ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









再評価『リメンバー・マイ・ラブ』


明けましておめでとうございます。
まだ松の内過ぎてないのでセーフです。
本年も るーみっくおーるど を
よろしくお願いします。

新年最初のブログなので
なにか華やかにいきたいですね!
しょっぱなからイジケた話もアレですし。


というわけで今回は劇場版 うる星やつら
『リメンバー・マイ・ラブ』をレビューします。


このブログを読んでくださっている方は
『リメンバー・マイ・ラブ』を
何回見ましたか?
僕は1回です。劇場で見たっきり。

テレビで放送されたりしたのかなぁ?
ちょっとわかんないですけど、
とにかくテレビでもビデオでも見ていないです。

サンデーグラフィックも持ってますけど
買ってペラペラ眺めておしまい、
だったように思います。

だからもうストーリーは全然覚えてない。
断片的に、ピンクのカバと
あたるの部屋での「よく、降るな」の台詞、
「ダーリン忘れないで、うちのこと忘れないで」
っていう台詞は覚えてますけど。

当時、若造だったこともあって
なんか駄作と決めつけて唾棄しちゃったんですよね。

でももう数十年が経ちましたし
歳をとってものの見方も変わりましたし、
ちょっと見てみようかなと思うんですよ。
まぁ、ブログのネタが先に立ったことは事実ですが。


たぶんですねぇ、
『リメンバー・マイ・ラブ』のレビューつったって
あんまり関心を寄せてもらえないと思うんです。
これは予防線を張ってるんじゃなくって なんかね、
『リメンバー・マイ・ラブ』って評判悪いし
(僕同様)皆さんあんまり覚えてないだろうし、
関わっても時間の無駄、みたいな。

なんかアレですよ、
高橋留美子ファンジンとかでネタに困って
「今だから『リメンバー・マイ・ラブ』」
みたいな(うわ~、ありそうや……)。
本当にそういう特集を組んだファンジンがあったら
たいへん申し訳ありません。
御誌のことではありません。


でも、『リメンバー・マイ・ラブ』が
たとえ not for me だったとしても、
その作品のことをつらつら考えてみるのは
悪くないです。
では、始めましょうか。

※以降『リメンバー・マイ・ラブ』は
 『RML』と表記します


これはパンフレットの表紙。キービジュアル。
ラムの髪が赤くて、
それがガラス玉に溶け込んでいることから
不吉さを表すための赤色だと思うんだけれど、
赤い髪のラムは原作設定上アリなので
このラムもまたアリなわけです。

アリなんだけど、KVでここまでドカンと
赤い髪を出してくるのは冒険ですよね。
ラムというIPは、この頃には
緑の髪の印象で定着していたと思いますが
その優位性を削ってまで赤い髪を使うというのは
なかなかすごいことだなぁと思います。

このラムは誰が描いてるんでしょうかね。
高田明美氏ですかねぇ……。
口がひん曲がっているところが
高田明美氏っぽいですが、
身体が妙にいやらしい線です。
胸とかくびれとか下腹部とか。

サンデーグラフィックにはポスターが
付いていたので、奥付けに名前があるかもと
見てみましたが、ちょっとわかんなかったです。
監督とか総作監の指示かなんかが
入ってたりするんですかね……。

さて、KVの左下にはピンクのカバが。
これは覚えてます。あたるです。


中央の水晶玉の中にはなんかショタっぽい少年が。
あ~、いたわーいたいたそんなヤツ。
なんか色合いが『プラレス3四郎』の
柔王丸みたいだよね。

物語にどう絡んでくるのか
まったく覚えていないけど。
たぶんラムにちょっかいかけてくるんじゃないの?
誘拐するとかそんなふうに。

右下にはフラッパーの美少女。
いや~覚えてないなー。全然覚えてないけど
たぶんショタの保護者的な?
なんかアレだな、海のゴミ収集の人魚
(14-11 みんなで海をきれいにしよう!)に
似た感じ? と思ったけど、
並べてみたらまったく違ったわ。


しかしなんだろうね、
この、劇場版で新キャラを出してくるやつ。
しかもショタって。
まぁなんか有料の劇場版だから
一発ぶちかまさにゃ、という感じですかね。
宇宙とか異次元の話は、レギュラーキャラでも
十分話を作れるのにね。
見知った顔ぶれだと特別感がないから……とか
そういうことなのかなぁ。

