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文化祭シーズン! めぞん一刻『キャンパス・ガール』レビュー


ずいぶんと冷え込む気候になってきましたが
まだ11月であります。
七五三の時期でもありますが
文化祭のシーズンでもあり、
僕も子供の通う学校の文化祭にお邪魔してきました。

そんなわけで今回は『めぞん一刻』より
『キャンパス・ドール』(2-8) を
レビューしたいと思います。

 

扉絵は、
(ストーリーには登場しない)管理人さん人形を
手にはめてこちらを見やる響子。

風に舞う落ち葉が季節感を醸しているが
これは管理人さん人形の竹ぼうきに合わせての
デザインなのだろうか。

サブタイトルはもしかしたら
岩崎宏美の『キャンパス・ガール』の
もじりかもしれない。
しかしシングル曲ではないから
高橋留美子氏が同曲を知ることがあったかどうか
微妙な感じだ。

“キャンパス” ”ガール”という言葉は
(当時の)鈴木英人わたせせいぞう作品、
また雑誌POPEYE等が象徴する若者文化において
概念的にラフに使われていたような気もするし、
出展は特にないのかもしれない。

大学に居残りで、人形劇の人形を作る五代。
ラグビー部なのに器用である。
フィギュアやドールがヤバめに見られるのに対し、
ハンドパペットだと許されるんだなあ……。

男女にしては稚拙な会話をする五代と響子に
「ごめんくださーい。」と呆れた声を掛ける朱美。
二人の会話を“おままごと”と軽く皮肉るのは
シニカルな彼女らしくてとてもいい。

管理人さんが大学祭に来たがったのには
どういう理由があるのだろう、と考える面々。
挙げられた理由の中に、
“行ってみたかったから”がないことに
読者は気付くべきか気付かないべきなのか。
──「勘のいいガキは嫌いだよ」──

若作りおしゃれして大学にやってきた管理人さん。
一部 三つ編みにした髪は、作者的には
なんならハンドパペットとお揃いの
縦ロールにしたかったのかもしれない。

人形劇を見に来た響子を一目見て
五代の作った人形のお姫様との符合を見抜く黒木。
でなければ、五代の人形製作技術がずば抜けていた、
のかもしれない。

響子に出演を押し付けて
彼氏とのデートに行きたい女性部員。
いくら子供向けっていっても
操演とか台詞の演出とかあるんでないの?

まぁ実際には響子は、
五代の失態をアドリブでフォローするという才能を
見せたわけだけれども。


「あたし大学に行けなかったから」。
いやいやいやいや。
行けなかったわけではなかろうに。
70年代後半、女性の大学進学率は
30%以上あったのだ(短大含む)。

高校卒業後、すぐに結婚する必要があったのか。
千草の家は、学費が出せない経済状態だったのか。

千草響子は委員長だったぐらいだから
成績もそこそこ優秀だったことだろう。
惣一郎だって待ってくれたことだろう。

ただ、惣一郎が待ってしまうと
惣一郎とは一緒になれなかったんだけど。



響子とたいして世代の差がないことに気付く五代。
「普通なら」という台詞が逆説的に、
響子が辿った人生が普通ではないことを語っている。

大学という領域は
響子が立ち入ることのできなかった領域で、
それはつまり響子が
住む世界の違うマイノリティである(だった)ことを
意味する。

それを不憫な、憐れむべきことととらえるか、
それとも 望んだことを貫いた結果ととらえるか。

それ自体はあまり意味のないことなのかもしれない。

それよりもここでは五代が、
自分が今まで想像しえなかったような人生を
歩んできた人(響子)もいるのだと知った、
その見識の深まりこそが主題であろう。

大学に行けなかった響子がかわいそう、
だからそれを少しでも埋めてあげようと

ラストの人形のやり取りをしたとしたならば、
五代は結構不遜である。
それは優しさではない、と中高年の僕は考える。

そうではなくて、
違う人生であっても
今ここで寄り添うこと、同じ時を過ごすこと、
それが素敵なことなのだと
めぞん一刻』が示していると思いたい。


最後にお姫様が王子様を叩いたのは、
お姫様(響子)をかわいそうにしないためだと
僕は思うのだ。

ま、このオチは数年後につくのであるが。




いやなんともいい話でしたな、
『キャンパス・ガール』。
誰も嫌な思いをしなかったのが良かった。
いいハッピー・エンドでした。
〈おしまい〉