ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









人魚シリーズ『夢の終わり』レビューその2


さて先週に引き続き、人魚シリーズの
『夢の終わり』をレビューしていこうと思います。

 

キタ――(゚∀゚)――!!(古い)
いやそれはいいけどさぁ、

このキラキラ背景はどういうことだってばよ(古い)


猪の肉を焼きながら
真魚の行水を盗み見る大眼。
ここで重要なのはその覗き行為ではなく
“なりそこないの飛び出た眼球は
視力を有している”ということですな。

そもそもなんで眼球が飛び出るのか。

深海魚を釣り上げると
水圧や水温が急激に減少することで
浮袋や眼球が飛び出たりしますが
人が人魚の肉を食べて身体に変化をきたした場合、
そこに環境の変化はありません。

ではなぜ目が飛び出すのか。
……もしかして人魚ってハゼ科なんじゃ!?

ジビエ食を貪る真魚
食あたりが心配なのでこんがりウェルダンで。

大眼は調味料を持っていたのかどうか。
なにしろ山の中だからなぁ。
まぁそれを言いだしたら火起こしだって
結構難儀しそうだけどね。

真魚が横文字の洋服を着ているので
『夢の終わり』は現代劇なんだけど
大眼が“なりそこない”になったのは

人々がまだ月代(さかやき)頭をしていた時代で、
それから長い間生きてきたのだから
塩コショーぐらい手に入れていてもいいけどさ。

まぁホントに、
大眼は湧太と同じぐらいの年月を生きてるんだよな。
もしかしたらプロット段階では
湧太と同郷で顔なじみとか
あったかもしれないですねぇ。

「なに゛もじないから」から一夜明けて
ひとっ風呂浴びて腹がくちくなるまで
思い出してもらえなかった湧太。
真魚ってホントに薄情なやつだな。

「男は…死んでだ…」という大眼。
ここ面白いです。
「あいつなら死んだよ」っていうのは
好きになった女が未練を残さないよう
横恋慕の男がよくいう嘘の定番ですが、
今回の場合、
湧太はたぶんほんとに死んでたので
大眼はウソは言ってない。

で、テンプレなら女がショックを受ける所なのに
「そうか」と意に介さない真魚というのが
また面白い。

真魚にしてみれば
「(湧太の)死体見なかった?」
と、あったかなかったかを聞きたいだけであり、
存在さえ確認できれば
湧太は自分の前に元通り現れる、という
死に戻り同士の不思議な信頼関係が築けているのだ。

このコマはパロディでありギャグでもあり、
ほんとに秀逸だと思う。

もうちょっとだけ一緒にいてくれ、と
懇願する大眼。
「ちょっとだけ」と言われても
“なりそこない”の不老不死の時間感覚じゃなぁ、と
『葬送のフリーレン』などに毒された頭では
思ってしまいますが
安心してください、真魚も不老不死ですよ!


大眼を仕留めるには首を撥ねるしかない、と
湧太に話すじいさん。
じいさんなんでそんなこと知ってんだよ。

大眼は昔、浜でボロボロの人魚の亡骸を
拾ったのだという。
首が落ちているみたいだから
案外、人魚の儀式で使われた
“鮎”みたいなやつの亡骸だったりして。


「そでからずっと…ひとりぼっぢだ。」という大眼。

真魚を見つけたことで孤独から解放されたというが
これは真魚と(かりそめに)打ち解け合ったことを
指してはおらず、真魚の蘇生つまり
同類と出会ったことを指している。

同類(道づれ)にやっと出会えたという点で
大眼は湧太とイコールなのだ。
ただ顔がままならなかっただけなのだ!
(ちょっとカニバリズム趣味があるけれど)


だからまぁ、『夢の終わり』は
湧太のIFでもあるのである。

ほんのちょっと風向きが違っただけで
こんなにも違うわけだが、
不老不死で死ねない、孤独、という点では
たいして変わりはしないともいえる。

では大眼が、
湧太のように同類を探す旅ができるかというと
化け物の身体ゆえにそれは無理なわけで。

運命なんて
ほんのちょっとのことで
大きく変わってしまうものなのだ、と
仄めかされているのかな、と思ったりします。

というわけで、またまた次回に続きます!

〈つづく〉