前回、前々回に続いて「笑う標的」の3回目。
梓がその本性を開示し始めるところから。
里美に話をつけるべく照明を切る梓。
高橋留美子氏がコマ内に小さくキャラを描くとき、
妙に味わいのある絵になることがよくあるが
これもその一つ。なんかカワイイ。
作者の意図とは違うだろうが、
シリアスストーリーに
いきなり4コマ漫画が闖入してきたかのような
変な可笑しさがある。
そもそも里美を恫喝するのに、
なんで照明を消す必要があるのか。
発症(?)する予定はなかったので、
何かを見られないように、ではないだろう。
単純に里美を怖がらせる演出だと思われるのだが、
だとするとおそらく梓は
里美が下着だけになるタイミングをも
見計らっていたのだと思われる。
陰から見ていたのだろう、と思うと
なかなか健気である。
本家は譲を婿に取る予定でいたわけだが
梓自身は自分が譲のお嫁さんになる、
譲のものになる、という意識を強く持っていた。
だが里美に対しては猛然と所有権を主張している。
スピード感のある台詞なので
女性の感情の昂ぶりと捉えてしまいそうになるが
ここはきっちりと味わっておきたい。
「笑う標的」という作品中、
最高に盛り上がるシーンのうちの一つだと
個人的に思っているのがこのシーン。
「だめっ!!」という、
弱い立場から発した喘ぎ声と
「出るなーっ!!」という
命じる立場からの叫びが混じったこの混乱っぷり、
エロい、エロ過ぎる。最高だし天才的だ。
……からの、「はあ はあ はあ」。
普通に読むと普通なんだけど、
るーみっく脳で読むと、これはあかん。
あたるやラムの呆れる顔が浮かんでくる。
梓の身体が震えているのも相まって
面白すぎるでしょう!
こういう読み方ができるので、
ほんと是非、
古い作品の読み返しはやってほしいです。
眼がトンちゃんになっている梓。
「目を光らせる」という言葉は
目配りするという他に、
強い意志を眼に宿して向けてくる、
俗にいう眼光という言葉通りに使われるわけだが
ここで梓の目を光らせるために、前のコマでは
髪をかぶらせたポーズとしたのだろう。
動きも感じる、計算された作画である。
校門で里美を待つ譲だが、
このコマが上段にあるのは
へたり込む里美と同時刻を表しているわけで、
この二つのコマを「同時に読める」ことが、
映画やアニメにはない、漫画のアドバンテージだ。
次の「し、志賀くん…」「里美…」のコマが
少し近すぎるのでやや効果が薄くなっているが、
何せこの「笑う標的」は
内容に対して尺が短いので、
そこは仕方のないことだろう。
この3コマでは背景のスクリーントーンに
注目してみたい。
1コマ目では淡いグレーの空に
木々の影が強いコントラストで利いていて、
梓の考える「よからぬこと」を感じさせる。
松本清張の小説のようだ。
2コマ目ではもっと濃いグレーとなるが、
やはり木々が描かれていることから
1コマ目からの連続した流れで
梓の考えが深まっていくことを示している。
そこからの3コマ目、ベタフラッシュが秀逸だ。
この最後のコマの梓が、「 OH ! 」といった感じで
それまでの企み顔に比べて毒気が抜けているのが、
(明らかに曲解だが)ちょっと楽しい。
高橋留美子作品では
女性は強く、したたかに描かれることが多いので
こういった、無力で情けない、救いのない表情は
かなり稀だと思われる。
そこから転じてのこの表情、
このコマはさほど大ゴマではないけれども
このコマこそが「笑う標的」のタイトルを表す、
三つのコマのうちの一つだろう(もう一つは
ベッド上の「必ず…」、そしてもう一つは
ラストページの「あいつらが悪いんよ…」)。
タイトルの「笑う標的」について考えてみる。
この作品で「標的」となるのは
梓から見た恋敵の里美、
梓が射止めたい譲、
譲が矢で射た梓、
餓鬼が寄生対象とした梓、あたりが候補となるが
里美や譲はストーリーの中で
意味を持って笑ったことがないので
彼らはタイトル上での「標的」ではない。
タイトルの「標的」は梓のことだ。
梓が笑うシーンは上記の3ヶ所である。
