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闘魚の里 レビューその7 最終回


今週は『闘魚の里』レビューの7回目、
最終回となります。

いや~なんだか人魚な夏だったなぁ…。
レビュー6回目はこちら

 

物語は逆髪島での鱗と湧太のピンチシーンから。
逆髪衆の下っ端は“なりそこない”となって
二人に襲いかかる。

なりそこないがなぜ人間を襲うのか、
この作品や『人魚は笑わない』中では
語られていない。

ここでの下っ端たちの状況を見る限り、
空腹によるものというわけでもなさそうだ。

なりそこないを主役に置いた
人魚シリーズ『夢の終わり』でも
「何が何だか分からなくなって」(意訳)
以上のことは描かれていないので、
おそらくは狩猟本能、闘争本能のようなものだろう。


なりそこないの鼻先を削ぎ取る鱗。
バトルシーンにしては謎のこだわり作画だ。
北陸~東北には
氷頭なます”という料理がありましてね。
思わずそいつを思い出してしまいました。


自分は人魚であり、
そのなかでも二本足の種族である、と語る砂。

これもわかり辛い台詞だ。

この台詞は頭領に言っているようでいて
読者への種明かしでもある。
曰く、人魚には二種類あると。

そして己(砂)が“二本足”属ゆえに
“海の人魚”よりも“二本足”のほうを
強めに語っているんだけれども……。

前作『人魚は笑わない』の
人魚たちの村(野摺崎)で既に
人間そっくりな人魚を知っている読者にしてみれば
「二本足の人魚のことは知ってるのに、
これだけ改めて強調されるということは
自分の認識以上の何かがあるのか?」と
戸惑いを覚えてしまう。


一見、いかにもトリックの種明かしに
見える演出なのだけれども、
あくまで『闘魚』単独で成立させられた台詞であり
『人魚は笑わない』既読の読者向けではないのだ。

我々にとっては“思わせぶり”に
作用してしまう台詞だが、
それは“うがち過ぎ”なのだろう。

時系列的には矛盾していないしねぇ。


それにしても、“海の人魚”を“こやし”と呼んで
被食側扱いするのなら、
『人魚は笑わない』で
わざわざ“鮎”に忌んでもらわなくても
海の人魚を獲ってきたらよくない?

若返りの人身御供の食餌としては
また別の話なのかな。
アンチエイジングもたいへんやな。


「闘魚』においては
砂を“魅力的な敵役”にしたかったのか

いかにも砂が逆髪衆を操っていた風に
話を持ってってるけど、
人魚の肉が不老不死の効能を持つことは
(リスクがあるにせよ)事実であるし、
そういったことから考えると
せいぜいが“そそのかした”とか
“(砂自身が)尻馬に乗った”程度であり、
砂は実はわりと小者である。
身体張った活躍あまりしてないしね。

身籠った女の必死さ、みたいなものが
どこかであったらよかったけれども。


数多のなりそこないを皆殺しにした鳥羽島海賊衆。
強ええな、おい。

逆髪頭領の成敗を叫ぶ湧太。
結構なお題目だけど、
なりそこない頭領に知性が残っていないのならば
別にこいつだけが取り立ててどうということも
ないんじゃないだろうか。
なぜこの理由付けが必要だったのだろう。

暴れまくる、なりそこない頭領。
『うる星』の総番味あるな。
というかこのアイパッチ付けたままの怪物化で
シリアスを保つのは無理があるよな。
この『闘魚』はいったい、
どういう温度感を狙ってたんだろうね。


なりそこないに追い詰められて海へ身を投げる砂。

これなぁ……、
なりそこないが息絶えるタイミングが
あんまり良くないんじゃない?
砂が身を投げる理由がなくなるし、
なりそこないの頭領にしたって
砂だけは絶対殺すマンになりきれてなくて
死に際の執念みたいなものを感じないし。

砂は、飛ばなくてもいいのに飛んだ、
砂はなぜ飛んだのか。

自死ともとれる身投げ=命懸けの出産、と
繋げるには、魚の出産(産卵)なんて
たいして危険じゃないだろうしなぁ。

あえていえば、“時が満ちた”ことを
よりシンボリックに“海へ還る”ビジュアルで
見てほしかったのかなぁ。


謎めいたといえば
砂が最後に見せた、この笑みもそう。

少なくともこの時の砂は
たとえ出産まで何とかこぎつけたにせよ
幸福感なんぞに微笑む状況ではなかった。

皮肉であれ何であれ
人間たちに何かメッセージを残していると
読み取るのが普通だ。

それが、人魚族の存在を知らしめた満足感なのか、
低俗な人間を小馬鹿にした薄笑いなのか、
彼女なりに、してやったりと思った笑みなのか。

まぁこれについては個々の解釈でいいだろう。


砂 第二形態、及び幼生2体。

この絵が真実の絵なのか、
鳥羽島衆たちの脳裏のイメージ映像なのか、は
わからない。

もし真実の姿だとすると
海中でも美人を保てるのなら
『人魚は笑わない』の人魚とは別種か~、とか
子供は胎生なのか~とか、

この見た目の新生児が乳に吸い付くんか~とか
まぁいろいろ
思うところはあります。


さて残すは鱗と湧太の恋の行方。

たかだか1ヵ月程度一緒に暮らしたぐらいで
そんなに情愛が募るものかという気もしますが
共に死線を潜り抜けたというか1回死んだというか
特に今まで、同世代の男性に
恵まれなかったであろう鱗にとっては、
吊り橋効果もあって
初めてのスキトキメキトキスになっても
まぁしゃあない。

でも湧太は一応既婚者だよね?



「ちょっとの間だけ…いい夢見たよ。」
これを読んで、湧太が実際にうたた寝したと
読み取った人はいないだろうが、
実際の鳥羽島での暮らしを回顧したものなのか
相手への想いを夢として伝えたのかは
意見が分かれるところだろう。

「俺の女房になってたよ。」などと
ありもしない妄想を述べているところは
鱗への慕情を露わにしているようにみえるが、
それを湧太から切り出すのが
「俺から別れるけど、お前いい女だったよ」的で
なんかキモい。
昭和の男の価値観、ってヤツ!?


しかしですなぁ、仮に
「ちょっとの間だけ…いい夢見たよ。」の部分が
別れに際しての儀礼的な湧太の回顧であるなら、
それに対して

ウザ絡みしてきた小娘の鱗を
「俺の女房になってたよ。」と
適当にいなす湧太、という解釈もでき、
ラカンともなった今の僕から見ますと
そのほうが自然だよなぁ、などと
思ったりもするのです。


僕はラブストーリーは結構好きなほうなんですが
『闘魚』にラブが必要だったかというと
別に要らなかったんじゃないかと思います。

それか、鱗の“淡い想い”どまりにしておく方が
よかったんじゃないかと。

『闘魚の里』はかなりエンタメ寄りですが、
『人魚シリーズ』においては
けっこう重要なポジションにあるのですから
どっしり重厚感のある作品であってほしかった。

まぁその後の『人魚シリーズ』が
こんなふうに続いていくなんて
当時の高橋留美子氏は
考えていなかったかもしれないけれど。


そういえばレビューその2で提起した
鱗=ウロコであることについては
特に何も考えつきませんでした。


という感じで、「闘魚の里」レビューは
これにて終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました!
〈おしまい〉