ラムが囚われになって、
あたるが奔走するっていうのは
見合いコワし(9巻)とか電飾の魔境(29巻)とか
BMG(34巻)とか、今となっては
やたらと見させられた感のある話だけれども、
そういえば確かにそれらには
ユニとかディアナとか真吾とかルパカルラとか
新キャラが出てきていて。

そういう見地からすると
このショタと美少女の新キャラも
必然ということなのかもしれないけれど、
それらが“高橋留美子謹製”じゃないところが
どうにも受け入れにくかったんですかねぇ。

少年愛っていうのがそもそも
『うる星』に即してたかっていうと
そうでもない気がしますし。
あたる幼年期とか面堂幼年期とかあったけどね。

いちばんそれっぽかったのは
生ゴミ、海へ』(9-11)の
ポチの飼い主の少年かもですが、
連載当時はあまり需要はなかったような。



っていうかそろそろ本編に入らないと
いつまで経っても進みませんね。


物語は砂時計と、ラムの
「ダーリン忘れないで…うちのこと忘れないで…」
という台詞から始まります。

や、この台詞は
『うる星』が終わった今となっては実にキますなぁ。
実際には『RML』公開当時、
ややマンネリズムが広がりつつあって
ラムのこの台詞も おためごかしっぽいなと
感じていたように思いますが、
今聞くとキますわ。平野文さんの声だけに。

そしてシーンは破片が集まりガラス玉に。
時はAD-1967 。
えっ? 西暦なん?


『眠れる森の美女』のお話をなぞるように
自分だけパーティーに呼ばれなかった魔女は
女の子(ラム)に呪いをかける。

おどろおどろしい魔女の部屋には
ちょっと不気味な人形たちに混じって
ラムのようなぬいぐるみも見られるが
これって伏線でもなんでもないよね?
アニメーターのお遊びだとしたら
ちょっと逸脱してるのではないでしょうか。
ラムグッズを持っていることが
意味を持ってしまうし、
なによりこの時点でラムは生まれていないから
ラムの姿かたちを知るはずもないしで
話がこじれてしまう。

「赤ん坊は女の子だったね」という魔女の台詞は
どうしてもBMG編にかぶります。
むろんRMLのほうが先なわけだけど、
正典としてはBMGに軍配があがってしまうのは
仕方のないことで。
そりゃRMLが黒歴史にもなるよね。

導入部分のこの辺りの作画は濃いなぁ!
テレビシリーズも円熟期を迎えていた頃だし
リッチな画面は嬉しいです。

瓦礫の山の上で佇んでいたショタ……
(不便なので調べました。“ルウ”だそうです)
ルウは、ガラス玉を拾う。

ガラス玉をかざすとルウの顔が映り込んだ。
この顔が、あたるのように頼りないボンクラ顔だ。
始まって間もないこのタイミングで
ルウを“根はいい奴”とバラしていることになる。
『うる星』には基本的に悪人はいないが、
早々のネタバレはスリルとサスペンスを
損なうことにも繋がるだろうに
(ま、重大な伏線でもあるのだけれど)。

図書館らしき場所で雑談に興じる面々。
OY、BDと作画に不満があっただけに
今回はどうなのだ!?と気になるところだ。
ラムはまあまあ可愛いが、
こういう時のベンチマークになるのは面堂。
この面堂は品があって穏やかで、
これなら大丈夫そうだ、と思わせてくれる。

OPより、遊園地に向かうラムとあたる。
これこれ、これだよな!
なんだよRML、いい感じじゃん!

幼年期の仲良し四人組。
でもラムがセンター、先頭ってのは
ちょっと違う気がするな。
この辺、この映画がラムをどう扱いたいのか
そういう商業的なところが見えてるような。
まぁRMLに限らずテレビシリーズも
ラム=女神のような扱いだったしなぁ。

『超人日記』のジャムがすごく目立ってるなぁ
(エピローグの2-4の教室にも出てきますね)。

でもこの辺りはまるでわからん。
西島克彦氏のオリキャラかなぁ。

しかしこの遊園地とピエロっていうのがなー、
BDの友引町(楽しい閉鎖空間)や無邪鬼と
印象が被るよね。
観客はまず間違いなくBDも観ているはずだから
興行的にはこういうのは避けた方が
よかったんではないかなぁ。

メガネ達が幼い自分達と邂逅する場面で
ピンクのカバがいるなぁ。伏線かな?

お金があれば遊園地で遊べるのに、と
ぼやく竜之介。なんだこの作画の良さは!
服の質感がもの凄いな!

