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「1ポンドの福音」は大人向けだったか

1ポンドの福音」は、
このブログで題材にすべきかどうか
ちょっと悩む作品である。
うる星やつら」の連載終了の時期から始まって、
らんま1/2」を駆け抜け、
犬夜叉」の終盤の頃まで続いた作品であり、
始めと終わりとでは作品の雰囲気が全く違う。


特に、「小羊の未来図(4巻)」から
「小羊の約束(4巻)」においては
一気に5年の月日が流れており、
別人が描いたかのような変化がある。


とりあえずは序章の辺りから始めてみよう。


この作品は当初は
読み切りの予定で始まったらしいが、
第1話、第2話を見ると確かに
増刊サンデーの読み切りの系譜というか、
高橋留美子劇場の系譜というか、
トンデモな、
それでいてどこか庶民的な一篇となっている。


主人公の畑中耕作がストーリーを作っていくが、
ではシスターアンジェラが
主演女優かというとそうでもない。
「勝手なやつら」からしばしば見られるように、
ヒロインは助演に徹していて、
主役のストーリーのサポートをしている。


助演といったのは、
シスターアンジェラのキャラが弱いからだ。
そもそも修道女という設定が
ほとんど活かされていない。


ただそれはそれでいいのだ。
耕作のストーリーを描くにあたって、
彼女そのものが舞台の一部であり、
修道女という概念として
シンプル・簡単であったほうが
耕作の動きに読者を集中させやすい。
少なくとも、読み切りにおいては。


さて畑中耕作だが、
食べることに異常な執着を示す、というのは
諸星あたるの女好きと同じような設定だ。
あたるの女好きがラムとの鬼ごっこ
障壁となっているように、耕作においては
食欲がボクシングの妨げになっている。


だが必ずしも似て見えないのは、
あたるの存在意義がスチャラカであることであり、
その見地からいえば女好きという特徴が
プラスに働きこそすれ
何かを損なうことはないのに対し、
耕作の食欲のほうは、大げさにすればするほど
ボクシングへの情熱の説得力を失うところである。
この、食欲と減量という部分のバランスが、
1ポンドの福音」においては
ギリギリ成立するかしないかの
境界線上にあるのではないかと思う。


そもそもボクシングの減量のネタとしては
マンモス西の「鼻からうどん」が
古典中の古典としてあるわけで
そこにどうやって
食い込んでいくかというところだが、
その活路を禁欲をモットーとする修道女に
求めたのではあるまいか。


作品全体のテーマを
駄洒落から広げていくようなことも
高橋留美子氏は行うのではないかと思うのだが、
「まな板の上の小羊」ラストの
向田会長のセリフにもある
「悔い改めよ」→「食い改めよ」あたりが
その発想の大元のような気もする。


なんにせよ装置として修道女を置いたわけだが
意外なのはシスターアンジェラが
あまり禁欲的ではないところだ。
飲酒もそうだが性愛においても破戒的である。
逆手にとって「あらあたしったら」
というキャラ作りもできるだろうに
それさえないところが、たいへんに子供っぽい。


ここではたと考える。


僕は「1ポンド」を青年コミックと思っていたが、
それが間違っているのではなかろうか。


「1ポンド」の掲載はヤングサンデーであった。
ヤングサンデーの前身は少年ビッグコミックである。
スピリッツからの移籍も多かったし、
サンデー読者よりも上の年齢層を
ターゲットにしていたとはいえ、
「1ポンド」の想定読者層は、
結構低めの年齢層なのではないだろうか。


ナンセンスギャグが
常に幼稚ということは決してないのだが、
そっち方向に舵を切っている様子が、
「1ポンド」には見え隠れする。


自分がターゲットから外れているのだから
物足りなさがあっても仕方のないことではあるが、
期待しているだけにどうにも悔しい。


レビューとしては
高評価をつける気にはあまりなれないこの作品だが、
分析するには興味深いところがたくさんあるので
もう少し続けてみたいと思う。