ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









ギャグが冴える!うる星やつら「コートに消える恋」レビュー

先週の「コートの中では泣かないわ」レビューに
引き続き、素敵な夏子パイセンが活躍する
「コートに消える恋」(6-3)を取り上げる。

f:id:rumicold:20210425195032j:plain

扉絵は二重人格を表したかのような夏子。
右の夏子が面堂の写真を抱えているのが
今見ると興味深い。
そう、この回は夏子回だが面堂回でもある。

面堂は結局、「うる星」最終回まで
たいしたカップリングが行われなかった。
女子にもてはやされるという状況は
しばしばあったが、
ギャグを成立させるための色男、というふうで
その証拠にレギュラー女性陣は
面堂に秋波を送ることもなくなっていた。
BLに託すまでもなく、
面堂の一番の恋人は諸星あたるであった。

だが、夏子は面堂に一目惚れしたのだ。
しのぶのそれが、
いくらか打算的な匂いがすることに比べ
夏子はピュアである
(想いが外ヅラだけに限られているにせよ)。

面堂は「うる星やつら」劇中で
ハンサムとして設定されているが、
耽美派が好むような“美少年”ではない。

いわゆる“男らしい”ハンサムなのだろうが、
後年出てきた、他の“綺麗なお顔”の美少年の前では
そのハンサムっぷりがあまり価値を持たなかった。
時代が、彼のような男前な顔つきを
評価しなくなってきたからなのだろう。

逆に、綺麗な美少年キャラが「うる星」において
猛威を振るうこともなかったが。
そういうキャラはいつも間抜け役か、
蓋を開けたら人外だった、
みたいなことになっていた。

きっと、高橋留美子氏は
美少年キャラがお好きではないか、
またはまともに向き合うのが苦手、
なのだろうなと思う。

らんま以降(?)、
ホスト系みたいな男性キャラが乱立していたけど
あまりよくは描かれていなかったようだし。

というわけで、やっと本編だ。

f:id:rumicold:20210425195143j:plain
ラムが、というよりは目の前のあたるが、
バレー部に入って間もないのだがな。
面堂とあたるが“親友”っぽくならないように
ラムをダシに使うしかない、というところか。

f:id:rumicold:20210425195218j:plain
ここでキャプテンが、泣き顔じゃないところが
ハイテンポでとてもいい。

f:id:rumicold:20210425195237j:plain
コースケたちがお菓子を食べながら
女子バレー部を見物しているのが、
力の抜けた感じで、とても面白い。
彼らは別に、女子(ラムを含め)に
一生懸命じゃないのだ。
日常の中にお菓子があり、ブルマーの女生徒がいる。
言い換えれば、お菓子やブルマーのある世界を
“普通に生きている”のである。

f:id:rumicold:20210425195259j:plain

面堂が「げこ!」と言っているが、
これが普通に通じると思ってはいけない世界は
もう来ている。
言うまでもないがこれは蛙の鳴き声で、
潰れるといえば蛙、というギャグなわけだが
今どきの子にはもう通じないのだ。
うちの子には通じなかった。

f:id:rumicold:20210425195352j:plain
面堂が、演出上のアホ面をするのはよく見るが、
みっともないアホ面をするのは珍しい。

f:id:rumicold:20210425195437j:plain

このエピソードでは
繰り返しギャグが多用されていて
面堂のこの台詞もそうであるが、
こういう繰り返すことで笑いを誘う方法を
お笑い用語で「天丼」というそうである。

f:id:rumicold:20210425195459j:plain
2回目で加算された「以下略…」という台詞も
“繰り返し”を利用したギャグだが、
そもそもその前段階の、
「またボールをぶつけられた」というのが
ギャグとして効いていて、
さらに面堂が夏子の変顔を見ていないことによる
“知らぬが仏”という面白さまで
ぶち込んでいるので、
相乗効果でえらく面白くなっているというわけだ。

f:id:rumicold:20210425195531j:plain
もう一つの“天丼”がこの「よろっ」だ。
これ自体がメロドラマのパロディでありながら、
この後の

f:id:rumicold:20210425195546j:plain

破壊行為の予兆、始まる合図となっていて、
「来るぞ来るぞ」の面白さを引き出している。


f:id:rumicold:20210425195618j:plain

f:id:rumicold:20210425195632j:plain
2回目、3回目であたるが突っ込んでいるように、
本来は破壊行為の方がギャグ本体なのだが。

何度も刷り込まれたおかげで
4回目には読者がパブロフの犬よろしく

f:id:rumicold:20210425195726j:plain
合図だけで笑えるように訓練されてしまっている。
素晴らしい構成である。

f:id:rumicold:20210425200130j:plain
「にぶいねっ!!」 このニュアンスも、
今ではなかなか伝わりにくいだろう。
同じような世界観が

f:id:rumicold:20210425200149j:plain
「〝愛〟それは校内暴力とともに」(8-9)だが、
連載当時で考えても
やっぱりちょっとアナクロ感は否めない。

f:id:rumicold:20210425200215j:plain
モンタージュ(?)全とっかえというアイデア
素晴らしい。「うる星」はギャグ漫画なのだ。


f:id:rumicold:20210425200241j:plain
元カレと面堂のどちらを欲しているのか
もはやわからない状態だ。
元カレを追っているのならば
「あの元カレが記憶の中でこうなってるのか」
というギャグになり、
面堂のほうがいいのならば
「結局元カレはどうでもいいんかい」
というギャグになる。
そこを女心の複雑さの体であやふやにしているから
読み応えのあるギャグとなっているのだと思う。

f:id:rumicold:20210425200342j:plain
なんじゃこのめんどくさい背景の処理は!
たまにこういうの散見されるよね。
息抜きなのかな。

f:id:rumicold:20210425200359j:plain
先輩が教室に訪ねてくるというこの日常漫画感!
貴重だ…。

f:id:rumicold:20210425200417j:plain

f:id:rumicold:20210425200432j:plain
一球目はともかく、二球目はわざとなんじゃないか。
転入からこっち、ラムは小悪魔しぐさが
妙に強調されてるしな。

f:id:rumicold:20210425200456j:plain

 

f:id:rumicold:20210425200512j:plain
話がややこしくなってるけど、
あたるが辞めてラムが辞めても
別に不都合はなく、丸く収まる話なのだった。

