ぼちぼちと更新していければ

(毎週土曜日中の更新を目指しています)









巡恋歌


なにとはいまさら言わないが
とある“ TS もの”のアニメを楽しみに見ている。

もともとはアニメーション目的で
視聴していたのだが、
主人公が己の異性化を受け入れていく様子が
僕にとっては新鮮で面白い(原作未読)。


今まで“男の娘”にはあまり興味を持てなかったのに
なぜここにきて TS ものを好んで見ているのか。
胸があって下半身がそうなっていれば
それでいいのか、おおいに自問自答するところだが
あまりはっきりとした答えは見つかっていない。

ただまぁ浅く考えるに、
男の事情を全部わかっていて、
男にとって気持ちのいいあざとさを披露してくれる
都合のいい女子、が
魅力的に見えるのではないだろうか
(この辺 “のじゃロリ” と同じ嗜好のような。
いや “のじゃロリ” という言葉、今知ったのですが。
ロリババア”と ひとくくりじゃないのね)。


さて翻って TSの先達「らんま 1/2 」である。
途中離脱した僕にはあまり語る資格はないのだが
今読んでも、女らんまの裸体には
僕はおそらく性的興奮はしないだろうと思う。

だって乱馬は男で。

(15-10)「あたる、女へ!!」と
あまり変わらないように僕は思います。

当時はそれでも興奮したのかなぁ、
ちょっと覚えてないけど。
まぁ若かったしなぁ。

スケベ爺ぃと成り果てた今となっては
おっぱいがただ露出されているだけでは
特に感慨はないのです。


乱馬は基本的に、自分の女性性をもってして
男に情愛を訴えかけようとはしていない。
言葉のチョイスが難しいけど
男を喜ばせようとはしていないというか
(男をからかうことなどはあったが)。

内面的には男のままなのだし、
男と女を行ったり来たりで
男として生きている時間もちゃんとあるわけだし、
“いつかは普通の男に戻りたい”という目的意識が
物語にもおおいに絡んでいるし。

あかねとの恋愛を進めていくにあたっても
(時にスパイスとして百合描写を入れるにしても)
男性性は維持しないとならなかったのだろう。

(それに当時はまだ“強い女の子”ブームが
あとを引きずっていたのかもしれない。
そういうキャラクター立てが功を奏すると
計算されていたのかもしれない。)

ただだからこそ、令和の今の観点から見ると
「らんま」の、肉体が変化しただけに
とどまっている状況というのは
読者の「女の子になってみたい」願望を
満たすものではないように思える。

男にとって気持ちのいい、
男が夢想する女性性、がないからだ。



さて、話は飛んで「うる星やつら」の
あたるとラムである。

この二人はすでに(戸籍上は知らんが)
名実ともに夫婦となっている。
もはやほとんど

(「What's Michael ?」8巻)
こういう関係である。


少年誌読者だった僕たちにとって
同年代の異性と一つ屋根の下で暮らす、というのは
まだ経験したことのない未知の領域であり
性的欲求も含めて
思春期の憧れ(妄想)を肥大させるのには
充分だった。

だけどそれから 40 年も経って
僕も立派な爺さんに成り果て、
“夫婦の安定感・機微・仲良しとしてのほっこり感”
に対して新鮮味を感じなくなった今では
あたるとラムの関係の見え方は
一言でいうとマンネリ夫婦スレスレである。


あの頃は、“当然のようにいつも一緒にいる男女”
という関係に憧れていた。

でも、今の僕がマンガに求める男女の関係は
そういうものではない。


やっぱりドキドキやトキメキが見たいなぁ、
そう思ってしまうのだ。

重ねていえばそれは、
自分の疑似恋愛じゃなくても構わなくて。

他人ごとの恋愛を
あぁいいなぁ、よかったなぁと
眺めているだけでも幸せに思えるのである。

それもまた疑似恋愛なのかもしれないけど。


そういう立場からいうと
ラムもずいぶんたいがいだよな、
と思ったりします。


ラムはあたるにぞっこん。

それはまぁ疑いの余地はないですが、
ではラムがあたるに最後に「好き」と言ったのは
いつだったですかねぇ。

「一生かけて…」は確かに逆説的には
「永遠にあなたが好きです」であるのだけれど、
恋人をいい気持にさせる行為としての
「好き」をラムが最後に言ったのはいつだったか。


(33-10「ハートをつかめ」)
これはラリってるのでノーカン。

(30-9「極彩のペアルック」)
しあわせとかうれしいとか、
そういうのは結構言ってるんだけど…。

(16-9「怒りのラムちゃん!!」)
ラムなりの愛情表現は多いけれど、
それがあたるが喜ぶことであることは少ない。
このマフラーなんかは稀有な例である。

(9-4「女王陛下と愛のラガーマン!!」)
恋人目線であたるを褒めそやす描写は
この辺りが最後かな。

(8-7「平安編 弐の巻」)
劇中劇はノーカンでしょ。
13-1「スーパー武蔵…」では
あたるがラムにはっきり
「きみが一番好きよ!」と言っとるぐらいだし
(軽薄なその場しのぎだとしても)。

(5-11「哀愁でいと」)
イチャイチャをラムから仕掛けるのは
初期には比較的あった。

(3-9「君まてども…」)
ラムのモノローグで「好き」は、ここで確認できる。


以上。
…!?、以上なんです。
僕が見落としているだけなのかもしれないけど、
ラムがあたるに
「好き」「愛してる」と言ったことは
ないんじゃない?


もちろん、上にも書いたように
逆説的な言い回しでの「好き」はいっぱいある。

ラムの「ダーリン!!」はその実、
「ダーリン、好きーっ!!」でもある。


しかしラムが、
自分の弱みを握られても構わないという体の
身体一つで「好き」と言ったことはない。

「好き」って言ってほしいというラムが
自分は「好き」と言ってないなんて。


恋は駆け引き、なんていうけれど
駆け引きできる余裕がある恋って恋なの?
と、爺ぃとしては思ったりします。

好きだから独り占めしたい、従属させたい、
それはわからんでもないけれど、
まず先に、自分を捧げてもいいと思うような
「好き」があってほしいなぁ。

それはもしかしたら
男性の夢想する恋愛観なのかもしれませんが。

ラムとあたるに関しては
恋愛をしないうちに夫婦になってしまった。
今読むとその辺が物足りなく感じます。



今回は以上です。
このブログを書くにあたって
wiki の「男の娘」ページを参考にしましたが
なかなか面白かったです。



(「バタアシ金魚」6巻)ソノコ君最高だ!
〈おしまい〉