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(毎週土曜日中の更新を目指しています)









ラブコメって何だろう


このブログを再開したのは
アニメ『イエスタデイをうたって』が
きっかけだったのですが、
ここ数週間『めぞん』について
考えていた延長線で
原作漫画の『イエスタデイをうたって』を
読み始めました。

現在、5巻まで読んだところです。

アニメしか観ていなかった前の文章では
ハルちゃんは八神いぶきみたいだと書いたけど、
今はそう思ってなくて、
どちらかというとラムみたいだなぁ、って
考えています。


まぁとにかく、『めぞん』を頭に置きながら
『イエスタデイ』を読むと、なんと面白いことか!

……こんな読み方、『イエスタデイ』には
ほんと失礼というか、申し訳ないんですけれど。

何度も読むうちに、
『イエスタデイ』を独立して考えられるようにも
なっていくと思います。それまではご容赦を。


いや、ホントに最近、
なんだか“恋愛脳”になってしまっていて。
ブコメ漫画、ラブストーリーのことばっかり
考えています。

で、“ラブコメ”というカテゴリーについて
少し考えてみました。


高橋留美子氏の著作は
“ラブコメ”というジャンルで紹介されることが多い。

“ラブコメ”というのがもう
広義過ぎてまるで大海のようなのだが
「かわいい」と同じく便利すぎる言葉なので
これからもしばらくは変わることはないだろう。

しかしでは『うる星』と『めぞん』が
同じジャンルなのかというと
そうではあるまいよ、と思う。


ギャグがところどころに入れられた
軽妙な作品は“ラブコメ”なのか。

では五代くんや響子さんは
“コメディアン”“コメディエンヌ”なのか。

ラムやあたるを“コメディアン”といっても
さほど違和感はない気がするが
響子さんや五代くんを“コメディアン”と呼ぶのは
違和感がある。


大元でいうと
コメディ=喜劇だと思うので
『めぞん』を喜劇というならまだわかるのだけれど。


B.Dでサクラさんも言った
「一度目は悲劇、二度目は喜劇」とは
マルクスの言葉らしいが、
『めぞん』において響子さんが
“惣一郎を失った未亡人”なのだという設定は
ストーリー終盤においては悲劇的なものではない。

どちらかというと(響子さんがそれで泣いたとて)
事の進行を阻む障害、足枷であり、
逆にそれをバネに
エピソードにうまく
オチが付けられているのであれば
それはもはやただの“舞台装置”なのではないか。


そんな『めぞん』。
“ラブコメ”と括るのには違和感を覚えるがしかし
“ラブストーリー”と括るのは気が引ける。

じゃあ何なのだと言われると
“日常大衆娯楽漫画”ですかね?としか
今の僕には答えようがないのだ。


カテゴライズに意味はないが、
作品を読み解くことは
カテゴライズの作業に通ずる部分があるから
こんなことを考えているんだけれども。

〈おしまい〉