そう考えると、
ラム目当ての面堂という側面を
もう少し出していても面白かったかもしれないけど
前後編通してギャグ漫画として秀逸だったから
これはこれでヨシ!

確かこのエピソード、
アニメでは失望したんだよな…と思って
スタッフリストを調べたら う~んまぁ…だった。
エピソードの端々は、押井氏のやりたいことに
合ってたかもしれないが…
あんまり消化できていない感じがしたなぁ。


今回はそんな感じです。
該当都府県の方は緊急事態宣言のG.W.、
少しでも楽しく過ごしましょう! それでは!!

燃えろいい女 うる星やつら「コートの中では泣かないわ」レビュー

先週、少し取り上げたのだけれども
ペラペラめくってみたら結構面白かったので
今週は夏子先輩が活躍する、
「コートの中では泣かないわ」(6-2)を
取り上げようと思う。
二話にわたったエピソードなので、
少し長くなりそうだ。

このエピソードが掲載されたコミックス6巻は
ラムのかーちゃんは初登場するわ、
名作くノ一の修学旅行編はあるわ、
ランちゃんは初登場するわで
めちゃくちゃゴージャスな一冊である。

f:id:rumicold:20210418111913j:plain

そんな中で夏子は目次上をキープしててえらい。

f:id:rumicold:20210418111938j:plain

扉絵ももちろん夏子である。
扱い的には、新美少女キャラのピンナップ、
のような扱いであるが、
どうも夏子は設定画的にしっくりこない。

ショートヘアの美人キャラが苦手なのか…
と思ったりもするのだけれど、
「戦国生徒会」の藤波竜子ちゃんなんかは
すごくかわいいし。

f:id:rumicold:20210418111959j:plain


夏子はくせっ毛だからだろうか。
なんか大人になったら
真子のお母さんみたいになる気もする。

f:id:rumicold:20210418112014j:plain

 

f:id:rumicold:20210418112040j:plain
さて、6巻は花和先生の巻でもある。
ここではいきなり「だからね…」と
話をはしょりながら登場しているが、
一つ前のエピソードで
新任でやってきた花和先生であるから、
今日までの数日間に何かあったんだろうな、と
納得させてしまうところが興味深い。

それもこれも1冊の週刊マンガ雑誌
何度も何度も読み返していた、
昭和の読者の行動様式に負うところが大きい。
一週間後が楽しみだったから、
エピソードとエピソードの間には
きっちり一週間という時間が流れていたのだ。

この辺りは制作サイドと読者との
信頼関係でもあるな、と
令和の今は思うのである。

というわけでまだ友引高校に
慣れていない花和先生だが、
生徒寄りの姿勢の先生では、イマイチ
話を盛り上げることができなかったのか、
「うる星」の中盤以降は、
生徒との対立を得意とする温泉に
ほとんどの出番をかっさらわれていた。

f:id:rumicold:20210418112120j:plain

花和先生の得意技は
“歯の浮くようなクサい台詞”だが、
考えてみれば「うる星」では中盤以降も
“クサさを笑うギャグ”は多用されていたので
花和先生で事足りるシーンも
かなりあったはずである。

なのになぜ、使ってもらえなかったのか…。

f:id:rumicold:20210418112140j:plain
最終回の扉ではちゃんと登場しているが、
ちょっと場違いで恥ずかしそうである。

f:id:rumicold:20210418112155j:plain
ラム(=宇宙人)のこの台詞、
あたる(=地球人)を舐めくさっていて、
たいへん面白い。

f:id:rumicold:20210418112208j:plain

「サル!!」という台詞も、
見たままを口にする幼児のような反応であるが、
宇宙人が、覚えたてのことを
遠慮なしに言ったんやろうなぁ、と思うと、
実に味わい深い。

f:id:rumicold:20210418112439j:plain
しかしまぁ、コマがよく傾いていることよ。
SFナンセンスギャグ漫画の、
地に足が付かない感じであるとか、
すぐ近くにいるのに覗き見しているような感じとか、
「うる星」にはとてもマッチしているように思う。

f:id:rumicold:20210418112459j:plain
さて、夏子キャプテン登場だが
めちゃくちゃ目がデカくて黒目がちやな。
美人にしたいのか可愛くしたいのか、よくわからん。
後半に顔が崩れるので、
その対比として美人にしたんだろうけど
幼稚なイメージの体操服と相まって、
どうにも掴みどころがない。

バレー部のキャプテンといえば
そういえばオグリの阿久津さんも
おんなじ髪型だわ。

f:id:rumicold:20210418112516j:plain
テンプレなのかな。

f:id:rumicold:20210418112601j:plain
一人で男子バレー部を訪ねるあたるだが、
この、学校生活の中での1シーンが
読者にとって「俺たちと同じだ」と
共感するところである。