不思議なウサギを追いかけて扉を開けた竜之介は
その向こうに、宙に浮かぶいくつかのドアを見る。
ってこれはあかんわ……。丸カブリやん。

でも、4つのドアから同一の“IFの竜之介”が
出てくるので、“いくつもの可能性”というわけでは
なくて、心象風景、ということなのかな?
もちろん『扉シリーズ』(31-7~)よりも
前に公開された作品であります。

妖気を感じてやってきたサクラと錯乱坊が
見上げたのは友引メルヘンランド。
これ、BDでの友引高校のトンガリ屋根と
印象がダブるんだよね……。

あぁ!いたねぇ!!……誰だっけ?
五代の従妹の晶だっけ?(違

魔術師ルウ。
無造作ヘアーのつもりかもしれんが、
アニメ技術が追い付いてないから
面堂とキャラが被っとるぞ。

箱に閉じ込めたあたるを置き去りに、
魔術師ルウは消えてしまった。
遊園地自体も抜け殻のようになり、
人々は戸惑うばかり。

え、遊園地は消えないの?
じゃあ営業は続けてるの?
こはちゃんとしておいた方が
いいような気がするな。

あたるは魔術師ルウに、
ピンクのカバにされてしまった!
「なんでカバになんかされたんや?」と
あたるに問いかけるテン。

うーんなんでだろうねぇ、
ラムとあたるの恋愛を邪魔するためかな。

でもさ、遊園地でさ、
友人たちが不思議体験をした理由が
よくわからんのよね。
竜之介のもとに現れたウサギは
時間と空間がムチャクチャだ、と喚いていたけど
その後、動転した竜之介を見て
ほくそ笑んでいたから、
時間と空間がムチャクチャ、というのが本当なのか、
実はただの釣りの台詞なのか、
ちょっとわからないし。

呪いの主が誰なのか、
またその動機は何なのかはわからないとしつつ
呪いはこれで終わりではないだろう、というサクラ。
問題の主眼がルウに移っていく構図だが、
あたるのカバ化を
どうにかしようという動きが見られないのが
ちょいと不自然だ。

カバあたるとラムの、内容のない会話。
この二人らしいかというと、原作準拠ではなく
アニメver.の二人ではあるのだけれど、
話すこともないのに
ラムに声をかけずにいられないあたるの気持ち、
そしてラムの、ほとんど声にならない相槌、
これは名シーンだと思うんですよね。
特にラムの消え入りそうな返事がたまりません。
まぁ本当のラムはもっと前向きで積極的で、
こんなところでじっとしているはずはないのですが、
ちょっとぐらいはええやないですか。

まぁしかしですね、
カバあたるはそのドンくさい風貌のイメージからか
古川登志夫さんも、モゴモゴと口ごもるような
演技をなさっているのですが、
ここのシーンで「……ラム……」と喋るその声が
僕のような歳になってくると、
カバではなくて介護老人のようなイメージに
聞こえてしまうんですよこれが。

会話の内容も、
「もしこのまま病気が治らなかったら」的な話で
おいおい20年後の俺かよ、みたいな。
きっつー。

回想の中、転びそうになったところを
あたるに支えてもらうラム。
ラムってコケるんか?(素朴な疑問)

ラムの前にルウが現れ、
呪いの謎を解くべく二人の追いかけっこが始まる。

作画MADなんかだと
“走る”シーンが数多く見られますが、
『うる星』の場合 ラムが飛べるので
表現の幅が広がっています。
OYのあたる奪還作戦のシーンもすごかったですが
このラムとルウの追っかけっこのシーンも
なかなか見応えがあります。
通常、ロボットものでしかやれないことを
女体で見れるってのはええですなぁ。

この表情をしてこの牙!
良すぎない?良すぎでしょ。
アニメが表現を広げるってこういうことだよなぁ。

ミラーハウスの中で、
ラムは子供時代の自分と出会うけれども
このちびラムの声って平野文さんなのかなぁ?
なんか微妙に平野文さんより上手いような。

あたるは学生証を発行してもらって
カバの姿のまま登校することになった。
う~ん、『うる星』には
うるさ型のファンが多いんだから
こんないいかげんなことしちゃいかんよ。



手品のアシスタントの娘はO島タヌキだった。
以前、恩返しに来たO島とは別タヌキのようで
言動や物腰がかなり違う。
スターシステムというか、
まぁそういうのは手塚治虫あたりも
めちゃくちゃやってることだけど、
今回 O島を起用する必要性はあまりないよね。
それこそお得意の新キャラ出せばええやん、という。
なんというかファン大会でのウケ狙いみたいな
蓮っ葉なあざとさを感じるんだよなぁ。

