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異常気象も増えてきた昨今…「Lサイズの幸福」レビュー

高橋留美子の作品中、伝承もののスタンスで
いちばんの大作といえば「人魚シリーズ」だろう。

“人魚”というモチーフは、
日本でも古来から語り継がれてきたようで、
単なる“おとぎ話”とは違って
ぼんやり信憑性のある話である。

昭和期の漫画では、
伝承もの、古潭、言い伝えなどの
ミステリアスな昔話を題材にしたものも
よく見られたが、
高橋留美子氏もその辺りはお好きなようだ。

今回取り上げる「Lサイズの幸福」は
“座敷童”がテーマとなっている。
現代(といっても平成初期だが)において
座敷童がいたらどういう騒動になるのか、
それを“ビッグコミックオリジナル”の
読者層向けにアレンジして
描かれているのがこの作品だ。

このレビューを書くために
ビッグコミックオリジナル”を調べてみると
ビッグコミック”よりもターゲットの年齢層を
少し上に設定している、とあり、
これは僕の印象とは違うものだったので
少し驚いた。
作風などが取っつきやすい“オリジナル”に比べて
“ビッグ”は古臭いイメージがあり、
“オリジナル”は中年向け、
“ビッグ”は中高年向け、と思っていたからである。

「Lサイズの幸福」は
子供のいない夫婦が持ち家を取得する話で、
主人公たち=読者の投影 は
三十代前半といったところだろうか。

注意しなくてはならないのは
掲載された1990年、
日本がまだバブルの只中にいたという事である。

それでは見ていこう。

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扉絵は幸せそうな2世代家族の絵だ。
この和紙のランプシェード流行ったなぁ。
フローリングに大きな掃き出し窓という
この頃の憧れの住居、という感じだが
お義母さまがリビングで針仕事をしているので
おそらくここは、
買うはずだった6100万の物件のイメージだろう
(実際に購入した家では、お義母さまが
 畳の部屋を与えられている)。

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添えられたバラはなんだろう。
記念日のイメージ、ギフトのイメージ。

華やかなこの風景が理想のイメージです、と
扉で開示することで
主人公の華子のキャラクターを
読者に印象付けているのかもしれない。
実際には彼らにとっては
座敷童がギフトだったわけだが。

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初っ端、
スポンサー(予定)の義母に媚び諂う華子。
令和の今から見ると、やや不自然でもある。
義母を迎えるとはいえ、自宅で
“派手に見えかねない”化粧をする、というのが
もはや違和感だ。時代は変わってしまった。

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ダイニングキッチンの作画は力が入っている。
テーブルクロスが椅子に引っかかっているあたり、
アシスタントさんによる
写真からの描き出しのようではあるが
作画カロリーが高いとやはり満足度も高い。

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ちらりと垣間見せたように
この物語の本質は、姑との同居問題である。
華子と姑との間には
特に問題がないように描かれているが、
ひょっとしたら座敷童やいろいろなトラブルは
姑のメタファーかもしれず。

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座敷童は家に憑くというが、この話では
お義母さまが連れてきたことになっている。
言い換えればお義母さまが福の神ということだ。

ストーリー上では、座敷童の悪戯によって
お義母さまの機嫌が悪くなっているが、
要するに華子夫婦の運気に
大きく作用しているのはお義母さまなのである。
座敷童(大)は
お義母さまの暗喩だと思ってよさそうだ。

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どう言い訳しても、
華子が夫の見送りをしなかったことは事実なのだ。

来訪した姑が息子の世話を焼くことに対して
大きなストレスを抱えたからかもしれず、
この時点で華子がノイローゼに陥っているという
描写なのかもしれない。

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100坪以上はありそうで、
そう考えると6千万は安いかもしれないけど
開発前の田舎、と考えると結構なギャンブルだし、
頭金もない団地住みが最初に買う物件としては
かなりの高額だ。さすがバブル。

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華子……。完全にヤバい奴やん。

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あぁ、アカン奴や……。
平成の終盤から令和にかけて
気候変動による土砂崩れや土石流が
どれだけあったか、
この頃は予測すらできないだろうな。

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こはちょっと読み解きが難しい。
華子とお義母さまの仲を悪くするために
座敷童は悪戯をするわけだが、
そのやり方が、
お義母さまの気持ちの代弁というわけでは
なさそうだからである。

やはり座敷童とお義母さまは別人格なのか?