「うる星」中盤以降、
あたるもすっかり偉くなってしまって、
舞台が整わないと動かなくなっていたのは
残念なところである。

事件自体はみみっちいことだったりしたが、
超人化したあたるたちには、
有象無象としての動きはもうできなくなっていた。
その頃には友引高校も
読者たちの学校とは異なる、
「友引高校アトラクション」になっていて、
読者が一緒に入り込める感じではなくなっていた。

もっともそれで新たな読者も付いただろうし
何が正解だったかはわからないことなのだが。

f:id:rumicold:20210418112624j:plain
男子バレー部のキャプテン。
アニメ「うる星」の“パーマ”とそっくりだが
抜擢の顛末はよく知らない。

f:id:rumicold:20210418112639j:plain
素手で薪割りできるなんて、
夏子すごすぎるやろ。人類最強か。

f:id:rumicold:20210418112658j:plain
カスか変態、と言われて俯く花和先生、からの
侮蔑を気にしていなさそうな男子バレー部員、
という二段構えのギャグが、
テンポがよくて動的である。

男子バレー部員がボケて、
夏子がズッコケるのではなく、
夏子が「カスの集団……」と吐き捨てるところが
ギャグをさらにシュールギャグへと昇華させていて
凝った構成だ。

続いての男子バレー部キャプテンの、
「よー夏子!!」がまたいい。

f:id:rumicold:20210418112728j:plain
この“下の名前の呼び捨て”は
異性を意識したものではなく
古くは昭和バンカラの、
スケ番を張っているような女の「看板」としての
アンダーネームなのだ。
数多の“夏子”の中でも“夏子”といえばこの“夏子”、
“港のヨーコ”の流れの“夏子”である。

ちなみに「燃えろいい女」は1979年で、
このエピソードの前年のヒット曲である。
そして「燃えろいい女」の“なつこ”は
“ナツコ”である。
また烏丸せつこの邦画「四季・奈津子」は
ドンピシャ1980年である。

f:id:rumicold:20210418112756j:plain
自信満々なようで、
「し、しかし」とどもってしまうキャプテン。
このセンスがいいんだなぁ。

f:id:rumicold:20210418112811j:plain
すごい背景だな。

f:id:rumicold:20210418112824j:plain
ちゅどーん」ではない。
なんでもかんでも「ちゅどーん」、より
いいと思うのだけれど。
爆炎の書き込みもすごい手数だ。

f:id:rumicold:20210418112842j:plain
大の大人が幼稚な言葉使い、という
今でいうところの幼児化ギャグである。
このエピソードというわけではないけれど、
古川登志夫さんは上手だったなぁ。

f:id:rumicold:20210418112858j:plain
この所作も、憧れの所作である。
「(バレー部では)こういう仕草が
あるのかもなぁ」と想像して楽しくなるコマだ。
こういう、世界を広げてくれる漫画が
廃れないでほしいもんである。

f:id:rumicold:20210418112916j:plain

f:id:rumicold:20210418112930j:plain
最高である。
赤塚不二夫楳図かずお田村信といった
サンデーギャグ漫画の流れを汲むこの空気感。
当世の漫画だったらきっと夏子の顔を見せて
ダイナミックに描いてしまうだろう。
そうではなく、このちっちゃい感じが
たまらなくいいのだ。
夏子のポージングもたいへんに中途半端で、
完璧じゃないところが、「パチパチパチ」という
周りの拍手によく合っている。

あとこの頃、「〇〇じゃーっ!!」という口調は
全く一般的ではなく、女性が使えば
それだけでギャグだったんである。
その辺りも汲んでおきたい。

f:id:rumicold:20210418113015j:plain
いきなりマイクを持って
スポットライトを浴びる夏子、から

f:id:rumicold:20210418113027j:plain
柳の木を背景にした大衆演劇の舞台となり、

f:id:rumicold:20210418113044j:plain
70年代ドラマのような大人の雰囲気を垣間見せて

f:id:rumicold:20210418113100j:plain
メロドラマのお約束に持ち込むという、
これでもかとギャグを詰め込んだ、
ゴージャスな見開きとなっている。

終わったかと思ってページをめくると
夏子がガバッと起き上がって

f:id:rumicold:20210418113119j:plain
次のギャグを繰り出してくるのが、もーたまらんね!
「男」の板のトスも、
前のページでちゃんと伏線を張っていたからこそ
突然放っても、ばっちり生きているのだ。

「男なんて~!!」といえば
島津冴子の声が脳裏に蘇るが、
キャラ立ての側面が強かったのでやや陳腐だった。
それに比べて夏子のこの「男なんかっ!!」は
実にキレがある。
そして夏子の両手の作画が、
アスリートの瞬間的な対応力を描いていて
これまた最高なのだ。

f:id:rumicold:20210418113136j:plain
それにしてもこの男子バレー部員、
LGBT的に適切な配慮が必要そうなキャラだけど
顔がとても「そんな感じ」である。
パーツがセンターに寄ってるところが
なんだかとっても小日向さんのお友達っぽい。
これが1980年の作画だっていうんだから、
高橋留美子のセンス恐るべしである。

f:id:rumicold:20210418113151j:plain

f:id:rumicold:20210418113311j:plain
花和先生のこの台詞は
クライマックスを盛り立てるための
さりげない前菜だ。丁寧な構成である。

f:id:rumicold:20210418113330j:plain
夏子の渾身のアタック、彼に拾われてる。
男子バレー部、すげえな。

f:id:rumicold:20210418113349j:plain
もう骨格変わってるやん。
ガリガリ君みたいになってるし。

f:id:rumicold:20210418113435j:plain
周りの部員の従順な態度を見ると
女子バレー部は、カリスマキャプテンが牽引して
存続してきたようだが、
この女子キャプテンが、
バレーが上手いかどうかは描写されておらず、
だから部はキャプテンの“顔芸”だけで
ここまでやってきた可能性もある。