あたるを変身させた理由を聞かれて
「カバになればラムの気持ちも変わるだろうと
思ったからさ」と動機を語るルウ。
更に食いものにいやしくすれば
一発で破局だったろうに
(これは準備稿で金春智子氏も同様のことを
書いている)。


時間がたてばあたるは人間に戻る、とルウは言う。
しかしその頃には、
自分を置きざりにしていなくなってしまったラムを
恨むようになっているだろう、
というルウの予言に動転するラム。

う~ん、これはいけませんねぇ。
まずこの日ラムが帰ってこないことを
あたるが大騒ぎしないのがおかしいし、
それを自分のカバ化に嫌気がさしたからだと
あたるが思うわけもないし、
ラムを恨むようになるわけもない。

観客の『うる星』ファンのほとんどが
「そうはならんやろ」
「そんなルウの思惑はどうせ覆されるやろ」
「どうせ最後は元通りやろ」
とわかっているのに、
物語をキャッチーにするために
キャラを改変するのは
ちょっとどうかと思いますな。


ラムの捜索で遊園地にやってきた友人たち。
メガネは、遊園地の雰囲気が
昨日とは違い過ぎる、と指摘する。
サクラは、昨日遊園地内を賑やかしていた妖怪や
宇宙人はもういなくなったというが、
この遊園地は今現在営業してるんですかね?

その気配はないけれど、“通常営業”の
なにか白々しい他人行儀な感じ、ぐらいは
表現したほうがよかったのではないでしょうかね。

だってさ、
BDで サクラの乗ったタクシーの運転手が
無邪鬼からただの運転手に変化した時の
あの素晴らしい演出を見ているわけでしょ?
スタッフどころか、
RMLの観客も全員見ているわけですよ。
そこはやっぱり越えていってほしいですね。


強がりを言いながらも落ち込むあたるの前に
ランに話を聞いた弁天がやってきた。
ランからこんなふうに動くなんて珍しいねぇ。

ラムの両親から、呪いに心当たりがあるとすれば
樫の木森の おばば ではないかと聞き、
ラムの幼なじみ一同は おばば に会いに行く。

ラムという女の子が生まれた時の
昔ばなしの語り部として登場するキャラが
この おばば なわけだが、似すぎじゃね?

まぁ鷲っ鼻の老人を描けば
似てくるのは仕方ないかもしれないけど、
知らなかったは通用しないので
後追いとなるBMGでは
もうちょっと回避するべきだったのでは?
と思います。


ルウは自分の星で呪いのガラス玉を拾った。
そのガラス玉から力を得て、
タイムトラベルまでもできるようになったという。

ガラス玉はもちろん おばば がラムへの呪いを込めた
ガラス玉であり、ラムへの因果が込められている。
だからルウがタイムトラベル先でラムに出会うのも
偶然ではなく因果律の話なのだ、と
まどかマギカ』を経た今の僕にはわかりますが、
当時の僕にはわからなかったですねぇ。
「呪いのガラス玉に操られていたからって、
ガラス玉がわざわざルウとラムを
会わせるように仕向けるなんて、
そんな都合のいい話、あるかよ」と思ってました。

RMLでは“因果”の言語化がうまくできておらず
説得力には欠けるところもありますが
まどマギ』を履修した者として
好意的に解釈するなら、
この脚本はなかなかのもんなんじゃないでしょうか。


ラムは諸星あたると出会ってから
子供の頃のような天真爛漫な笑顔をしなくなった、
だから僕は何としてでも
ラムにあの時の笑顔を取り戻させるのだ、
というルウ。
ぐだぐだ言っとらんと、やるんやったらはよやれ。
いちいち口上を述べるから失敗するんだよ。

ラムがいないんじゃ、地球にいる意味もない、と
テンを連れて去ろうとする弁天。

おユキがラムの宇宙船を牽引していき、
ランもまた地球を飛び立っていった。

うーん、ま、フェイクだよねぇ…と
スレたファンとしては思ってしまいますけれども。

これも、準備稿では
フェイクだった描写があるのですが、
決定稿ではそれが削られていて
友達甲斐のない弁天、おユキになってしまってます。
なんだかなぁ。


しのぶのモノローグで物語は進みます。

ラムたち宇宙人が消えた世界で 登場人物たちは
祭が終わったかのような空虚さを感じていたが
徐々に普段の生活を取り戻していく。
あたるも元の人間の身体に戻った。

しかし何事もなかったわけではなく、
しのぶの怪力が消失したり
面堂がタコとの意思疎通ができなくなったり
メガネが部屋の壁を駆け登れなくなったりと、
“ヘン”なやつらはだんだん“普通”になっていった。

