ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









なんの成果も!得られませんでした!!「ハッピー・トーク」レビューその2


さて、今回は
ハッピー・トーク」のレビュー2回目です。


母親を探し出してどうするのだ、という浜松。

甘えたい(心を許せる人の元で解放されたい)
んじゃないの?という小尾。

浜松は、その後の暮らしのことを言っているのに
小尾はそこまで考えが回らず
比較的会ったすぐ後のことを考えている。

これは小尾の若さの描写なのか、
小尾の、日菜子への愛情の描写なのか。

もっとも浜松は
もう仕事として受けているのだから
このタイミングで調査の目的に異論をはさむのは
プロとしてどうなのという感じではある。

小尾と男同士だからということで
ついくだらない呟きが出たのだとしても、だ。

おそらくは、このパートで
日菜子の昔語りを入れたかったのだろうと思うけど、
打合せのエピソードにしても、
お絵描きのエピソードにしても、
それが入ったからといって
日菜子のキャラが深くなったりしていないんだよな。

日菜子が寝ている隙に
男二人がしんみり話すシーンを入れたかっただけ、
のような。

だったら話の内容をもう少し捻って
“大人の浜松”の描写にするとか
やりようはあったんじゃないだろうか
(この「ハッピー・トーク」、
浜松の魅力描写はほとんどないし)。

ところでこのシーン、
現実部分と回想部分を
ワク線の太さで薄っすら区別しているけど
ほとんどシームレスな繋がりになっていて、
これはとても粋なやり方だと思う。
映画的、でもある。

小尾が浜松に話す台詞だが、
そのルビは「かあさん」でいいのか?
それでは浜松には
どの母さんを指しているか区別できないだろ。

悪くて養父・養母には聞けないと日菜子はいうが、
それはつまり
聞くと養父・養母が悲しむということなのか。

日菜子と開けっぴろげに家族として暮らしてきた
養父・養母なのに、
日菜子が実母に会ってみたいという気持ちを
悲しく思うなんてことがあるのかなぁ。

まぁ一言でいって、
日菜子は養父・養母の愛情を甘く見てるよな。

そういう、少年少女が未熟であることを
魅力として取り沙汰したコンテンツも
過去には結構あったけれども、
この「ハッピー・トーク」ではそれは
謎解きに関わる部分だけに、
体よくごまかされた感じがしてしまう。

エピソード中、養父・養母は登場しないしなぁ。
もっとも登場させたところで、
養父・養母がいい人だったら
相対的に日菜子の株が下がってしまうし、
登場させない判断は、然りだと思うけれども。

ここで「女」に「ひと」と
ルビをふるのはいいね。

あんまりそういう世界には詳しくないんだけど
源氏名)美菜子さんぐらいのキャリアの人って
もうそんなに
あちこち店を移ったりしないんじゃない?

というかさ、「つい先日」(←日菜子談)、
「また“夢宴”にお寄りください」と書いてきた
美菜子が、あっという間に移籍するなんて
ちょっと不自然な感じなんだよな。
ハガキが届いてから
せいぜい一ヶ月も経ってないわけでしょ。

んでこのママも、
ついこないだまで一緒に働いていた美菜子を
語るにしては、ずいぶんおぼろげに語るしさ。

どうも、“ヤマ場の前のワンクッション感”が
強いんだよなー。
まぁ赤川次郎発だろうから、
そんなもんかもしれんけど。

個人的に、日菜子のこの台詞は
とても気に入っています。
後先考えず、勢いだけで行動したその責任を
ここで日菜子は受け止めようとしているわけで。
もう後戻りはできなくて、でも勇気が出なくて。
ちっちゃい女の子が頑張ろうとしている姿は
なかなかいいもんです。

美菜子(源氏名)である。
ニューハーフというか、おネェというか、
しかしどちらかというと
自らのおっさん顔を逆手に取った系の
お姉さんである。

なかなか面白いなと思ったのは、
この美菜子さん(源氏名)のことを、
ギャグキャラとしては描かなかったことだ。

見ての通り、結構誠意をもって作画されている。
紋切り型の“保毛田保毛男”ではなく、
ちゃんと“女装した骨太の中年男性”を
描いているのは賞賛に値するだろう。

とんでもないことと言われましても…。

若い読者なら(当時の僕なら)
日菜子の淡い気持ちを、とか
純真な気持ちを、とか思ったかもしれないが
今読むと、
日菜子が勝手に早とちりしてカラ回った、
ただそれだけに見えるのだ。

