関東地方はだいぶ暖かくなってきて、
近所の桜並木でも、だいぶ蕾が膨らんできた。
3月3日のひな祭りの頃から花見のシーズンまでが
“桜もち”が出回る時期だが、
この“桜もち”という奴、
関東と関西で、何を指し示すかが違っている。
関東で“桜もち”と呼ばれているものは
“長命寺”という和菓子らしい。
そして関東で“道明寺”と呼ばれているものは
関西ではれっきとした“桜もち”として流通している。
僕は関西出身なので、
道明寺のことを桜もちだとずっと思っていて、
だから「道明寺」という名称も
上京するまで知らなかったぐらいなのだが、
両方を知った後でも
どちらの方が好きかというと、
やはり“道明寺”のほうが口に合う。
ちなみに桜の葉も食べる派です。
留美ックファンならもうお分かりだと思うが、
今回は めぞん一刻「桜迷路」(10-5)の
レビューをしようと思う。
「桜もち…… なかったんですか。」は
めぞんのコミックスを持っているような人なら、
桜もちを見た瞬間に
連想してしまう名台詞だと思うのだけれど、
Googleで検索してみると
なんと一つのwebサイトしかヒットしない。
ジオシティーズが生きていれば
きっと山ほどヒットしたろうに。
ジオを亡くしたのは本当に、
人類にとっての損失だ。
「桜迷路」はコミックス10巻の
サブタイトルにもなっている。
10巻には他にもストーリーのポイントとなる
エピソードはたくさんあって、
明日菜初登場の「大安仏滅」とか
恋愛模様のヤマ場「開かれた扉」とか、
いろいろあるのにも関わらず
この「桜迷路」が選ばれたのは
このエピソードが「めぞん」における
ターニングポイントだったから、といえるだろう。
扉はフルカラー。
せっかくのフルカラーだというのに
喪服を着た辛気臭い表情の響子である。
ビジネス的に考えればこんなことはあまりなくて、
おそらくは記念すべき100話目ということで
作者へのプレゼントとして
カラーページが贈られたのだけど、
高橋留美子氏はそれを、作品の格上げに使った、
というところなんじゃないだろうか。
まぁ確かにこの扉、この話で、
「めぞん」はビッと締った。
それまでの、
無責任な五代の学生生活の描写から一歩進んで、
“五代の人生との対峙”を描くように変化していく、
まさにそのターニングポイントとなった話なのだ。
霞商会への入社がポシャって
保育園でバイトをする五代が、
自分の立ち位置を見失っているシーンだが、
要するにこれが(これも)“迷路”に
入り込んでいる状態というわけだ。
やる気を失い、モチベーションを失い、
呆然と立ち尽くして動けない。
エピソードはそこから始まる。
「大人になったら泣けないんだからな」
という五代は、自分が大人の世界に入ったことを
しっかりと認識している。
そう、五代はこのひとつ前のエピソードで
大学を卒業したのだ。
一つ年上の八神と比べても大人びている郁子。
どうして郁子が保育園のことを知っているのか。
お義父さん(郁子の祖父)と響子の電話の
立ち聞きとかかな。
というか教員免許はどうなったんだ。
八神の教育実習以来、あんまり話にのぼらないけど。
非常勤講師の口を待っている、というなら
教員免許自体は持っているはずなんだが、
どうも“教員になる”という選択肢が
物語に出てこないよな。
保育士の資格試験にずいぶん苦労してたけど、
保育士にはなりたいのに
教員にはなりたくないのかな。
物語では語られてないけど、職業まで
惣一郎の後追いになるのが嫌だったのかな。
映像的コマ割り。いいですなぁ。
もしかしたら、惣一郎は
子供の響子をからかっていたのかもしれない。
からかわれているのに真に受けてしまっている、
純情な響子、という図なのかもしれない。
これも使い勝手のいい名台詞。
うむ、関東風の“長命寺”らしい。
一刻館のある場所は、東久留米か練馬だもんな。
高橋留美子氏の出身地の新潟では
昭和までは長命寺が多かったらしいが、
平成に入ってから道明寺が増えたらしい。
高橋留美子氏にとっては
桜もちは“長命寺”なのかもなぁ。
保育園でタバコかぁ、
改めて見るとやっぱりすごいな。
黒木さんこの職場ではまだ新人なのにな。
惣一郎の場合は、
アタックしたのが響子からだからなぁ。
比べようがないだろ。
響子に対して年上、年下っていう違いもあるし。
迷路、迷子とかけて
ここでは「見失ってしまう」って言ってるけど、
響子のことを“見落とす”という言葉使いは
適当ではないと感じるな。
どちらかというと、ふらふらしている五代が、
響子に見落とされる存在なのだろうし。
五代が自分の不甲斐なさから不安になるのは
彼女を“失う”ことだろう。
本当は
「このままじゃ彼女を失ってしまうって……」
にしたかったところだが、
「めぞん」では惣一郎を死なせているので、
「失くす」「亡くす」という言葉は
“死”を連想させ過ぎて、
使いにくかったのかもしれないな。
エピソードは桜の舞う中で収束していく。
惣一郎の代わりを務めなければと焦る五代。
同じでなくてもいいのだという響子。
それが応えに繋がるのかと問う五代、
たぶん……と相槌を打つ響子。
まさにここで「めぞん」という物語の
行方は決まったわけだが、であれば、
このエピソードの次の回から登場した九条明日菜は、
もうひと騒がせするために出てきたのではなく、
三鷹の処理、回収のために登場したことが
露わである。
明日菜はいい子なだけに
ちょっと切ないね。〈おしまい〉