面堂は言う。
「愛するものを かけがえのないものを失って
 僕たちは大人になっていくのか……」

そして、彼らは3年生に進級するのだ。


ヤバい。ヤバ過ぎる。
1985年に見た『リメンバー・マイ・ラブ』と、
原作『うる星やつら』終了を知った身で見る
『リメンバー・マイ・ラブ』は、
まったくの別物だ。

ここで描かれるシーンはファンの投影であるし、
キャラが超能力を失っていくのは
ラムがイコール『うる星やつら』という世界を
牽引していることのメタ表現になっている。

人生経験を積んできた僕らは、そのメタ表現を
漫画・アニメが自分に与えてくれたものと
オーバーラップして感じられるようになっている。


友引町の面々を進級させたことは
おそらく一部で反感を買ったことだろう。
ギャグ漫画ゆえに“時を止めた”『うる星』に
おいて、それは禁忌ともいえる行為だ。

だがしかし、もう『うる星』は終わったのだ。
永遠には続かないことを我々はもう知っているのだ。

では、だったら、
物語のエピソード上 進級させたことは
許しましょうよ。
彼らは当然、2-4に戻ってくるのだし。
系図』で彼らを大人にしたのと
たいして変わらんよ。


とはいえ、あたるが
ラムをいっとき忘れてしまったことは
ちょっとね、そんな脚本どうかと思いますけどね。

でも『ボーイ ミーツ ガール』編で
そこは完全に否定されたことですし、
“劇場版『うる星』3作目でのやらかし”、
ぐらいに受け止めませんか。
アニメのオリジナルストーリーは
基本的に“すべて二次創作”なんですから。


ラムという縛りがあったからこそ
ガールハントが楽しかったのだ、というあたる。
自らの異常性を後押しする役目としてのラムを
恋しがっている風で、
ラムの人格を恋しがっている風ではない。
これではあたるが異常者だ。

それに対して「やっと気づいてくれたのね」
というかのように現れたラーラにしても、
こんなあたるに対して
我が意を得たりという感じなのは
どう考えてもおかしい。


サンデーグラフィック13には
RMLの準備稿が掲載されているのだが、
そこでは、あたるがラムを忘れた描写はない。

縛りとしてのラムを恋しがるくだりも、
それが実は自虐ギャグであり照れ隠しであり、
本心としてはラムその人が恋しいのだと
ちゃんとわかるような展開になっている。

いや~、これ、なんで変えたかなぁ!?
変えたのは監督だよねたぶん。

あたるが女々しすぎると思ったのかな。
いや、ラムを忘れてしまうような男よりマシだろ。

「ダーリン忘れないで!うちのこと忘れないで…」
というのはRMLのキーとなるサブコピー
(キャッチは「愛は運命に勝てるのか!?」)だが、
セールス目論見的に、
このコピーに引っ張られ過ぎたのではないか?

でもそのせいであたるというメインキャラクターを
ぞんざいに扱う結果となったのなら、とても残念だ。


現れたラーラは
自分とルウとの関係を説明することもなく
ガラス玉の危険性についてあたるに語り、
ラムの元へ行くようにあたるを説得する。

しかしこれ、
ラーラがなぜそんなに介入してくるのか
全然わかんないんですよ。
家庭教師という肩書きは示したものの、
ルウのことを大事に思っているとか
そういう描写が一切ないんですもん。

そういうところは
“昭和テレビまんが”の雑なところを
継承しているのかなぁと思います。

ラーラは島本須美さんで、
『うる星』ではすでにいろいろやっているのに
それでもあててくるところらへん、
映画に“島本須美キャラ”を入れたかった、という
計算高い意図を感じます。

まぁ、本当は丁寧な説明も入れたかったのに
尺が足りなかった、ということかもしれませんし
あまり責め立てるのも
大人げないことではありますけれども。

ラーラはエアーバイクの後ろにあたるを乗せて
亜空間トンネルからルウの居城へ急ぐ。

ラムの元へ駆けつけるはずが、
あたるは煩悩を集中させてしまい、
ギャルが溢れるハーレム世界に来てしまった。

うーんこれはどう見ても……。
西島氏は原画に名前がなくて
OPとEDだけ担当のようだけど、

まぁいかにも手掛けそうなシーンだし
推測だけど、そうなんじゃないのかなぁ。

ラーラの追っ手をかわして
別の異世界で一緒に暮らそう、とラムに言うルウ。
あー、うーん、君は、
どういう関係性をもってラムと暮らしたいのかな?
その辺がねー、
なんというかちょっとモニョるというか。

