張ったのかもしれない。

そういう点では、批判の持っていきどころは
予算編成した部署なんだろうけどね。


逆に、どんな仕事してるのか、怖いもの見たさで
この写真集買いたくなってきたわ。

リメイクをどう楽しむか

先日公開された邦画「シン・ウルトラマン」が
大まかにいって評判良いようである。
僕はまだ見ていないが。


はてブのhotentryで知った、でるた さんのブログ

www.deldeldelta.com


を読んでいて、締めくくりの
「憧憬の中で」章にスクロールの手が止まった。

これは、今度の10月、
リメイクアニメ「うる星やつら」を見た時に
僕に起きるであろう出来事なのだ。

今までに何回か、そのことについては書いていて
ミレニアム世代との感性の違い
まだずっと、自分の取るべき姿勢について
模索中なのだけれども。

まぁでも実は“リメイク”なんて
もう珍しいものじゃなくて、
ハリウッドにせよ邦画にせよテレビアニメにせよ
リメイクだらけなのだから、
今更改まって、
「オレはそれでいいのか」なんて自問自答するのも
どうなのっていう気はするけれど。


昨日、テレビの地上波で
ザ・ファブル 殺さない殺し屋」をやっていた。
僕は原作の熱烈なファンというほどではないけれど
でもたいへん面白く読んだので、
未見だったこの映画を興味深く見たのだった。

僕としては平手パートのボリュームに
違和感を感じたんだけど、
Twitterのトレンドで他の人の感想を見ると
その部分に肯定的な人もかなりいた。

僕の評定基準や価値判断に反して、
平手パートのあの扱いは“アリ”だったのである。


僕が間違っていたといえる。
僕が偏狭だったといえる。


そういう愚かなやり方を、
今度のリメイクアニメ「うる星」では、
自分が大事にするべきコンテンツでは、
行わないようにしないとな、と思う。

とはいえ、「not for me」で済ませちゃうのは
あまりにも冷ややかなのかもしれないから
程度問題ではあるのだけれども。

「パパは世界一だ!」 うる星「父よあなたは強かった」レビューその2

さて、一週空いてしまったけれども
うる星「父よあなたは強かった」(3-1)の
レビューの続きである。

時は1173年。
ファンタジー全盛の昨今において、
こうしっかりと時代と場所を明記しているのは
なんだか新鮮に感じる。

史実としても、その時分 義経
遮那王として鞍馬寺に暮らしていたそうだ。
ちゃんとしてるねぇ。
そういうリアリティがまた、
学校で教わることとリンクしたりして
読者の知識を広げるのに貢献したんだろうなあ。

クラマ姫とあたる達が転送されてくるところだが
この表現に一コマ使うところがいいよな。
スピード感を損なうデメリットも
あるかもしれないけど、
いつか見たSF特撮のあの感じ、という
クロスオーバーした魅力があると思うのだ。

カラス天狗(旧)を薙ぎ払う牛若丸。
この複雑な効果線と書き文字を見よ!
刀や衣服の動感、吹っ飛ぶカラス天狗たちが
見事に一コマで描かれている。
左下のカラス天狗の羽が
コマからはみ出しているのも素晴らしい!
漫画ってこれだよな!

そして間髪を入れずに「ぶぁーかめ」のギャグだ。
この緩急、変幻自在、天才か。

「まだわからんのか!」というが
これでわかったらエスパーやろ……。

旧アニメでクラマ姫を演じたのは吉田理保子さん。
彼女によるクラマ姫は
いわゆる“お色気ムンムン”&“がなる”感じの、
やや幼稚かつ過剰な演技であり、
彼女がそれまで演じてきたような
美少女キャラの演技とは違っていた。

この辺りはアニメの演出の方針だったのだろう。
また、アニメ「うる星」が
美少女を取り揃えた作品、という売られ方では
なかったということでもあるのだろう
(一部の商売人は判っていたようだが)。

アニメは子供の見るもの、
というような感覚がまだあって、
子供向けは騒がしく、けたたましくしておけば
いいだろうという意識の人が、
制作側にいた時代なのではないか、と思う。

そこら辺が洗練された時代に作られる
令和リメイクアニメ「うる星」が
どんなクラマ姫を見せてくれるかは
ちょっと楽しみだ。

この鞍馬寺の作画カロリー!
さすがの説得力である。

変装の稚拙さに不安を感じるあたる。
彼がまだ、普通の感性を持っているということだ。
そして泣き笑いになりながらも
指令に従わざるを得ない卑屈さ&ペーソス、
“どこにでもいる少年”だからできる表現だと思う。

