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『鏡が来た』レビュー (あえて)「その1」

 
今回は『鏡が来た』のレビューをやります。

といっても実は初見です。
単行本は持ってたのですがまだ読んでない。
ドイヒーであります。
今回ネタに詰まって引っ張り出してきました。



なんのかの言っても表題作ですから、と
ちょっと期待したりして。

内容は大人しいメガネ男子のオカルン瑛人くんが
JCのナナちゃんと一緒に
悪霊退治をするお話ですね。


一度通して読んだのですが正直、
プロットとしてどうなの?と思いました。

恐ろしいのは実は人間、のように匂わせるのは
まるで『寄生獣』のようですが、結末の
「そういうこともあるよね」と
ふいっと逃げていくような読後感が
一言でいって“とりとめがない”。

もっともそれが、るーみっく作品としての
味付けということかもしれませんが。


妖怪奇譚という観点で見るなら───
おそらく高橋留美子氏が傾倒なさっている
地方の伝承のような形としては───
まさにこういう“淡々と、そういうことがあった”
という在り方が王道なのかもしれませんけれども。


冒頭からストーリーを追いつつ
レビューしていきたいところなのですが
ちょっと突っ込みどころが多すぎて
ヤバい感じなんですよね。

この作品はスペリオールに載ったらしいですが……

最近『うる星』ファンブックの
「Dancing Star」が出て、
案出しの状況なんかが語られていますけれども
まぁ実際、昔の『けも・こびるの日記』の
打ち合わせ風景の描写なんかが
漫画的誇張表現ではなく、そのままだったのかなぁ、
などと思うのです。



えーい、ままよ!



“鏡”の、社会での認知のされ方についての設定が
曖昧です。それは当事者がその能力の使い方を
どうやって知るのかから始まり、
お役目を終えた経験者同士のネットワークでの
情報共有がどう行われているか、
イコール邪心についての研究がどう進んでいるか、
悪意はおしなべて妖魔である邪心なのか、
そのあたりが棚上げされていて物語に深みがない。

それらに気が付かない思慮の浅さが必要だから
主役は中学生だったのでしょうか。


『鏡が来た』というタイトルは
お役目が回ってきた、という意味ですが
鏡という言葉が「映す鏡」である以上、
鏡が鏡であることに意味があるはずです。
果たしてそれはどこにあったのか。

ぎりぎり、邪心を踏み潰す行為が
己の悪意と戦う勇気という捉え方もできるかも
しれませんが、かなりこじつけっぽいかなぁ。


あと、タイムリープ
菜々は自分が死んだ時と鏡に祈った時の
2回、タイムリープしている。
この、祈ってタイムリープというのは
ちょっと禁じ手じゃないのかなぁ。
それをするなら、鏡との意思疎通について
もっと深掘りしなくちゃ納得できないし
それにせいぜい“自分のせいで他人が死んだ”程度で
自発的にタイムリープできるなら
その後の展開についても
もっと適切な方法があったのではないかと
思えてしまいます。


根本原因まで辿り着くなら
人間は邪心に囚われるまえから
既に邪悪なのか、というテーマになるけれども
そこを突き詰めると
邪心祓いという部分がおぼろげになってしまうし
踏み込めなかったのかもしれない。


このぼんやり感が“るーみっくワールド”(片仮名は
単行本の帯のママ)だというのなら
それは承服するしかないのですが、
作者さんが超大御所だけに、その制作過程に
あるべきではないことがあったのではないかと
思ってしまう。


ただ、この作品では事あるごとに
「義務」という言葉が出てきます。

これはもしかしたら社会生活での
なんらかのメタファーということなのかも
しれません。

もう何周か読み返してみて
表題作たる語りかけを見いだせたら
レビューその2」を書いてみたいと思います。


〈つづく〉