まだ考えのおぼつかない子供が
巨大な力を持ってしまった、という
サスペンス映画にするならそれでもいいんだけど、
ほのかな恋心ですらないルウのやりたい放題に
あんまり付き合いたくないんだけどなぁ。

この辺、OYの「影踏み」と同様、
金春智子氏のメルヘン志向が炸裂しているんですが
数十年を経て 改めて振り返ってみて、
観客のニーズには合っていたんでしょうかねぇ?


ルウはラムの遠い子孫だった!
ラーラの告げた事実に驚いたルウは改心するが、
ガラス玉は独自に呪いを発動して
ラムとあたるを引き離そうとする。

それはいいけど、呪いのガラス玉が何をしたのか、
どうラムとあたるが離れ離れになったのか、
あんまり説明がないのよね。

観客の想像にお任せしますというか、
言わなくてもわかるでしょというか、
そこはどうでもいいというか。

ちょっと乱暴、かなぁ。
ハラハラドキドキのシーンそれぞれはあるけれど
それらを繋ぎ合わせることに
あまり手がかけられていない。

一言でいえば、詰め込み過ぎたのかもしれないねぇ。
思うに、ファンサービスの方向へ行き過ぎたのかも。

離れ離れになったラムとあたるは
さまざまな世界でお互いを探し、求め合う。

まぁやりたいことはわかるし
原始や太古の話に持っていくのも結構だけど、
ミクロイドSにしちゃうのは
ちょっと幼稚なんじゃない?

ラムの顔、あたるの顔が付いていないと
二人だとわかってもらえないかも、と
いうことなんだろうけれども、
そこはなんとかするべきであってさ。

またここで流れる STEFFANIE の楽曲が、
いや英語の歌を流そうという考えが
死ぬほどダサいです。

これはねー、当時観客席に座っていた僕も
いたたまれなかったと思うよー、覚えてないけど。
そりゃ悪評も付くよ~。

もちろんもう怒ったりはしませんけど 
今でも肯定はしないかなー。


彷徨った末に、ラムとあたるは
赤い糸の導きによって再びめぐり合う。

いやでも、ここの長回しからの
「うちは情けないっちゃ~!!」はよかったな!
情が深まっていくような表情でありながら
ホントに情けない表情でもあり、
“どうせいつもの”なんだけど、すごく良かった。

ま、その後の「ダーリンの、……ばか。」は
刺さったファンの方もいるでしょう。
そこは否定しないし、それは人それぞれ。

ただ、ラムという存在が大きくなりすぎて
“ラム映画”になっている気はしますけどね。
それはそれで正しいのかもしれないけれど、
全体として、良作の出来にはならないなと思います。


エンディングが近くなり、
すっかりいい子になってしまったルウ。
ラーラとの関係値もなんかすっかり変わっています。
物足りん、物足りんぞ~!


かくして友引町は元に戻った。
2-4の教室も、以前からの賑やかな雰囲気に戻った。

エンディングは再び、STEFFANIE の
“REMEMBER MY LOVE”が流れる。
スローバラードで〆る、というのが
OYの「星空サイクリング」や
BDの「愛はブーメラン」とは違った、
感傷的な終わり方である。

観覧車に乗っているキャラたちは
最後にはみんな眠りにつくし、
「いつものドタバタエンドでは終わらないぞ」
という、なみなみならぬ意志を感じる。
やまざきかずお氏も

こんなふうに言っているし、
そういうものを提供したかったのだろう。

この時点で、『うる星やつら』は
漫画もアニメも継続中だったしね。
RMLも、その中の一要素でしかない。

後世(今だけど)、6本の劇場版を並べて
その順列について語るのは
後世だからできることであって、
当時リアルタイムでは
しゃにむにやるしかなかったことでしょう。

そういう意味では、
お疲れさまでした、ありがとうございました、
と言いたいです。

いやほんと、
かなりやらかしてはいるけれど
『リメンバー・マイ・ラブ』は
再履修するならば結構面白いですよ。

もし1987年(原作終了)以降
見てないという方がいらっしゃったら
見た方がいいかもしれません。

でも、ぜひ大人の立場から見てくださいね!

〈おしまい〉