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年頃の男性としての畑中耕作

1ポンドの福音」は
読者をふるいにかける漫画である。
僕などは漫画好きの末端でしかないが、
しかし今まで培ってきた固定観念のせいで、
「1ポンド」を読むのはたいへん努力を要する。


ある意味で、「1ポンド」は
今までにない新しいことを
やっているようにも思える。
超大型連載の端境期に生まれた作品であるからだが、
しかし最初は読み切り予定だったはずなので
読み切りと連載の方法論の違いが
この作品に妙な狂いを
生じさせているのかもしれない。


「狂い」というと批判しているようだが
ギャグマンガにおいては必ずしもそうではなく
荒唐無稽、ナンセンス、アンバランス、
破壊、破綻、と
有意に働くことももちろんあるので
時には誉め言葉ともいえよう。


では「1ポンド」においてその「狂い」が
プラスに働いているかどうか。


「1ポンド」の登場人物の関係は、
畑中耕作が、ジム関係者とやり取りしながら
シスターアンジェラとの恋を
成就させようとするのだが、
教会関係者や対戦相手による障害がたびたび入る、
ざっくり言えばそんな感じだろう。


シスターアンジェラも対戦相手も
そこそこユニークで、
それはいくつものエピソードを構成していくのには
たいへん役立ってはいるのだが、
キャラクターのパワーとしては
畑中耕作がぶっちぎり過ぎていて、
他のキャラの付け入る隙がない。


これは、「うる星やつら」終了後の作品として
実に興味深い。


本来ボーイミーツガールな話であった「うる星」が
相当な長編としての存在を持続するため
群像劇となっていき、
しかし最終的にはやはり
ボーイミーツガールに回帰した、
そのことにも端的に顕れている、
「男の子がいろいろな事象に遭遇していくおとぎ話」
のような形態は
高橋留美子作品の根幹だと僕は思うのだが、
1ポンドの福音」ではそれを再確認し、
「男の子」が「主役」の物語を
作ろうとしたのではないか。


同時期に生まれる「らんま1/2」が
男女差を強調することで
男の子の男の子らしさを表現していることも
合わせて考えるとなかなかに感慨深い。


さて、そんな「男の子のお話」として
作られようとした「1ポンド」。
漫画で重要なのはキャラクターだと
高橋留美子氏はよく語られていたが、
では「1ポンド」の主役の畑中耕作というキャラは、
いったいぜんたいどういうキャラなのか。


・食べることに異常な執着心がある。
・ボクシングに特殊な才能がある。
・シスターアンジェラのことが好き。


wikipediaのキャラ紹介にも
だいたいそんなことが載っている。
だが僕からいわせるともっと強烈な特徴がある。
それは


・女性全般を欲望対象とすることに躊躇しない


ことである。


るーみっくキャラで女好きといえばまず第一に
諸星あたるが挙げられるだろう。
次点で面堂と三鷹あたりだろうか。
だが諸星あたると面堂は、
所詮はギャグマンガ中で
報復の平手打ちを受けるための
女好きというキャラを演じているだけに過ぎず、
三鷹においては女好きでさえなく、紳士であり、
女性方面に「いい顔をしている」だけである。


だが畑中耕作はちょっと違う。
外出先でたまたま会った知人女性に
同意のないキスをしたり、
しかもその悪行をまったく意に介さなかったり、
想いを馳せる女性がいながら
水着姿の女性をナンパしたり、
女性に交際を承諾させるために
ワンボックスバンで拉致誘拐したり、
2020年の感覚でいえば完全に犯罪者だが、
1990年ぐらいの意識をもって見てみても
やはりどうにも感情移入できない。


彼にとって女性と付き合うというのが
相手のパーソナリティーと接していくことではなく
「彼女を得る」=「女を得る」ことであるのが、
19歳の男子なんてどうせヤリたい盛りだろう、という
制作サイドの変な手回しによるものに感じて、
中高年になった僕には
ちょっと受け入れることができないのだ。


自分が中高年になったから?
ほんとはそうではないと思っている。


畑中耕作というキャラが
変質者のような女好きでありながら、
物語が耕作とシスターアンジェラの
ラブストーリーの体を装っているのが
理解できないのである。
「わっかんねえなー」ではなく、
「狂ってる」と思う。


その狂いっぷりが、でも実はそれこそが
めくるめくジェットコースタードラマだと
いうのであれば
僕が、ふるいにかけられて
残らなかったということなのだ。


畑中耕作についてもう少し。


彼が食欲旺盛すぎて
しばしば減量に失敗することなどは、
実はささいなことでしかない。
しばしば、ちゃんと減量を済ませて
成果も出しているのだから。


つまり彼の食欲という特徴は、
ストーリーを左右するほどの言い訳にはならない。


そのうえでいえば、
彼のように中途半端なやり方をしている人間が、
スポーツで勝ってしまってはいけないのだ、本来は。


しかし「1ポンド」はスポ根ではなくギャグ漫画だ。


…そうなのである。
そこにスポ根の読み方を持ってきてはいけない。


たしかにそうなのだが、
では畑中が世界チャンピオンになるのもアリなのか?


対戦相手が常に
なにがしかの副業をやっている者ばかりで、
ボクシング一筋に打ち込んできた者が
(後半)現れないのは
何らかの不都合を見せないためではないのか?


僕は、畑中耕作のボクサーという部分も
破綻している、狂っていると思うのだ。


「狂っている」のを眺めるのは面白い。
だが、狂う尺度が違っているとどうにも楽しめない。
そこがふるいであり、フィルターとなっている。


1ポンドの福音」は、
狂うことを目標とした作品かもしれない。
いろいろな端境期にあった作品だけに、
制作背景を思うとたいへんに興味深い。
人を選ぶ漫画であることは確かだし、
ストーリーが破綻している、で
切ってしまうことは簡単だが、
死ぬ前に一度ぐらいは読み直してみてほしい、
そんな漫画である。