先の二つに対してラストページの笑いは
まったく違う立場での発せられ方だが、
どこか自虐的な、かつ自分自身への憐憫の情を
感じさせる共通点がある。
タイトルの笑いとは違うニュアンスとなるが、
譲に問い詰められ、
困ったような笑みを浮かべる梓。
この作画も本当に素晴らしい。
少年誌にはもったいないほどだ。
妖怪人間ベラっ!な梓さん。
ベラ、好きやのう。
「顔面仲間」での「べらっ」は
くどかったけどなぁ。
この梓の超人化の正体は
梓の体内に潜む謎の液体生物なのだが
餓鬼はともかく、この液体生物については
何も説明がないし、よくわからない。
梓の超人化が必要だったかと考えると
戦闘自体は全て餓鬼に代行させればよく、
里美を脅かしたり操ったりするのも
わざわざ超能力を使う必要性が
感じられないことから、梓の超人化は
ラストシーンで梓自身が射られる、
その理由付けのためと思われる。
だがそれでも、液体生物が出て行った後に
梓が粉々に散って消えてしまうのがわからない。
霧散するのであれば、
液体生物を宿したままのほうが理屈に合う。
この辺は後述しようと思う。
さて、餓鬼が姿を現して
死体処理をしてくれるのだが、
ずいぶん軽快な音を立てて貪っている。
骨部分はわかるが人肉・獣肉が
そういう音を立てるかな、と思うが、
では「グチャグチャ」「ビチャビチャ」
といった音ならどうかというと
骨が残っていそうで、
証拠隠滅感が薄くなってしまうのかなと思う。
その点、「ポリポリポリ」なら
肉の部分は溶解して吸っているのではとか
いろいろ誤魔化せそうだ。
餓鬼になつかれる梓。
この、梓と餓鬼のコンタクトだが
普通、邪悪なものに取り憑かれるといった場合は
人間の弱い部分、業といった部分に
入り込まれる設定が多いものだ。
弱い部分といってもその弱いとは
「負」の部分であって、
弱者の持つ、抵抗できない弱さ・脆さ
といった部分が狙われることはあまりない。
ところが幼少時の梓には「負」の部分はない。
弱者が弱者ゆえに力を得る場合、
「取り憑かれる」のではなく、
「一緒に戦う仲間」を得ることが多いように思う。
そしてその通り、梓と餓鬼は共闘関係となる。
マスターと使い魔になったのだ。
餓鬼も梓と完全にコミュニケーション取れてるしね。
共闘の約束の代わりに、梓は何を差し出したか。
…何も差し出していないのだ。
ここで、餓鬼の目的は「善意」となる。
これは非常に重要なポイントである。
1983年の志賀くんの家では、まだ黒電話が現役だ。
メモの横に、長電話をけん制する砂時計が
置いてあるのが面白い。
この頃、東京大阪間の長距離市外通話は
4~5秒で10円だったようで、
今の携帯電話と比べても相当高いが
3分10円の市内通話でも長電話が疎んじられたもので
今とはずいぶん感覚が違うものである。
出た、るーみっく恋愛理論。
私があなたを好きだから付き合うべき。
梓は少しメンヘル気味に描かれているが、
言ってることは他の作品のキャラでも同じである。
それはおかしい、としている「笑う標的」のほうが
タチは悪くない。
譲と梓が最後に会ってから5年が経っていて、
しかもその5年は
中学~高校の間の多感な時期だ。
その、人格形成にも大事な5年をすっ飛ばして
幼いころの約束を優先する梓。
もちろん、約束から生まれたひたむきな愛、
というものもあるだろうが
しきたりに準じて──いや、殉じて
生きてきた梓である。
それは、餓鬼のせいではなく
まぎれもなく梓という人間そのものなのだ。
明言はされていないがこの時点で、
譲を婿に取るか、嫁に行くかということは
梓の中ではどうでもいいことであろう。
本家、そして梓母の呪縛はもうないといっていい。
だから、梓という女は
新しいやり方になじめない、古いタイプの女なのだ。
そんな女が、約束の男に尽くそうとやってきた、
そういうストーリーの「笑う標的」は
現代のおとぎ話ともいえるのではないだろうか。
なんかまとまっちゃったけど、
もう少し書きたいことがあるのでまた来週。