「すきものっ!!」、
このギャグはリメイクアニメでは
文化の違いでもう無理だろう…。
大衆雑誌やスポーツ新聞、ゴシップ番組などの
ゲスい三流コンテンツが
身近にあってこそのギャグなのだ。
それとも通らないとわかっててあえてやるか…?
僕としては、台詞を含めてギャグを丸ごと
見事にリメイクしてほしいと思っているのだが。

続く「さいでした」にしても
太鼓持ち”という存在の概念を、
読者が教養として持ちあわせているから
洒落っ気のある台詞として通用するんであって、
ただ単に「なんか不思議な言葉使い」というんじゃ
面白さは目減りするんである。

まぁそれが、
文化が滅びるということなんだろうけれども。

バストトップも見せていないのに
「裸体」と称されているのは
令和の現代においては違和感があるだろう。

ラムの衣装であるビキニは、
グラビアアイドルのアグネス・ラムが
1975年に日本で広めたのだが、
この「父よあなたは…」掲載は1980年だから
それからわずか5年ほどしか経っていない。

その頃の世の中には“ビキニは裸同然”という意識が
まだまだ根強く残っていたのであろう。

牛若丸に色恋の手ほどきをしようとするあたるだが、
これは実際の日本において、
鞍馬山烏天狗が牛若丸に剣術を教えた、
と言い伝えられていることのパロディだ。

あたる(=カラス天狗)が牛若丸を指導する前に、
反対に牛若丸の弟子になろうとしているところが
話にアベコベ感があって秀逸である。

牛若丸が色ボケになったら困るなどといっているが、
色ボケにしたいのはクラマ姫の種族なのである。
種族の切実な願いを差し置いて、
理想のパパ像を守ろうとするクラマ姫は
ファザコン極まれりだな。

弁慶が煙草を吸っている。
煙管(キセル)がもっともらしくて、
シリアスなのかギャグなのか
とっさには判別できないが、
平安~鎌倉時代の日本には
まだ煙草の文化は入ってきていないので、
サングラスと同様、ギャグである。

ただし江戸の小咄において、
武蔵坊弁慶と煙管はちょっとだけ縁があるらしい
高橋留美子氏が知ってか知らずか。

弁慶に声を掛けたラムこそが千人目の女なのだが、
なぜ襲わなかったのか。
意外と正面から来られるとダメなタイプなのか。
まぁ襲ったとしても返り討ちなんだが。

弁慶が牛若丸を呼び止める台詞が
前日の京のガールハントと掛けてあって
実に素晴らしい。

というか、弁慶の千人斬りを
女千人斬りに変えたのが天才的なのだ。
なぜというに、牛若丸を襲うにあたって
(物語通りの)男千人斬りのままでも
まったく問題ないからなのだ。

なのに筋書きをひねって魅力を増す、
本当に素晴らしい。

カラス天狗が言っているのは
いわゆる“タイムパラドックス”というやつで、
今では広くラノベなどで使われるネタだが
当時はまだそれほど認知されていなかった。

バック・トゥ・ザ・フューチャー」の公開も
「父よあなたは…」の数年後だし。

もっとも「ドラえもん」には
過去改変のネタがあったけれどもね。

あっさり引き下がる弁慶。
このテンションの緩急もたいへんに魅力的だ。

「顔がままならぬ人」は
漫画史に残る名セリフだと思うんだけど
「うる星」が初出なんだろうか。

「ひらや」もすごいし「crow義経」もすごい。
「うる星」で初めて生まれたギャグだとしたら
つくづくすごすぎない!?

「さらば!!」という牛若丸。
この牛若丸の表情、特に口のラインは
引き結んでいるとも取れ、
笑みを浮かべているとも取れ、
絶妙に牛若丸の心情を表していて、最高である。

牛若丸とクラマ姫の繋がりが説明されているが、
義経が没してからこの「父よあなたは…」掲載まで
ざっと790年ぐらい経っているのだ。

クラマ姫のママが、
(地球時間で)平安時代の人なのか、
それとも過去の日本にタイムトラベルしたのか、
その辺はよくわからない。

そこから1代しか代変わりしていないのだから、
クラマ姫の種族の寿命が長いのか、
ママもその後コールドスリープしたのか…。

まぁゆっくりと人生を過ごす種族なのだろう。


あたるは牛若丸からは
全てを投げうってでも理想を追いかけろ、と
教訓を得たが、
その理想というのが両親も嘆き悲しむ
「女千人斬り」であった。

ここでの「女千人斬り」とはもちろん
武器で女性を襲うことではなくて
女性千人と交際する、ということなんだけど
これ、牛若丸ではなくて
弁慶からのインスピレーションなんだよな。