まぁ、友引高校だからね。


次回は後編「コートに消える恋」を取り上げます。

祝!新入学!! うる星における「先輩・後輩」

先週はどうやら、
入学式シーズン真っ盛りだったようで
あちこちで保護者と連れ立った新入生を見かけた。
新型コロナが猛威を振るう中、
それでも入学式が執り行えたのはよいことだった。

ただ我が子の場合を見てみても
今年は入学式への在校生の参加は
見合わせるところが多かったようで、
上級生・下級生の意識もなかなか育ちにくかろう。

と、とってつけたような前置きが済んだところで
話は友引高校へ。

あたるやラム、しのぶや面堂のクラスは
ご存じの通り 2-4 ということになっているが
この高校2年生という学年は、
新入生の当惑や、三年生の進路の心配もなく、
そういったストレスから
距離を置いたところで日々を過ごせるということで、
時の経過しないギャグ漫画の舞台としては
またとない設定である。

それゆえ「うる星」同様に
高校2年を舞台にした漫画も多いのではないか、
と思うが、
学園ものとして有意なのは
先輩・後輩を配置することができる点だ。

憧れの先輩、気のおけない先輩、
かわいい後輩、生意気な後輩、
今日の学園漫画はそんなのばっかりだが、
「うる星」に目を向けると
意外なほどに、他の学年の描写が少ない。

そんな「うる星」のなかで
いちばん「先輩」然としているのは
やはり夏子であろう。

f:id:rumicold:20210411083245j:plain


もっとも夏子は自分の学年を公表していないし
ラムやあたるのことを
下級生/後輩とは呼んでいない。
だが男子バレー部のキャプテンとタメ口だったり

f:id:rumicold:20210411083304j:plain

あたるに「あなた」呼ばわりされたりしているので

f:id:rumicold:20210411083318j:plain

上級生=3年生であることは間違いないだろう。

さてこの「コートの中では泣かないわ」(6-2)は
1980年のサンデー41号に掲載であるが
41号はだいたい9月の頭に発売のようである。

このひとつ前のエピソード「個人教授」が
花和先生の新任と、
ラムの編入のエピソードだったが

f:id:rumicold:20210411084001j:plain
おそらくそれは、現実世界の
読者の夏休み明けの新学期に
合わせたものだったのだろう。

普通、運動部の3年は夏休みをもって引退である。
バレー部の場合はインターハイをもって
3年引退というところが多いらしい。

ということは夏子は
“引退しない居座り3年生”ということか。
心が叫びたがってるんだ。」でも
似たような描写(そっちは「戦力外」)あったけど
後輩たちはやりきれないねぇ。

「コートの中では泣かないわ」は
ちょっと取り上げ甲斐がありそうなので
日を改めてレビューすることにしよう。


さてでは
「うる星」における“下級生”の代表はといえば、
「勇気ある決闘」(23-1)に出てくる
「いじめられていた女子」だろう。

f:id:rumicold:20210411083420j:plain

このキャラも学年は明らかにされていないが、
ラムに“さん”付けしたり、
ラムに対して丁寧語で話したりしているところ、
またラムが教え、導こうとしている姿が
同年代へのそれではなく
年下の者への振る舞いに見えることなどから
1年生とみていいだろう。

掲載は1984年のサンデー25号、
G.W.明けぐらいの発行だろうか。
この「いじめられていた女子」も
入学早々、総番(及び不良グループ)に
絡まれて災難なことである。

つうかこの頃、
こういう不良グループってまだいたっけ?
と思ったが、「BE-BOP-HIGHSCHOOL」が
1983年から2003年までの連載で、
映画「ビー・バップ」が1985年だから
まさに真っ最中だったのかも。

なんとなく個人的には、校内暴力のピークは
3年B組金八先生」第二期(1980~)の
「腐ったミカンの方程式」あたりのような
気がしてしまうのだけれども。

黒目がちで、
喋り口調もちょっと変わっているこの
「いじめられていた女子」(長いな)は
ラムの一つ下の学年ということになるだろうか。

しかし実質は、ラムの転入から
4年経っているのだ。
世代の隔たりでいうと、
実質二十歳のラムが、15歳のこの子と
絡んでいることになる。

1980年代には「新人類」や
ぶりっ子」という言葉も生まれ、
本来であればラムもそっち側なのだが
このエピソードにおいてはどうやら
ラムは旧人類ということになるようだ。

f:id:rumicold:20210411083455j:plain

まぁしかし連載を読んでいた当時は
4年は長い月日で、
その年月の中で作品が変化していくのも
無理はないと思っていたが、
今読み返すと
たった4年でこんなに変化したのか、と
驚くことしきりである。

時の流れって恐ろしい。

“ループもの”として読む うる星「忘年会じゃあ!」レビュー

2020年秋から2クールで
STEINS;GATE」の再放送をやっていて、
下の子と一緒に楽しく見ていた。

STEINS;GATE」はいわゆる「ループもの」で、
魔法少女まどか☆マギカ」あたりと
並べて語られることが多いけれど、その文脈で
ビューティフル・ドリーマー」(1984)が
語られることもまた多い。

