お盆である。
コロナのせいで帰省を自粛するよう言われているが
国民の我慢も限界で、
かといって羽目を外したら、災厄が降りかかるのは
自分と、自分がどうしても会いたいと思った
その相手なのだから難儀なことだ。
お彼岸と違って連休でもあるため、
“お盆”は正月と並んで
親族が久しぶりに顔を合わせやすい場でもあるが
その機会が昨年から、半ば失われているのは
嘆かわしいことである。
さて本題だが、「めぞん一刻」において
お盆の仏事のエピソードは
描かれたことがない(たぶん)。
命日の墓参りの描写はやたらあるので
これ以上あってもお腹一杯ではあるのだが、
それにしても無さすぎる。
仏壇自体は音無家にあるから
仏壇のない一刻館で暮らす響子が日々、
惣一郎との通信をできるわけでもない
(心の内の会話はともかく)。
命日をあれだけ大事にしている響子が
お盆の法事に関わらないのはなぜなのか
(たぶん過去に、先人が考察してると思うが)。
身も蓋もない話をしてしまえば
そもそも掲載誌のスピリッツが当初
月刊・月2回刊であり、
大事なサマーシーズンを
お盆エピソードなんかに使えるか!
という事だったのだろうと思う。
水着回もやらなきゃならんし。
じゃあお盆が意識されてなかったかというと
数回はそれらしき描写がある。
実家の定食屋をぶんどるべく
五代が帰った時期は、おそらく盆だろう。
義兄の正一が既に退職済みならば
盆じゃなくても帰省の自由がきくが、
定食屋を継ぐこともまだ決まっておらず
あまつさえ小さな子供も扶養している状態では
無職は考えにくい。
だからこのシーンはお盆の光景だろう。
五代の乗った新幹線には
子供連れも乗っているしね(母親が、父親抜きで
夏休みに帰省してしまうパターンかもだが)。
もう一つは
明日菜が三鷹の部屋で一夜を過ごした日だ。
夏の法事だからお盆なのだろう。
響子が五代に夕食を用意したその日も
お盆ということになる。
どんな夕食を作ったかと思えば
エビフライなんかもあって、
到底 精進料理っていう感じじゃないけど。
まぁなんというか
夏は仏さんに構っていられないぐらい
忙しいしね。
って感じかな。
惣一郎さんは重要なファクターだけど、
響子の水着のほうがもっと重要、って事かと。