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ラムは自分の子に“こける”と名付けるか(2023.11.22追記しました)


子供の頃からタイムスリップものが好きで、
現代装備を以て過去で無双する
『ファイナル・カウントダウン』や
戦国自衛隊』は夢中になって見ていました。


これらの作品には
SF考証的に穴もあったんでしょうけど、
僕のSFレベルも
その程度のエンタメ寄りだったということで、
本人が楽しんでいたのだから良いと思っています。


さて、『うる星やつら』において
系図』(2-3) は、長期に渡って
ファンの“縛り”になっていました。

あたるがいずれ、しのぶと結婚して
こけるという子供を持つというエンドが
決定しているという縛りです。

その後、『うる星』アニメ化で
ファンの裾野が広がったことや
長期連載で作品の方向性が変わったことを受けてか、
『うる星』は『扉シリーズ』(31巻)で
あたるとしのぶが結婚する以外の未来を提示します。




一時期の“ループもの”“死に戻り”ブーム以降、
歴史改変の概念も
世の中に受け入れられてきたように感じます。
STEINS;GATE』においては
世界線”という言葉も広く周知されました。



『扉シリーズ』で因幡クンが示した各扉は
可能性という意味での世界線だと僕は思います。
確かに、いろいろな未来が存在し得ることでしょう。

しかしそれら未来はあくまで別の世界線であって、
(真)あたるが居る世界ではありません。
例えば

この未来は

この(別)あたるの世界であって、

この(真)あたるの世界ではない。

ひょっとしたら(別)あたるは
ラムに「好きだ」と言ったかもしれない。
言ったからこそ結婚に漕ぎつけたのかもしれない。
それは、「好きだ」と言わない(真)あたるの
未来ではありません。


タイムスリップものでは
同一人物が二人同時に存在することはできない、
という謎理論があったりもしますが、
(真)あたるがこの、
“ラムと結婚ルート”に居座るためには
もともとその世界線にいた(別)あたるを
追い出さなくてはならない。

『扉シリーズ』は一貫して“未来”を映していますが
これが“同年代のあたる達”の別世界線だったら
その問題も浮き彫りになることでしょう。


まぁただ、
バタフライエフェクト”という言葉もある通り、
何が未来に影響を与えるかはわかりません。

系図』以降のエピソードで
系図』以前にタイムトラベルしているならば
そのことで分岐した…つまり
あたるとしのぶの結婚ルートから逸れた、と
考えることも可能なわけです。

系図』以降の
過去へのタイムスリップエピソードは、
『父よあなたは強かった』(3-1)

『大空に舞うハチャメチャ四人組!!』(8-5)

『三つ子の魂、百までも!!』(9-3)

『みじめっ子・終太郎!!』(17-10)

と4回ありますので、
未来が変わるにも十分といえるでしょう。


ただ僕は思うのです。

あたるがラムと結ばれるルートを
読者が望むということは
諸星こけるが存在しないルートを望むということ。

本来、
諸星こけるが存在したはずのルートを改変して、
諸星こけるの存在を拒否するということ。

それは結構残酷なことではないかと。


『扉シリーズ』ではそのへんうまくやっていて、
まずヒロインのラムが本来の未来を望まず、

あたるにも(婚姻関係については伏せて)
就労関係に絡めてその未来を否定させています。

“諸星こけるルート”が
“望まれない未来”であるかのような
雰囲気を作りだしています。


そんな中でしのぶだけが

“諸星こけるルート”に理解を示しているのが
わずかな救いのように思います。
諸星こけるは存在していいのだと。


とはいえ、原作終盤では
あたるとラムがくっつくことを望む読者が
大部分であったことでしょう。

諸星こけるを、
居なかったことにしたかったわけです。


でも諸星こけるはいた。


世界線を移動したところで、
それとは別の世界線でまゆりが死んだ事実は
変えられない。

それと同じように、
諸星こけるが存在する世界線も、
消すことはできない。

そういう意味で、諸星こけるは仇花です。
「ま、お前には消えてもらうんだけどな」という、
こけるにとっては
“悪意”が渦巻く『うる星』の世界に生きている。

系図』で
あたるがしのぶとの子に
“こける”と名付けたことを知ったラムが、
自分とあたるとの子に
“こける”と名付けるわけはないのです。
(2023.11.22追記 ラムはこけるの親の顔を
見てませんでした! あやふやな記憶で書いて
たいへん申し訳ありません。陳謝いたします)

あたる×ラムを望みながらも
諸星こけるにスポットライトを当てるのは
「ゆーて この先消えるヤツ」という
冷笑を含んだ行為だということではないでしょうか。
それは実に、消費文化そのもののように思います。


原作が優しいなぁと思うのは

この局面で、こけるを中心にせず
しのぶのシーンにしたことです。

また、しのぶが 我が子であるこけるを
受け入れる余地を残したことです。



しのぶの優しさだけが、
諸星こけるにとっては救いだなぁと思います。
よかったな、こける。

〈おしまい〉