昭和の頃は「ループもの」はまだ少なくて、
「タイムトリップもの」が多かったイメージだ。
戦国自衛隊」(1979)を受けての
「炎トリッパー」(1983)など、
印象に残る作品も多い
(「ファイナルカウントダウン」が1980年)。

ループものが一般に
広く認知されるようになったのは、
実写「時をかける少女」(1983)あたりだろうか。
まぁその前にも「火の鳥」とかあったわけだけど。

で、1982年にうる星やつら「忘年会じゃあ!」
(11-11)が掲載されていて、
そのエンドレスなエピソードに、
ファンジン界の一部では
トークがかなり盛り上がった記憶がある。

そもそも「うる星」自体が、時の進まない
ギャグ漫画の次元に存在していることを
ファンは皆認知していて、
しかし「うる星」の持つSF要素から
ひねくり返して論じ合って喜んでいたのである。

というわけで今回は
「忘年会じゃあ!」のレビューだ。


f:id:rumicold:20210404070656j:plain

扉絵はアラビアンナイト風のラム。
むろん原典は
「アラジンと魔法のランプ(千夜一夜物語)」
であり、「ハクション大魔王」の
アクビ娘なわけだけれども、
京都アニメーション
無彩限のファントム・ワールド」の
ルルもここでは紹介しておきたい。

ルルは小さな妖精なのだが、
ラムのように空を飛んだり浮遊することができ、
その動作がたいへんにラムっぽいのだ。
リアルタイム視聴の際、
「あぁ京アニが『うる星』リメイクを
してくれたら」と思わずにはいられなかった。

まぁそれはそれとして。

f:id:rumicold:20210404070856j:plain

スレてない。面堂くんまだまだいい感じである。

f:id:rumicold:20210404070913j:plain

なんでビキニやねん
(この時ラムはすでに2-4に編入済みである)。
この前週のエピソードが、かの

f:id:rumicold:20210404070940j:plain

「酔っ払いブギ」であるから、
意識するなという方が無理なのである。

f:id:rumicold:20210404071008j:plain

どこでもドア的な枠のすぐ向こうに
机が置いてあるのが
枠の厚みの無さを描いていてとてもいい。
こういう、SF心をくすぐる細かい描写が
嬉しくなってしまうところである。

f:id:rumicold:20210404071027j:plain

足蹴である。
ラムの星とは文化が違うとはいえ、
なかなか豪快だ。
第1話でも見事な蹴りを入れていたしな。

f:id:rumicold:20210404071045j:plain

 

f:id:rumicold:20210404071109j:plain

この、コントラストの高い影が
心象風景を映像化した感じで、
記憶の喪失や次元の超越に
とてもよく合っている。
たいへんに映像的な感覚だと思うのだが
いかがだろうか。
銭湯の脱衣かごの作画もすごいなー。
今となってはこれが何なのかも
理解されにくくなってしまっただろうな。

f:id:rumicold:20210404071216j:plain

温泉はストーリーテラーなわけだが
数か月後には同じようないで立ちで
主役をやっている(13-1)。

f:id:rumicold:20210404071229j:plain


「忘年会じゃあ!」がループものなだけに、
「スーパー武蔵」は
その流れ上のエピソードなのでは?と
考えることも可能だが、
実際、着想自体は同じ出発点だったのではないか、
という気もする。

f:id:rumicold:20210404071301j:plain

浦島太郎の話なのに
カメを助けたところとか
竜宮城での宴のシーンを
全部はしょってしまうところがすごい。

f:id:rumicold:20210404071317j:plain

あれっ。ここの台詞は
不思議なことになっとるね。
しかしこの時点であたるは
自分の名前を忘れているので
何の問題もないのであった。

f:id:rumicold:20210404071340j:plain

忍者やチルチルミチル、
二十面相あたりはまだいいけれど、
輪回し(輪ころがし?)してるのは
何のキャラなのか。
“けんけんぱ”している女の子もそうだが
一応2-4のクラスメイトのはずで、
こんなモブキャラみたいな役をあてがうのは
ちょっとひどいんじゃないだろうか。

f:id:rumicold:20210404071414j:plain

だからこれもクラスメイトである。
たまらんなー。

f:id:rumicold:20210404071432j:plain

そして飛んどる。
ラムも魔法のランプから出てきたし
この異世界の中では
超常現象も起こせるようだが
あたるや面堂はいたってまともだ。
あたるがまだ“常識人”の
役どころだった時代なのである。

そういう意味で、

f:id:rumicold:20210404071456j:plain

似たようなエピソードの「夢で逢えたら」(25-1)
であたるが超人化しているのは、
あたるの立ち位置の変化を表していると
いえるだろう(主に夢のあたるが超人だが
現実のあたるももはや超人の域に達している)。

f:id:rumicold:20210404071522j:plain

あたるが見つけたわけでも拾ったわけでもなく、
ランプ=ラムが向こうからやってきている。
ラムの設定を踏まえてこうしたのだとしたら
手が込んでいるなぁと思う。

f:id:rumicold:20210404071540j:plain

さて物語も終盤だ。
ランプの精は願いを3つかなえるというが
エピソード中、3つ目の願いは発話されなかった。
そこがまた“ループもの”に絡んだ謎のようで
楽しめる要素となっている。

f:id:rumicold:20210404071604j:plain

あられもない。

f:id:rumicold:20210404071620j:plain

やっぱり天女もクラスメイトだった。
たまらんなー(大事なことなので2回言いm)。

f:id:rumicold:20210404071637j:plain

高橋留美子氏の同人誌時代からの
“あの雰囲気”な、遊びっぽい描き込み。
言語化はできないのだが、
何だろうこの空気感。
思えば高橋留美子氏はめったに
コマ外の落書きをしなかったように思うが、
コマの中では結構遊んでいた記憶がある。

f:id:rumicold:20210404071707j:plain

事の収拾が、温泉に委ねられている。
が、そんなはずはないので
これは「温泉の夢」と見るべきなのである。

f:id:rumicold:20210404071726j:plain

皆ほぼ一斉に現実世界に帰還しているが、
見た夢はそれぞれ違うとみるべきであろう。
それは全く語られていないし。
SFにも造詣の深い高橋留美子氏であるならば
そのぐらいの仕込みは
考えていそうだ。

