梨の季節である。
以前は二十世紀梨が
比較的容易に手に入るところに住んでいたのだが、
現在住んでいる東京ではほとんど店頭に並ばない。
「うる星」にも梨の話があって
どんだけネタに困ってたんだよって感じだが、
まぁそれはいいとして
「愛の行方」(20-3)のレビューである。
表紙はラム(残念胸)と栗子さん。
なぜ栗子さんのほうだけ出て
長十郎さんは出てこないのか。
栗子さんが女性キャラだからなのか?
まさかとは思うがサブタイトルから考えると
娘二人が報われない愛を憂いている絵なのか?
特に面白いことが起こらないから映さないだけで
見えないところで授業はして…ないのか。
淡々とした授業シーンなんて、
登場人物がモノローグを語る時ぐらいしか
使い道がないものだが、
こうはっきり授業はやってないといわれると、
単位とか大丈夫なのか?と思ってしまうな。
そのせいで季節が巡っても
卒業が訪れないのかもしれないが。
栗子さんのほうは野生なのかね。
だからこんな適当な名前なのかな。
栗子さんと長十郎さんは、言ってみれば
野良犬と血統書付きぐらいの差があるのだが
そういう身分の違いの話にはされなかった。
めんどくさいことになりそうだしな。
周りに“なって”いる兄弟の梨たちには
意識とか自我とかはないのか。
そいつらと恋の鞘当てになったら
めんどくさいことになりそうだしな。
死なないんだ。
ラムには長十郎さんの顔(目)は見えんのか?
後ろのページでは、ラムが栗子と顔を見合わせて
意思疎通しているように見えるが。
なんで梨が頭にくっつくのか。
「そうだこの人間の身体を使って…!」
とかいう説明が、
一切ないところがもはや清々しいな。
ギャグ漫画だから非常識なところはまぁいい。
でも妖力だとか、突然変異だとか、
そういう何らかの説明はないとダメだろ。
恋愛の力なら、
同じ枝に“なって”いる兄弟梨だって
同じように恋愛するべきだし。
ふ~ん、そうなんや。
(自分の)夢の中では抗えなかったみたいやけど。
「だっちゃ」言葉ではないラム。
後に出てくる女言葉の竜之介といい、
アニメ版では面白いことになっていそうだけど
まったく覚えてないなー。
(ちなみにアニメ版は#127の
「愛のすみかはいずこ?栗子と長十郎」。)
このパターンは印象に強く残るので、
あんまり多用しないでほしかったなぁ。
アニメ版はほとんど覚えていないが
おそらく古川登志夫氏と神谷明氏が
あの感じでノリノリでやったのだろう。
覚えてはいないが容易に想像できるな。
最初からそうしとけ、といってしまうと
話が誰得になってしまうじゃないですかやだー。
まぁ「うる星」は
誰得エピソードばっかりなんだけれども。
そして誰得エンディング。
最後まで栗子さんはいが栗だった。
中身の栗が姿を見せることはなかった。
大喜利オチもどうなんだろうねぇ。
ないと“しまらない”けれど、
これをオチにされてもなぁ、とも思う。
錯乱坊に言わせるのがまたお手軽っぽくて。
何とかクラスメイトに組み込めなかったものか。
「ま、いつものこっちゃから」と
あたるが言うのもいとおかし。〈おしまい〉