タイトルからして“父”にこだわっているので
ここはなんとか、
牛若丸由来のオチにしたかったところだが。


まぁしかし中身の濃いエピソードだった。
これで連載1回分だもんなぁ。
満足感ハンパないです。



さて、
リメイクアニメ「うる星やつら」は
10月開始とアナウンスされたけれども
これ毎週レビューはしないつもりです。。
他にやるサイトあるだろうし。

気になるところがあったら
言及すると思うけれども。

るーみっく っちゃあ るーみっく なんだけれども
毎週毎週、令和アニメ「うる星」で埋まるのも
このサイトとしてはちょっとね。

どっちかっていうと、
付随するもっとくだらないことについて
あーでもないこーでもないと
語っていきたいなぁと思っています。

その時はまたよろしくお願いいたします。

令和版「うる星やつら」PVに寄せて

先日、リメイクアニメ令和「うる星」の
新PVが公開されて、
またしても心が千々に乱れている。

僕は留美っく関係については
5ちゃんねるとか
Yahoo ニュースのコメント欄には
書き込まないと決めているのだが、
それらの閲覧はかなりするほうだ。

その、自分の思いを吐露することなく
人の意見を見るというのは
まるで著名人がエゴサーチをするかのような
苦しさがある(と思う)。

自分が関係者気取りとか、
古参気取りとか、そういうことは……
なくはないんだろうけどあまりなくて、
どちらかというと
自分の感じ方が、他人とずれていないか、
時代とずれていないか、
それが心配で心配で心が乱れるのだ。

特にリメイク版アニメ「うる星」については
自分の求める姿こそが正義、とは
僕はまったく思っていなくて、
商業的なところも気になるし、
原作に対する敬意や配慮も気になるし、
広いファン層(またファン予備軍)に対して
もっとも支持が大きくなるアプローチが
どういったものなのかも気になる。

わりと、制作者側の気持ちなのかもしれない。

正直に言うと、
自分が楽しみたいという感覚は
もう捨てているといってもいい。

今まで出てきた情報からし
「これは俺の『うる星』じゃないな」
という気持ちがあって、
しかしだから否定する、というのではなく
僕の嗜好との合致度 50% の作品として、
拝見しようという感じなのである。

アニメーションの出来が良ければ
自分の好みと違っていても
別のベクトルで楽しめることでもあるし。

ただ、好みと出来が揃って初めて
“きゅんきゅん”できるというのも本当のことで、
だから自分の大好物である
「うる星」という題材でありながら、
おそらく“きゅんきゅん”できないだろう、
というのは実に残念なことである。

およそ半世紀に一度のことだろうしね。

もしかしたら次に「らんま」がリメイクとか
あるかもしれないけれども、
それでは満たされないことであって、
当の「うる星」が、将来再びリメイクされる頃には
僕はもう生きてはいまい。

だから作品と自らは本質的に“一期一会”であって、
そこがドンピシャなことは
とてもラッキーなことだと思う。

今度のリメイク版令和「うる星」が
ドンピシャにハマる人も少なからずいるだろう。

その人たちはとてもラッキーだと思うし
その幸せを噛みしめてほしい、と
裏表なく思う。


そんなこんなは前置きです。

今回のPVを見ての感想だが、
あたるという主役の男子高校生に
・ふてぶてしさ
・たくましさ
・タフさ
・バイタリティ
・生命力
といった要素が入れられていないように
僕は感じた。

例えば電撃を受けても次の瞬間には復活する、
それはタフさの表現かというと
そうではないと僕は思うのだ。

学校の成績が良くないこと、裕福でないこと、
見た目が冴えないこと、
大人から子供扱いされること、
常識的であることを強要されること。
そう言ったことに反発し、反骨心を持つことが
バイタリティだと思うのだが、
今回のPVのあたるからは
そういう雰囲気を感じられない。