みんなで同じ夢を見たのが
ビューティフル・ドリーマー」であるが、
「B・D」において温泉マークが
ストーリーテラーをやっていたことを
「忘年会じゃあ!」でのこのコマ

f:id:rumicold:20210404071807j:plain

と照らし合わせて考えてみるのも
また一興である(亀にも乗っているし)。
「B・D」の2年前の掲載であるから、
押井守氏が熱心に原作エピソードを読み込み、
解析しようとしたかもしれない、と
思いを馳せるのも悪くない。
押井氏は原作派には
反感を持たれることも多いけれど、
それなりに原作を読み込んでいるとは思うのだ。

f:id:rumicold:20210404071847j:plain

クラスの皆がどの時刻に帰着したのか
それは不明だ。
1回目の忘年会をやる前なのか(過去への
タイムトリップを行ったのか)、
それとも時間の経過はそのままなのか
(1回目の忘年会が既に行われた世界)。

過去に戻ったのであれば、
1回目の忘年会は行われていないことになり、
永遠のループからはもう抜け出せない。

だが散らかった机などがそのままなので、
時間は通常通り経過していると思っていいだろう。
であれば何度も忘年会を繰り返す日々のうちに
外界から情報を得て、
「もう正月か…。忘年会をするには遅いな」と
思う日が来てもおかしくない。

そうして一行は、
またハチャメチャな毎日へと戻っていくのだ。
時間の経過しない、いつもの楽しい日々へと。

ってこれ、ほんと「B・D」のプロットじゃんね。

うる星やつら「馬と令嬢」レビュー

webにアクセスしている人なら
だいたいご存じだと思うけれども、
ウマ娘」というソーシャルゲームが流行っていて、
御多分に漏れず僕もやっている。

とはいえ1回のプレイ時間が結構長くて、
平日は育成を一周やるのが関の山だ。
ストーリーのテキストを読んでいると
みるみる睡眠時間が減るので
スキップしまくっているのだが、
楽しめているんだか楽しめていないんだか
よくわからない状態となっている。

競馬は一の瀬さんの旦那さん辺りがやってたっけか、
いや失職はしていても
ギャンブルはやってないっけか、
ちょっと忘れちゃったなぁ。
坂本なんかはやってたかもしれないけどなぁ。

「めぞん」では“パチンコ”のイメージが強いけど
駅から商店街を通って一刻館、という
生活圏を舞台にしていたから、
パチンコがすごくフィットしていたのだろう。

競馬場や競輪場、競艇場だと
わざわざ行ってる感というか、
ギャンブルにハマっちゃってる感を
払しょく出来ないもんねぇ。

その辺はビッグコミックとかオリジナルとかが
担うのかな、と思ったりしたけど、
なぜか笑介」辺りなら
そういう場末感も普通にあったように思う。
「瑠璃色ゼネレーション」とかもな…。

つうか今のスピリッツって、
ああいうサラリーマンの悲哀的な漫画は
載ってるのかな。
職業漫画はそれなりにありそうだけど
社畜のペーソス感のある漫画は
載ってないような気もするなー。


なんか話がずれてしまったけど
「うる星」にも確か
ウマがネタのエピソードがあったよなー、
何だったかなー、
なんか馬鹿ヅラの馬が暴れる、
すごくどうでもいいエピソードだったなー、と
考えながら探したら、
最終巻のすぐ前の巻だったのですぐ見つかった。

33-1「馬と令嬢」である。
ちゃんと読み返すのは30年以上ぶりだ。
まさかこのエピソードのレビューを
書く日が来るとは。

結論からいうと
あまり面白いエピソードではない。
33巻のトップでありながら
表紙・裏表紙・折り返し・中表紙の
どこにも関連イラストがない時点で
制作側からも評価が低いことが伺える。

f:id:rumicold:20210327224721j:plain

表紙はサクラさんだが、
作中には出てこない帽子を被っている。
「令嬢」とサクラのコンビネーション、
というわけだが特に意味はなさそうだ。

f:id:rumicold:20210327224743j:plain

というか、この時代に
その概念があったかどうかは知らんが、
要は水着回ですよね?
んで、翌週がお風呂回(「愛と勇気の花一輪」)

