ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









恋人になるまでと、なってからと。


令和アニメ『うる星』は
あたるとラムの関係性を最重要視しており
視聴者のSNSなどでの反応を見るに
それは的を得ていたようにも感じられます。


結果を出せばそれは正しかったことになるので
この概念は定着しそうな按配ですが
『うる星』イコール“あたラム”なのだ、
ということになると
僕などはちょっと行き場がなくなってしまいます。

そのことを最近ずっと考えておりまして。

まぁしかし結局『うる星』は
『ボーイ ミーツ ガール』編で終わったわけです。
それは受け止めなくてはならない。


ただ僕が思うに
空から女の子が落ちてきた話”と
“男の子と女の子がずっと仲のいい話”は
一部重なりつつも
別のベクトルだと思うのです。

“出会った話”と“出会ってからの話”というふうに
並べればわかりやすいでしょうか。


ボーイミーツガールのお話は
過去から連綿と続いていて
銀河鉄道999』や『未来少年コナン』、
ハルヒ』なんかもそうでしょう。

いずれも、失う可能性を否定しない物語です。

然るに『うる星』は
失う可能性を完全に失った物語といえます。
『ボーイ ミーツ ガール』編は茶番であって
あの事件で二人が別れるかもと
心配していた読者などいないでしょう。
もちろんそれは『扉』シリーズなどの
入念な根回しあってのものですが。

つまり“あたラム”という概念には
安寧、というニュアンスが
とても色濃く含まれていると僕は思うのです。
そしてそれが
とても強く支持されている、と考えています。

夫婦善哉、というところですかね。


そのことを考えていくうえで
昭和アニメ『うる星』から
『異次元空間 ダーリンはどこだっちゃ!?』を
見ていきましょう。

もちろんのことですが
アニオリであるこのエピソードは
いわゆる“二次創作”であります。
これを原典とすることはあってはならないし
そこに描かれたことは
実際に(『うる星』という作品の中で)
起こったことではない。
だからこのエピソードに
耽溺するべきではない、と心に念じながら
考えていきましょう。


パラレルワールドに迷い込んだラムは
偽者の、ラムに優しい理想のあたると出会いますが
そのあたるを否定します。

なぜ否定するのでしょう
パラドックスなどは置いておきましょう)

ラムは真あたるの、
いい加減でちゃらんぽらんなところを(も)
必要だと思っているんでしょうか。
浮気性なところを(も)?

それはないと思うんですよね。

たしかにこの偽あたるは
なんかくどくて粘着っぽくて、
いつものあたるのさっぱりしたところがないから
性格的に違和感を感じるところは
あるかもしれません。

しかしそこはまぁ
テレビアニメの過剰な演出部分であって
それが主題じゃない。

このあたるは“完璧な恋人”がテーマなので
どこまでも“ラム好み”なはずです。

そんな、ラムが望む最高の男性としての偽あたるを
ラムが拒否したのはなぜか。

これはもう理由は一つで、
“本物のあたるではないから”です。

(あるいは
“ここが自分のいるべき世界ではないから”
 “元の世界に戻るべきだから” という
宇宙論にも繋がる考えかもしれませんが)

不満があっても、赤い糸で結ばれた
運命の二人であることが重要なのだ、
ということでしょう。

まぁこれはアニオリの二次創作の話ですけれどね。
今でいう“あたラム”の概念と
そう外していないのではないか、と思います。

(しかし原作の初期ラムとはえらい違いやな…)


で、これはもう“夫婦善哉”であり
“出会って、積み重ねてきた二人の話”であるな、と。


それを否定するものではないし
その良さもある程度わかるつもりではいるけれど、
僕にとってはそれが『うる星』の魅力の
一番目ではないなあ。

やっぱり、“女の子が空から落ちてきた”ことが
僕にとっては一番面白いところなのです。

今ではもうそんな設定は使い古されてしまったけど
当時ファン大会に集まっていた大勢のファン達の
ほとんどがそうだったんではないかなあ。

そういう人たちが
なんかいつの間にか宗旨替えしたかのように
なっているのが、
まるで僕自身がパラレルワールド
迷い込んでしまったかのようで、
どうにも変な気持ちなんですよね。


まぁボヤきでしかありませんが。


ついでなので
『異次元空間 ダーリンはどこだっちゃ!?』から
気になるところを少し拾っていきましょう。


錯乱坊「おぬしの顔、救いようのないほど悪い!」
に対してのあたるの台詞が
「この!臆面もなく古くさいギャグを使いおって!!」
ですよ。
押井氏からやまざき氏になって一発目でですよ。
それは押井うる星の2年半に言っているのか!?


むろんこれは原作由来のギャグでありますから

えらいこと言っちゃってるなぁ、おい!? と
こっちがビビってしまいます。

あたるがラムに負けた世界では
諸星邸が無残な姿のままとなっており
それを見た(真)ラムは
「え~っ…いつのまにこんなになったっちゃ……」
と呆れたように呟きます。

いやいや、いつもナンセンスギャグのお約束で
すぐに元に戻っているけど
だいたいいつもお前の電撃でこんな感じだろ、
というツッコミ待ちなんでしょうか。

「あーー! ゴメン!間違いだったっちゃ、です!!」
これすごいな。脚本通りなのかな。アドリブかな。
台詞もさることながら平野文さんの演技がすごい!
そんな餌で俺様が釣られクマー!(←古い)

女性化したメガネに言い寄られるラムが
“言葉も出ずに”かぶりをふるシーン。
ここでラムに台詞も呻き声も嗚咽も入れない演出は
めちゃくちゃいいなぁ!
今どきの、子供だましの演出とは
一味も二味も違うよ。

そして男女逆転版の竜之介。
女々しい(←差別用語田中真弓声が聞ける喜び。

原作で渚が登場するのはもっと後だけど、
渚が女々しい性格じゃなかったのは
創作の過程を考えるとたいへんに興味深いね。

理想のあたるを否定したラム。
この顔が、ぜんっぜんかわいくなくて、
それがすごくいい! 最高です。
ここで「このラム可愛いなぁ」とか
視聴者が考えたらあかんのですよ。
作画と演出が一つになって、ほんと素晴らしい!!


この『異次元空間 ダーリンはどこだっちゃ!?』の
脚本は“浅野佑美”氏となっていますが
ブログ「瀬戸際の暇人」さん

blog.goo.ne.jp

によると
> 脚本家「浅野佑美」の正体は伊藤和典氏だそう…
とのことで、あらまぁ…という感じでありますね
(勝手リンクを失礼いたします)。


やまざき氏の感覚が強く反映されたエピソードは
だいたいどれもちょっとねちっこいですが、
しかし絵コンテや演出なんかは
やはりさすがというかなんというか
一級品ですわなぁ。

それでは、また。

〈おしまい〉