さて、そろそろやるか……「人魚」を。
人魚は大作なので
そううかうかと取り上げるわけにもと思って
なんとなく避けてきたのだが、漫画・アニメの
「チート転生」「死に戻り」ブームがあるうちに
取り上げておいたほうがよさそうなので
ここいらで腰を上げることにした。
つい最近まで“5ちゃんねる”にスレもあったし。
そこで語られていたことで
内容はほぼ網羅している気もするが。
そもそも僕は「人魚シリーズ」のアニメを
まったく見ていないのだ。
アニオタに復帰したのが2008年だったから……。
レンタルでもして見てみたい気もするが、
こんなの置いてる奇特なTSUTAYAあるんかね?
動画配信ならありそうだけど。
というわけで今回は
「人魚は笑わない」のレビューである。
花魁のように、帯を前で結んでいる真魚。
寝たきり、をあらわしているのか
誰かに身体を捧げるということを
あらわしているのか。
海水浴客の女性たちに「きったなーい!」と
罵声を浴びせられる湧太。
登場のインパクトとしては秀逸だが
シリーズを通して読んでから改めて見ると
湧太ってそんなに貧乏じゃないはずなんだよな。
死のリスクがない分、
思い切った行動に出て
人生のチャンスを掴めるはずだし。
戸籍はたぶんないけど。
そういやぁ、人魚の肉を食べたことで
身体能力の向上があるかどうかなどは
作品中では語られていないが、
その辺どうなのだろう。
格闘シーンや、水の中で人魚と同等に
渡り合っている湧太を見ると
何らかの身体能力上乗せはありそうだけれども。
野摺崎に人っ気がないことを
湧太はなぜ喜んだのか。
人魚を探している、ということから考えれば
人っ気がないほうが人魚がいる確率が上がる、
からなのか。
しかし人魚を探すには
噂や伝承を辿るしかないはずで、
それにはどうしたって人間を介する必要がある。
もしかしたら、だが
自分に浴びせられる好奇や侮蔑の視線といった
煩わしさから離れることができる、という意味で
人っ気がないことを喜んだのだろうか。
カタカナである。ちなみに「人魚は笑わない」は
1984年夏のサンデー増刊号、
「渚のはいから人魚」は1984年3月発売である。
真魚はなぜ、足枷をされて幽閉されていたのか。
逃げる恐れがあるからなのか。
しかしそういうものだと育てられれば
自分が生贄であることに
疑問は持たないのではないかと思うのだが。
水田があるらしい。男手もないのにすごい。
一同の中でも若く見える“鮎”(淡水魚)が
いちばん長く生きている?
な……なんだってーーー!!
いくら実年齢が年寄りっていっても
“鮎”は人間を食べてから
まだ少ししか経っていないわけですよ。
食べたばかりなのに、逝ねってひどくない?
人間喰ってから、満期を迎えたっぽい婆さんに
刺身になってもらう方が良くないか?
それとも若い見た目の人魚じゃないと
美味しい刺身にならないとかかね?
「ギャーーー…」という叫び声は
おそらく“鮎”の断末魔だと思うが
覚悟を決めていたにしては騒々しい。
人間に化けていた“鮎”が、
人魚の姿に戻って理性をなくしたから
ケモノのような雄叫びをあげた、
ということなのだろうか。
後述するが、
人魚に戻ったら理性をなくす、とは
どこにも描かれてはいないんだけどね。
人魚はなかなか死なないはずで、
だからこの銛には
例の毒が塗られていたのかもしれない。
あとで真魚に食わせるのに、
そんなもの加えるのもどうかと思うけど
(12/12追記:最終的には首を落として
絶命させたようなので、銛は身動き取れないように
磔にしていたのかもしれない)。
う、うち気持ち悪い!!
ばばはアホなのか?
実際には集落の者たちが“男”を苦手と
しているわけでもなく、
“男”イコール、即“侵入者”ということなのだろう。
死んだ雄太は“なりそこないの穴”に
放り込まれるが、そこはどうも
“鮎”の儀式を執り行った洞窟のようだ。
つまり“なりそこない”が行き交う洞窟で
儀式を行ったということになり、
ここにはちょっと疑問が残る。
エフェクトからして、
障子の向こうの気配には
気づいていなかったらしい湧太。
図らずして真魚が湧太を助けた、
ということになる。
特に作品中の意図はないようだが。
一コマだけ抜き出すと
何とも味わい深いコマであることよ。
なんでそんなブロック肉が落ちてるのかね?
得体も知れないのに喰ってるし。
つうか「人魚シリーズ」の登場人物たちは
みんな気軽にわけのわかんない生の魚肉喰うよな。
というところで、次回に続く!