f:id:rumicold:20210327224759j:plain

なあたり、なんちゅーかもう、
という感じではある。

f:id:rumicold:20210327224816j:plain

まずは錯乱坊で掴みに来るが、
「のー。」はちょっと面白い。
「のぅ…!!」じゃなくて「のー。」の
「。」がいいのだ。
吾妻ひでおのような独特の空気感がある。

f:id:rumicold:20210327224839j:plain

サーフボードで乗り付けるのは

f:id:rumicold:20210327224851j:plain

由緒正しい設定である。

f:id:rumicold:20210327224907j:plain

令嬢は50年前に車に乗って行ってしまった。
当時昭和11年である。
トヨタ自動車日産自動車の前身が
もう設立されていた頃なので
時代考証的には正しいのが驚きだ。

f:id:rumicold:20210327224920j:plain

魂魄て。
初めて聞いた言葉だったが
特に覚える気にもならない言葉だった。
サクラさんのキャラ付けかな。

f:id:rumicold:20210327224932j:plain

鞘を描く意味とは。

f:id:rumicold:20210327224944j:plain

この、アオが前足でサクラを抱きしめたのは、
いろいろ振っ切ったなぁと。
有りか無しかと言われたら有りである。

だが、3人抱えた状態を見てのあたるのセリフ、

f:id:rumicold:20210327224958j:plain

からの「令嬢への未練」

f:id:rumicold:20210327225013j:plain

はちょっと無理がある。

もっとも、このエピソードは
ギャグのテンポに特化したようであり、
例えばここの

f:id:rumicold:20210327225029j:plain

サクラとしのぶのぶん投げは、
ナンセンスギャグの運びそのものだったりするので
もはや展開の破綻などどーでもいい、の
域に達してしまっているのかもしれない。

f:id:rumicold:20210327225053j:plain

そういった、無茶苦茶さを楽しむ、という
観点からいうと、このアオの白刃取りは
結構面白い。

f:id:rumicold:20210327225112j:plain

突拍子もない。
でもいいのだ。そういう回だから。

f:id:rumicold:20210327225130j:plain

だが、ここは苦しい。
仲の良かった令嬢が
歳をとっていたからといって、
なぜ、アオが驚き、拒絶するのか。

ほんとに詰め切れてない、
どうにも言葉に困るエピソードだ。

この婆さんの顔がオチということかもしれないが
オチと呼べるほどのもんでもない、というのが
正直なところである。
もうちょっとストーリーの妙味のほうへ
振っていれば、面白くなったような気も
するのだけれど。

もう、「ボーイミーツガール」編に
取り掛かろうとする時期でもあっただろうし、
多少はね。   〈おしまい〉

「うる星」におけるルッキズムについて

東京オリンピックパラリンピック
開会式/閉会式の演出で
タレントの容姿を侮辱した演出案を
検討していたとの案件で、
式典の演出責任者が辞任した。

豚は時に愛嬌ある動物として愛されていて、
例えば「SING」のロジータはすごく魅力的だ。
ロジータを演じたのは日本では坂本真綾だが、
坂本真綾を豚扱いしたとか、
豚を演じさせるなとかいう論調は
聞いたことがない。

それはたぶんロジータが豚であることが、
「SING」という世界においては
蔑視するにあたらないことだからだろう。
「SING」の世界では、
豚であるということに悪いイメージがないのだ。


留美ックにおいて有名な豚は
響良牙だろうか。


「B.D.」における無邪鬼の夢を喰うバクは
どう見ても子豚だが、
なぜバクではだめだったのだろう。
「世界を呑みつくす」には
大空を飛び回るイメージが必要で、
それにはダンボのような耳に
デザインできる豚が適任、とかだろうか。

f:id:rumicold:20210320085000j:plain


豚の話はさておき、「うる星」は
ルッキズムの塊のような漫画である。
主人公の諸星あたるからし
美女好き・美少女好きという設定であり、
しかもはっきり不細工を差別しているのが、
近年の漫画には見られない潔さである。

だが「うる星」には
不細工な女性はごくたまにしか出てこない。

f:id:rumicold:20210320084344j:plain

上の画像はストーリー上の必要性があったので
かなり不細工に描かれているが、
通常回では、あたるが歯牙にもかけない
モブのクラスメイトにしたって、
充分可愛く描かれている。

たまに「化物」「怪物」が
不細工と表現されるが、
それは単に「異形」なのか、
もしくは漫画的表現なのであって、
不細工なわけではない。

男には結構ひどいけどな。

f:id:rumicold:20210320084609j:plain

それはやはり作者が女性であるから、
というのが大きいと推測される。

どこか、不細工な女性を描くことに
抵抗がある、もしくは単に
不細工な女性を描いても楽しくない、
描きたくない、から描かない、
のではないだろうか。

そんな「うる星」においても
「魅力的ではない女性」は時に描かれる。
「うだつの上がらない女」だ。

個人的にその代表格は
「最後のデート」(24-2)の望ちゃんである。

f:id:rumicold:20210320084633j:plain


彼女は作画上は充分過ぎるほど美少女であるが、
「魅力的ではない女の子」として描かれている。
それはあたるの対応を見ていればよくわかる。

確かに出会って速攻で手を握りにいっているが、
デート本番においても
「隙あらば襲いかかる」という感じではない。
全体的に遠慮がちというか
仕方なくお付き合いしているというか。

相手が幽霊なのは理由にならない。(10-4)

f:id:rumicold:20210320084714j:plain

手編みの衣類で暑くて死にそうなのも
理由にならない。(10-3)

f:id:rumicold:20210320084726j:plain

女と見れば見境のないあたるが
こんなにおとなしいのは、
望ちゃんが魅力的ではないからである。

それでも望ちゃんの願いをかなえるために
奮闘するのがあたるの優しさ、と
捉えられがちなこのエピソードだが、
逆に、「あのあたるが」
さほど食指を伸ばさない望と
同情だけでデートする、というのは
よくよく考えれば残酷な話なのだ。
そしてあたるがデート中、
ずっとニコニコしているのがまた残酷である。

