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人魚シリーズ『夢の終わり』レビューその4


お盆が終わって、世の中はまた日常へ戻ろうと
しています。地震やら台風やらありましたけど
明日は月曜日。

さて今回は『夢の終わり』のレビュー最終回です。
前回はこちら

 

大眼が己を振り返って自省の言葉を述べているのに
問答無用でいきなり散弾銃をぶっ放すじいさん。
俺が法律だ!

そしてたじろいだものの
撃つこと自体には異論は挟まない真魚
この辺りは作者の哲学があるのかもしれないな。

撃たれた痛みで頭がフットーしちゃった大眼は
じいさんに襲いかかる。

傍らでじいさんの猟犬が悲鳴をあげているけれど、
こういう場面での高橋留美子氏の書き文字は
ギャグのつもりなのか、
シリアスに書きたいがそうならなかったのか、
判断に困るなー。
カタカナで書かなかった辺り、
作者のイタズラ心があるような気もするけれど。

懐柔しようと追いすがる真魚
鋭い爪で振り払う大眼。
実際にヒグマあたりに引っかかれると
致命傷になるといいますが、
考えてみたら魚類なのになんで爪があるんでしょ?
どっちかっていうとトゲであるべきなんじゃ?

遅れて到着した湧太の槍には
ダイナマイトが括り付けられている。
ちょっと前のシーンでは装着されてなかったので
どこから湧いてきた? と一瞬思ったけど
じいさんから受け取ったのかねぇ。

爆発による攻撃がうまく決まったところに
「とどめはワシが」と歩み寄るじいさん。
素人には難しいと思ったのか、
穢れ仕事は年寄りが、と思ったのか。

だけど湧太は
以前に逆髪衆の頭も倒してるし
じいさんよりも実は年寄りだし、
湧太から見ればじいさんのこれは
“若気の至り”になるんだよな。ちょっと面白い。

湧太はじいさんのことを
「じいさん」って呼んでるけれど、
どういう心持ちなんでしょうねぇ。
じいさんを“老け込んだ若造”と思っているのか、
それとも自分を若者と自認しているのか。

湧太が長く生きているといっても、
中高年男性としての経験はしていないから
(つまり例えば親としての経験はない)、
実年齢は関係なく、
相手がじいさんならじいさんなんでしょうか。


反撃に出た大眼に、じいさんと真魚
吊し上げられてしまう! だがその刹那、

湧太の斧が、大眼の喉笛に突き刺さる。

大眼を殺めたことに痛みを覚える湧太。
でも実は湧太は、
大眼の事情をあんまり知らないはずなんだよね。
真魚が懐いていたからといっても、
さっきダイナマイトを放った湧太が
ここでこんなにナーバスになるのは
ちょっと不自然だなぁ。
なんらかの、補足するページが必要だったよねって。


どうでもいいけど、
逆髪衆の頭の時も今回も、
ちゃんと首を落としてないよね。
鬼滅の刃』を経た後だと
なんかちょっとそれでいいのかって思えるけど
まぁあっちはモノノケであって
首を落とすというのも、物理的にというよりは
概念の問題のような気もするし、
こっちの人魚の場合は
頸椎というか脊髄というか
そこを断ち切ればいいという感じなんでしょうね。


息も絶え絶えの大眼は、真魚の名を呟く。
気道を掻ッ切られているのにすげえ執念だな。

真魚は大眼に何もしてあげてなくて、
いってみれば“同類として存在しただけ”なんである。
であれば、それは“湧太”に置き換えることも可能だ。

真魚が女だから
なんか聖母のような雰囲気になっているけれど、
大眼と真魚の関係性は別に深くはなく、
だったら湧太と大眼をカップリングしたほうが
物語としては捗ったんではないかなあ、と思う。

そうならなかった理由の一部には
“少年誌として、男同士の関係性なんてつまらない”
というのがあったのかもしれないな
(同性愛要素抜きで)。


「大眼は最後に人間に戻れたのだ」という湧太だが
この“やっと戻れた”というニュアンスは
事実をあらわしてはいない。

湧太は、大眼の
平静の人間らしい振る舞いを見ていないから
この台詞も間違ってはいないのだが、
一連を見てきた読者からすると
違和感を覚えずにはいられない。

例えば大眼が、凶暴化している最中に
自分を律しようとする意識などを見せれば
人間に戻ったとも言えようけれども。

それは例えば『鬼滅』の禰豆子が
人喰いを我慢するシーンのようにだ。

そうしてみるとこれは
傷付いた真魚を慰めるための台詞だったと
思うのが妥当だが、
雑にまとめた感じはするなぁ。


「もう悪い夢は終わった…」という真魚の台詞で
タイトルが回収される。

読後感は何ともいえない。

ラストはタイトルがどんでん返しとなっていて
『夢の終わり』、つまり
希望が断たれる・打ち砕かれるという
ネガティブな物語だろうという予想が、
実はその“夢”そのものが“悪夢”だったので
悪夢の終息、というハッピーエンドだったのだ、
という仕掛けなのだが……。

実は誰もハッピーじゃなかったよね、っていう。


そもそも物語として俯瞰してみると
湧太と真魚はストーリーに作用していないのだ。
彼らはゲームチェンジャーではなく
ただの傍観者に過ぎない。
大眼がじいさんに討伐されたことに
立ち会っただけといっていい。

であれば『人魚シリーズ』としては
湧太と真魚が、何かを得るべきだと思うが
実際には逆に湧太と真魚が“与えた”だけにとどまり、
それによって彼らがどんな気付きをしたのかは
描かれなかった。

この辺りが、
何ともいえない居心地の悪さを
生み出しているのではないだろうか。

まぁそれが作者の狙い通りだったかもしれなくて、
例えば身近なところでは『笑う標的』だって
後味の悪さが“味”なわけで。

だからこの『夢の終わり』は
『人魚シリーズ』ではあるけれども
どちらかというと、氏の一連のホラー作品に
並べられるべき作品なのかもしれないな、と
思ったりしました。

前後編ぐらいのボリュームでも
読んでみたかったような気がしますなぁ。


〈おしまい〉