他に嘘つきや間抜けがいるわけでもなく、
日菜子以外の者は、
みな誠実に正直に動いているのであって。

諸々の原因は、日菜子にしかない。

いってみれば、この「ハッピー・トーク」という
エピソードの責任は、全て日菜子にあるのだ。

それが、
“日菜子のドジっ娘奮戦記”のように
描かれるのならともかく、
結構なシリアス人間ドラマとして描かれると、
それはちょっともう、
日菜子が未熟ということでは
済ませられないのではないか。

さて、そこからの流れだが

どうするも何も、
日菜子の勘違いだったってことなのだ。
だから、

隠してどうなるもんでもない。
まぁ、思わず隠し立てしてしまった、と
捉えられんでもないが。

んで、この
「ごめんねごめんね日菜ちゃん。」が秀逸だ。
不義理の母の常套文句のようでありながら、
美菜子(源氏名)は自分が
美しい女じゃないことを詫びているのだ。
この、
「自分が美しければまだ日菜子は救われたのに」
というわけのわからん思考が
不条理過ぎて、もはや面白い。

まぁ実際小尾あたりも

なんで驚いているかっていうと
対象が人違いだったからではなく、
顔のままならないおネェだったからこそ
こんなに驚いているのであって、
もうそうなるとこの作品自体がここでは
美菜子(源氏名)の異形さを
拠り所にしているのである。

そこがね、ちょっとね。
例えばもし、実の母の顔が崩壊していたら
その価値は毀損されるのか、っていうね。

なんというか、“絆”というテーマと
しっくりこないギャグなんじゃないか、と思うのだ。

だから、

このシーンで、
美菜子の素顔をものともしない日菜子、という
if もあったかもしれんよね。

ただそれは時代が進んで
多様性や LGBTQ+ の議論が進んだ
現代じゃないと出てこない if なのかもしれない。

#であるからこそ、令和の世に
#古い作品のレビューをする価値も
#あるんじゃないかと思ったりしています。

成功報酬3万円か。
全体の半額が成功報酬だったとして、
調査は4日間やってるから
1日あたり2万円もしないのか。
探偵の相場は知らんがそんなもんなのか?
まぁピンキリだろうし
浜松の感じからするとそんなもんかもなぁ。

それにしても宿泊費足したら結構払ったな。
十万ぐらいか。
カンパ含めても、
高校生にとってはかなりの大金だっただろうに。

追い詰められた日菜子の表情。
しかしこの時点で、
美菜子(源氏名)が実母の美菜子とは別人だと、
日菜子はわかっていない(知らされていない)。

確かに美菜子(源氏名)は、
日菜子が知っている、
古い写真の母の顔とは違っていたろうが、
死んだはずが生きている、などという
何でもありになっているこの状況では、
いかついおっさん顔だからといって即、
「これは母さんじゃない」とはならんだろう。


だから浜松や小尾の言葉は意味をなしておらず、
それらはただの周囲の雑音だ。

何に追い詰められているかというと、
“母のままならない顔”に、なのである。

「父は女だったんじゃ~っ!」

(「うる星」15-6)と同じ図式というか。

こんな展開は考えてなかった、
どうしようどうしよう。
どうして私が。なんでこんなことに。
そういう、言ってみればパニックの表情であって、
だからここで日菜子の顔が
ちょっと“不憫っぽく”描かれているのは、
なんだかおかしいような気もする。

あえていうならば
未熟な人間の弱さを表しているともいえて、
でもそれは、さっきも言った通り
日菜子が責任を取らなくてはならないことなのだ。


「あれじゃーな」とはご挨拶で、
小尾の青くさいところを
浜松がいさめるのかと思いきや、

浜松も意外にも同調してたり。
ここ、他の解釈あるのかな。
ないと思うんだけどなぁ。


最後の〆はこの「抱きしめさせて!」
なにそれ意味わからん。

浜松や小尾に、日菜子が
好感を持つようなエピソードあったかぁ?

そりゃ小尾はカンパ多めに出したり
心配で着いてきちゃったり、
日菜子を好きなことは明白だけれど、
そしてそのことに好意を持ってもいいけれど、
抱きしめる、は一足飛び過ぎだろ。

あれか、“素晴らしきかな我が人生”的なあれか。
いや、なんか突飛過ぎない?

なんかどうも強引だよなぁ。
ラストシーンのバリエーションの模索かなぁ。

なんかもう、やらかしてしまった日菜子に
罰として一発ギャグで〆ろといったら
「抱きしめさせて!」ってやった、みたいな。

いやオチてないやん…。
あかんやん…。

でもちょっと喜んでるのが安っすいんだよな…。
〈おしまい〉