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闘魚の里 レビューその3


「闘魚の里」レビューも今回で3回目となりました。
その2はこちら

 

夜の見張り番を終えた鱗は
湧太が漕ぎ出す舟の艪の音を聞きつける。

のだが、えらく雑な描き文字だなあ。
スカイフィッシュが3匹飛んでいるのかと思ったぜ。


毒気のない表情の湧太。
今から船を盗もうっていう顔ではなく。
これは、これか。(24-8)



そしてこれは、これなのか。(14-11)



濡れた着物は脱いで乾かさないのか。
湧太の前だからってわけじゃなさそうだが。

鱗の裸を見たいわけじゃないんだけど、
こういう環境でこういう育ち方して
実利より羞恥心が勝つのか?とか
いろいろ考えちゃうんだよな。

そういやぁさ、
鱗をはじめ登場人物たちは
あまり日焼けしてないんだよな。
普通に考えれば、真っ黒だろ。

まぁ日焼けしてたんじゃあ
何をやっても健康的だし野蛮だし、
スクリーントーン貼るのも面倒だしねぇ。


5回生き返った湧太は
普通の人間に戻りたいと漏らす。
なぜなのか。

何度も苦しんで死ぬのが嫌なのか。
いっそひとおもいに死にたいのか。

そうではあるまい。

不死だから死が忍び寄ってくるわけではない。
死に近づくリスクが普通人と不死で同等なように、
危険に近づかないことだって
不死は普通人と同じようにできるのだ。


生きていたくない世界、というには
「闘魚」のこの時代は
ろくに情報もない発展途上であり、
そういう考えには至らないだろう。


結局のところ、
生きるスピードが他者と違うところ、
生きることの価値が他者と違うところが、
湧太にとっては辛いのだろうな、と思う。


言ってみれば
百年近く生きる人間と、
生きて数十年の犬猫との違いだ。

人間の人生において、
ペットがどんなに大切な伴侶だったとしても
人の人生の数分の一を占める程度でしかないし、
その死がどんなに悲しくても
犬猫の寿命に異を唱える者はいない。

「そんなもんだ」と思うしかないわけだが、
湧太の場合は、同じ人間に対しても
その死に際して「そんなもんだ」と
受け止めなくてはならない、
承知しなくてはならない、
そういう辛さがあるような気がする。


「人魚シリーズ」において
その唯一の理解者が真魚であり、
真魚という同類が現れたことで
湧太は孤独な世界から逃れることができた。

そうしてみるとこの「闘魚の里」は
湧太がまだ孤独だった時代を描くために
つくられたということだろう。


ただまぁ、ここでは湧太もまだ
不老不死ビギナーな感じはするんだなぁ。
考えがまだまとまっていないというか
悟りを開いてないというか。
老成してないんだよな。

絶望してしまったら話は終わってしまうけど
湧太が孤独と絶望の淵に立つようなエピソードは
一つあってもよかったような気がする。

「舎利姫」も、
湧太が自身と対話する話ではなかったしなぁ。


もっとも、今となっては
高橋留美子がやらんでも
世の中の数限りない「死に戻り」漫画や小説が
それを充分過ぎるほど補完しているんだけれども。


人魚の棲息地と思われる場所を湧太から聞き出し、
算段を付ける鱗。

湧太にその場所を教えたのは砂だ。
その場所が砂の生国なのか砂の狩場なのかは
語られていないが、
とにかく砂はその場所のことをよく知っている。

海流や渦潮のことも知っているはずなのだが…。


湧太の逗留が長くなったことの描写だが
季節感がないのでどのぐらい経ったかわからない。
次の上弦の半月(はんげつ)までというなら
最大、30日程度ということになるが
海賊衆ともあろうものが、
たった一ヶ月程度で余所者に心を許す、
なんてことがあっていいのか?


お出かけするので/あるいは売買に利するように、
ちょっとおめかしをした鱗。

湧太には似合うと言ってもらっているが、
全然似合ってねぇなぁ。
普段の格好のほうが百倍いい。

着物の裾もつんつるてんだが、
それは貧しい島暮らしだから
ろくな着物がない、という描写なのかな。

幅広の帯も登場していない時代のようで、
締めているのは細い帯だ。
その見慣れないコーディネートが
似合っていない理由なのかと思ったが

砂はかなり着こなしているんだなこれが。

ここで気付いたのだけれども、
砂は着物の裾をかなり長くしており、
爪先しか見えないようにしている。

これは明らかに意識的にそうされている。

人魚だからだよねきっと。

で、鱗に斬られて一度死んだあとは
帯が見えにくくなっている。

これも意識されての作画だろう。
一度死んだことで、
妊娠週数が進んだようなイメージだろうか。

なんにせよ、この辺のこだわりの作画は
細やかでいいですなぁ。


湧太へ芽吹いた淡い感情を
まだ扱いかねている鱗。
「恋」という言葉も鱗は知らないのだ。
「恥ずかしい」という感情も知らない。

恋心に戸惑うことさえ知らず、
だから鱗はそれを原始的な
“好き・嫌い” “大事・大事じゃない”
程度の感情で処理しようとしている。

これは秀逸だと思いました。

まぁよく考えてみると
少女の無垢さを消費しているとも言えて、
しかしそんなこと言いだしたら
世の中の淡い初恋物語は全部アウトで、
いったい世の中のポリティカル・コレクトネスは
どこへ向かってしまうのかという、ね。


鱗と湧太の関係性が
ぼんやり見えてきたところで
またまた来週に続きます!〈つづく〉