ただ、あたるの素性を知り尽くしているのは
ラムやさくら、そして読者の我々だけであり、
おそらく望ちゃんは、
あたるの心持ちに気づいていないのが
救いといえば救いといえよう。


これと似たようなパターンが、
「めぞん」における九条明日菜である。
ただあちらは結果的に、落ち着くところに
すとんと落ちた感じはあるけれども。


生活感からくるやつれとか、
人間関係に疲れた感じのする
「歪んだ不細工さ」は
高橋留美子作品においても
短編などで数多く描かれている。

人間の醜さというのが、
顔や姿の出来不出来ではなく、
内面から出てくる精神的なものに
大きく影響される、と
高橋留美子氏は考えているのかもしれない。

だから、留美ックにおいて、
醜いものが出てこないコメディの補完として
シリアス短編がいくつも描かれているのは
「こういうのも描ける」というアピールではなく、
「描かずにはいられない」のだったのかもしれない。
それが、バランスだったのかもしれない。


あんまりうまくまとまらなかったけど、おしまい。

なぜ描かないのだい?「けもの24時間」レビュー

今週は何を書こうかと
朝から虚空を見上げているのだが
取り上げたいエピソードを思いつかない。
時事ネタもピンとくるものがないし。

ネットをブラブラしながらではあるが、
かれこれ4時間ばかりもこうしていて
いい加減疲れてきた。
今からではボリュームのある作品について
書く気力が出ない。

「なぜ描かないのだい?」
いわゆる「なぜ描か」である。
ちょうどいいので「けもの24時間」をやろう。

f:id:rumicold:20210313152619j:plain

この作品は当初、シップ ポケット コミックスの
「ダストスパート!!」に収録されていた。
「ダスト」の雑誌掲載自体は増刊サンデーで、
だから小学館から単行本が出ても良さそうだが
どういう経緯でスタジオ シップから
単行本が出たのか。それはよくわからない。

マイナーな出版社の刊行物だったが、
たまに書店の棚に並んでいた。

アニメ「うる星」から入り、
留美ックを渇望していた初心者の僕にとっては
「ダスト」も含め、「けもの24時間」は
貴重な「うる星」「めぞん」以外の作品だった。

その後、サンデーグラフィックにも掲載されたので
「けもの24時間」は
そこそこ知名度があるのではなかろうか。

f:id:rumicold:20210313152637j:plain

「けも」のうえに傍点があるのは
獣24時間と読まれないためなのか。
このテキストでは傍点を省略しているけれど、
けも・・の24時間」、が正しい。

f:id:rumicold:20210313153023j:plain

「九時ら。」である。

f:id:rumicold:20210313153036j:plain

この、腰をひねった座り方は腰をやる。

f:id:rumicold:20210313153101j:plain

これな…。
何かをやらなきゃならないのに手に付かず、
現実逃避していると、この台詞が浮かんでくる。

「描け」でも「描かないの?」でもなく
「『なぜ』描かないのだい?」なのが
哲学的でとても面白い。
この作品発表当時、
高橋留美子氏はまだ在学中である。
その時代の大学生たちの、
どこかインテリでありたい気持ちが
この台詞から垣間見えるようでもある。

f:id:rumicold:20210313153127j:plain

「れでー」とか「じゃ~ッ!!」という台詞、
そして高橋留美子氏の顔の作画が
「できんボーイ」(少年サンデー)みたいである。
ちなみに、「ちゅどーん!」は
「できんボーイ」作者の田村信氏が発明したと
高橋留美子氏は語っている

f:id:rumicold:20210313153217j:plain

お顔が見えたご友人。誰だったかなぁ。
サンデーグラフィックを漁れば
初期のお手伝いが誰だったか
書いてあっただろうか。

f:id:rumicold:20210313153231j:plain

机を投げた美しい人である。

f:id:rumicold:20210313153247j:plain

これが描かれた昭和53年はじめは
「うる星」短期集中連載の前か最中で、
だからこの「厚顔無恥」な「一作」は
うる星やつら」を指しているのかもしれないが
エピソードそれぞれを指しているとしたら、
「はずしましょう ブ…ブラを…」
「土曜の夜は 子どもをつくるっちゃーっ!!」
「うちのおなかの中には ダーリンの(略)」
あたりの流れを指しているのかもしれない。
そういった台詞が扇情的だった時代である。

f:id:rumicold:20210313153333j:plain

松本零士キャラのようなお顔だ。
美化どころか卑下したこの自画像は
たいへんに好印象であると思う。
だからどうにも「アオイホノオ」における
高橋留美子氏の描写は受け付けないのだ。

f:id:rumicold:20210313153357j:plain

オチは、自堕落ぶりを描いているようで、
漫画家を志す人たちに向けた
メッセージのようにもなっている。
ほんとにマンガ好きなんだねぇ。

昨今は漫画家の自叙伝的な作品も
数多く出ているけれども、
そのほとんどが懐古的なものであるのに対し、
この「けもの24時間」は
若い駆け出し漫画家の、
リアルタイムな日記なのが面白い。

同胞の「劇画村塾」向けだから
カッコつけない、素直な内容だし。

当時、まだファン初心者だった僕も
この作品で、高橋留美子氏に対して
すごく親近感を持ったものだった。

なんということもないエッセイ漫画(?)だが、
たいへん存在感のある作品だったと思う。

今の高橋留美子氏が今後
「けも・こびるの日記」を新しく描くとしたら
描くネタはあるんだろうか。
普段どういう生活を送ってらっしゃるんだろう。

願わくば、
偏りなく世の中に触れていただき、
それを今後の作品に落とし込んでほしいものです。