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このやり取りは
ある種のギャグとして描かれているけれど、
華子が妄想狂となっているのでは?
という視点で見ると、もうほんとにヤバ過ぎる。
言葉が通じていないんだもの。

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お義母さまはここまで
何も悪いことはしていないし、
なるべく息子夫婦に歩み寄ろうとしているしで
まったく非がないのだ。

華子には、そのことが見えていない。

その、「見えていない」ということが、
座敷童的ではないか。

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そうかもしれない。
そしてこの、ノイローゼじゃないのに
ノイローゼ扱いされてる、と
思い込んでいるノイローゼ患者、という構成は、
単なるヒューマンドラマではないのかもしれない。

この「Lサイズの幸福」は
ほんわか人情ギャグ漫画などではなく、
結構、ホラー作品なのかもしれない。

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スズキアルト(1988~)かな、たぶん。

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華子はアタッシェを抱いているように見えますが
まさかの現ナマですか。
事故で燃えなくてよかったねぇ。

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なぜ座敷童は隆一(夫)にも作用したのか。
そしてなぜ、夫婦を守ろうとしたのか。

本来的には家に憑く座敷童だから、
華子夫婦の未来を守ろうとするのには
違和感がある。

家を介さずに華子夫婦を守る、
その動機があるのは“お義母さま”だけである。

だからやっぱり、
座敷童はお義母さまのメタファーだと
捉えられると思うのだ。

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即座に「そんなことより」と
言ってのけるお義母さま。
ええ人や……。

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物件を買わせない(不幸な損害から守る)という
目的を遂行した座敷童。
この後、華子には見えなくなるというのが
一つの解答のような気がする。

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華子夫婦の重要な局面には影響力を及ぼすが、
ひとたび物事が収まれば、
あまりうるさくしないようにする。
つまりお義母さまは、
相当に理想的な姑なのである。

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華子にとっての座敷童は姿を消したが、
お義母さまには小さな座敷童が現れた。

それはつまり、新しく家族となった華子である。
華子はたいした働きはできないが、
ちっぽけなりにお義母さまを助けてくれる。

つまりここでは、座敷童とは
人と協調していこうという心なのだと
読み取ることもできるかもしれない。

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お互いに、お互いが
助けてくれる存在であると認め合った間柄では
この最後の掛け合いの台詞も味わい深い。
人の優しさに満ちているといえるだろう。


最後に「Lサイズの幸福」というタイトルについて。
“大きい幸福”というのは単純に考えれば
作中の、大きな座敷童を指すのであるが、
彼と共にビッグな幸福がやってきたかといえば
住宅物件自体は
希望のものより一つ落としたものになっており、
つまり最上とはなっていない。

このことから、
“(何かと比べて)ラージサイズの幸福”、
というニュアンスが拾いにくい。
好意的に考えれば、
巡り巡って最終的に手に入れたもの
(お義母さまを加えた家族で暮らすこと)が
結局は一番大きな幸せなのだ、と
(青い鳥風に)解釈することもできるが、
ストーリーの結末に
妥協の雰囲気が色濃く漂っているので
どうもそんなに“Lサイズ”な感じがしないのだ。

災厄から“守った”のは確かだが
特に繁栄につながるようなことは
起きなかったからなぁ。

そこから受ける印象を
処理しづらい感じのするタイトルなのだ。
かといってこじんまりしたタイトルでは
なんとも景気が悪くてぱっとしないし。

意味を掛け合わせるタイトルは
上手くはまると引き立つけれど、
収まりが悪いと読後感にも影響するので
あまり無理をすることはないんじゃないかな、
と思います。〈おしまい〉