「何くそ」「今に見ていろ」「なめるなよ」
そういう台詞が、
今回のあたるには合わなさそうなのである。


強調しておきたいのは
今回のあたるにはバイタリティが「足りない」と
言っているのではないということだ。

「足りない」=「それじゃだめだ」と
言うつもりはない。

今回のあたるにはバイタリティが感じられない、
なるほどな。
とそういうことなのだ。


僕が「俺たちの『うる星』」なんていうのは
おこがましいし、
制作はプロだし、
制作陣の上のほうはたぶん同年代だし。

その人たちが考えてそうしているのだから
そういうことってことだよな、と。


そういうのを若い人から
「つまらない考え方」と言われたら
返す言葉もない。
今はその若い子たちの時代であって、
僕たちの時代ではないから、
若い人たちの考えが光るべきだ。

若い人たちの中に
新しい「うる星」ファンが生まれて、
その人たちが“きゅんきゅん”する作品に
なればいいなと思う。

制作の方たちには、
僕らのような古い人のほうは見ずに、
若い人の方を向いて作品を作ってほしい、
本当にそう思います。
がんばってくださいね。

カラス女(しのぶ談)と時間旅行! うる星やつら「父よあなたは強かった」レビュー

今年のNHK大河ドラマ
三谷幸喜 作の「鎌倉殿の13人」で
源頼朝をめぐる北条義時の物語である。

折しも物語は頼朝と義経の確執に入っており、
菅田将暉の怪演(?)も見どころだ。

そういうわけで今週はうる星(3-1)
「父よあなたは強かった」をレビューしたい。

2巻の終盤に登場したクラマ姫が
そのまま登場している今エピソード。
それまでに登場したサクラやレイ、
弁天におユキなどのゲストキャラが
せいぜい連続2話までだったことを考えると、
3話連続となったクラマ姫は
かなり強力な助っ人だったのだろうし、
徐々にストーリー漫画の体を成していく
試金石でもあったのかもしれない。

物語はあたるの家を見下ろすところから始まる。
右側があたるの家だが少しわかりにくい構成だ。
もっとも第1話「かけめぐる青春」の時からずっと

隣家や電信柱などの設定が踏襲されているので
明白なのだ、と言われればその通りである。

妻を尻軽と罵るあたるの父。
レイが登場した際に
妻が発情していたことを指してのことだと思うが、
あたるの母は若い頃も尻軽だったのかもしれず、
それがあたるに遺伝したというのが
父の売り言葉ではなく真実であるならば、
母のその頃を想像するとなかなかに楽しい。

押井氏のアニメ版ではあたるの母はもっぱら
欲求不満の鬱積した、やつれた専業主婦、として
描かれていたが(そしてそれなりに面白かったが)、
そうではなくて
彼女の若い頃の話も見てみたい気がする。

アンバランスといっても
全てにおいて“悪い”あたるは
低いラインにおいて平均した能力を持っており、
何かに対してアンバランス、という感じは
しないがなぁ。

このコマの「人ごとと……」は
3段ギャグとして秀逸だ。
テンポもいいが、これは“1コマを一瞬で読める”
漫画ならではのテンポの醍醐味といえるだろう。

クラマ姫の腰掛けた“電気あんま機”が
当時としても婆くさくて、
今でいうところの“ロリババァ”となっているのが
本当に先見の明があるというか
フェティッシュの開祖というか、
ホント、天才やね。

しかもファザコンだし。
この“ファザコン”設定は
後々あまり活用されることはなかったが、
こはちょっともったいなかったなぁ。
父性の強い男性に対して、ムチュメ化して
デレデレにデレるクラマ姫も
ぜひ見てみたかった。

あたるの父のこのダメ親父っぷりは
「うる星」初期の初期から描かれているので
特に違和感なく読んでしまうところだが、
“尊敬できる父としての牛若”との比較のために
ちょっと多めにエピソードに配置されたと
考えるのが妥当なのだろう。

羽を伸ばすカラス天狗。
脱がせた下駄を作画してあるのがいい。
たったそれだけのことなんだけれどもね。

片や烏天狗、片や鬼伝説、という
日本伝承の怪物の対決の構図となっているから
ラムの「食べちゃうぞ!!」という台詞も
とても自然に入ってくる、みごとなギャグである。


しっかし……
このエピソードは内容が濃すぎるな。
表紙含め28ページだが、3話分ぐらいある印象だ
(うれしいけれども)。

あたるが過去に
タイムスリップしようとするところで
レビューは来週に続けます。〈つづく〉