ぼちぼちと更新していければ

(毎週末の更新を目指しています)









改変例としての『ラムちゃんの男のコ教育講座』

 
現在放送中のアニメ
『呪術廻戦 死滅回游 前編』の今週放送分で
過剰な演出とか、別解釈だとか
作画偏重志向だとか、
そういうことで紛糾しているようです。

なんてぜいたくな悩みなんだ。羨ましい。


実際問題、原作と全く同じ絵が
動けばいいっていうんなら
モーションアニメが最高ということに
なるでしょう。そんなはずないよね。


とはいえストーリーの改変ともなると
『セクシー田中さん』 を挙げるまでもなく
賛否両論巻き起こるのも
無理はないかもしれません。


例えば先日TV放送された『AKIRA』も
あれだけの映像でありながら
ストーリーのまとめ方が
原作ファンの期待と異なるものだったことで
公開当時はあまり評価されなかったはずです。

当の大友克洋氏が深く関わっているので
不満があっても口をつぐんでいたような
変な雰囲気ではありましたが。


そんなわけで、最近“脚本”について
考える機会が増えましたので
昭和アニメ『うる星』を例にとって
脚本が、なぜ原作を改変するのかを
考えてみましょう。


取り上げるエピソードは
僕の大大大大好きなエピソードの
ラムちゃんの男のコ教育講座』。

脚本は年配のアニメファンが
みんなお世話になってる 辻真先 氏。


辻真先 氏は『うる星』の脚本を
3本ほどやっていて、
その3本とも遠藤麻未作画監督だし
それぞれ山下将二氏や越智裕氏、
あるいはドオタクの高橋資祐氏/山本直子氏
あたりが入っているので
僕の中では
辻脚本に外れ無し!という感じの評価に
なっています。


忘れてならないのは、
脚本から絵コンテに移行する段階でも
変更はきっとあっただろうということ。

僕は素人なので
脚本と演出がどのように混ざり合っていくのか
あまりよく知らないのですが、
ラムちゃんの男のコ教育講座』は
ドオタク色がかなり強いので
特にアニメーションという部分については
脚本ではない部分での改変もあったのだろうと
思っておいたほうがよさそうです。


では見ていきましょう。
原作は『三つ子の魂、百までも!』(9-3)
となります。


まず一手目。


アニメではあたるが
一人遊びをしているところから始まりますが


原作ではあたるが
ガールハントに出かけようとするところで、
ハナからラムと絡んでいます。

原作は扉含め16ページという限られた頁数で
物語を進行しなくてはならないので
“詰める”作業は当然あると思うのですが、
この“初手”については“掴み”も兼ねているので
“またケンカしている二人”という意図が
あると思われます。

また原作が「とにかくガールハント!
朝からガールハント!!」であることに比べ
アニメのほうは
トランプ占いで良い運勢が出たから出かける、
というふうに
ガールハントにかける意気込みが違います。

ここは、事件がすでに起こっているか、
事件が今から起きるのか、の違いですかね。
「出てゆく、出てゆく!!」ではないですが
原作のほうが臨場感ある感じしますね。



あたるに「ついてくるなよ」と言われ、
悲しい気持ちを花瓶の花に重ねるラム。
原作ではもっとサバサバしているのですが
「ときめき」が人気が出過ぎたためか
ラムの いたいけ描写となっていますね。
まぁ僕なんかは まんまとハマったわけですが。



ラムとあたるの母が昔のアルバムを見ている時
TVで文鳥の飼い方の番組をやっていますが
原作には無い流れで
文鳥が逃げ出す”ところを
少し重たくしています。


次いで若いあたるの両親が
マイホームを買った話に繋がっていくので
“籠の中の鳥”的な神妙な気持ちになるのですが


そこからTV番組の音声が
コミカルな機械音声っぽいものとなり、
「最初カラ大人ノ文鳥ヲ飼ウト
警戒シテ手二乗ラズ逃ゲル危険性ガアリマス」
という、コメディに変化していきます。


これは上手いなと思いました。
文鳥への“刷り込み”の話なのですが
シリアスな雰囲気で真面目に聞かせておいて
コンピューター音声で学習させるというのが
二重構造になっていて面白い。

ただ残念なことにラムの
「わるだくみ」が消えています。

これなー、なんで消したかなー。

まぁこのあたりが
ラムの鬼娘→美少女ヒロイン化の
はしりなんでしょう。

ただ、アニメ『うる星』に関わって
まだ数ヶ月の辻真先 氏が
ラムを巡る状況を
そこまで把握していたかというと疑問であり、
プロデューサーとか監督とかから
ちょっとした注文が入ったのではないかと
思ったりするのですがいかがでしょうか。


タイムトリップしたラムは
公園で錯乱坊とサクラに出会います。

ここでサクラは錯乱坊に
「お主は病弱なのじゃから」と言われは
しますが、ドオタクスキップで元気そう。


まぁこれは完全にアニメのミスですね。
とはいえ咳込んでいる女性に
モーションをかけるのも、
絵的にどうなのって気はしますので
わかっていたけど
やむなく変えたのかもしれません。


細かいところですが、原作ではラムが

「タイムワープ成功!!」と言っていますが
アニメでは「タイムトリップ成功!!」と
言い換えています。
そちらに造詣の深い辻氏が、一般的に
通りのいい言葉に置き換えたんでしょうか。
ですがSF用語については
それなりの思いがあってその用語をチョイス
しているような気もするので、
簡単に変えるのはどうなのかなとも思います。


さてラムと幼少のあたるの邂逅ですが
原作と違い、アニメでは小学校の校門近くで
あたるを見つけ出すアニオリとなっています。

学校からの帰り道であれば
出会うこと自体は無理がないので
ストーリー上必要な変更ではないのですが、
このアニオリでは あたるが小さい頃から
他の子どもとは違うタイプだったということが
描写されています。

これはTVマンガとしてはとても正しいけれど
漫画『うる星』としては正しくないかも
しれませんね。
小さい頃から女好きであっても、
ごっこ前のあたるは、一般市民であったと
いうほうが物語的には面白いです。


ラムに見守られながら幼少あたるは
同じく幼少のしのぶと遊ぶことになります。

おままごとの描写はこってりと。
おそらくですが、
ちびあたるとちびしのぶがレアキャラゆえに
ファンサービスのつもりも
あったんじゃないですかねぇ。

そういえばこの頃、
ロリコンブームというのもありましたねぇ。
ロリータブームではなくロリコンブーム。
ロリコンっぽく振る舞うブームというか。
ワレラロリーコンダさん達とか。


さて、ここからBパートです。

原作のほうを見てみますと、
あたるが帰宅した後は
残り3ページしかありません。

これはまずいっていうので
あたるもティーカップから
タイムスリップしていくことになります。

これは結構重大ですね。
あたるが過去を見聞きすると
歴史としても変わってしまいますもんね。


しのぶと別れた幼少あたるは
ラムにアイスクリームを買ってもらいますが
アニメでは店のお姉さんにキスをせびります。

きっつー。
まぁTVマンガ的にはね、多少はね。

つうか昭和と令和でキスの意味が
かなり違っている気がします。
特に漫画・ラブコメにおいては。

令和の現在のキスは
恋愛仕草の一つであって、
必ず内心が伴うものであるところ、
昭和のキスは
「おっちゃんチューしちゃおうかな」的な
性欲の発奮の意味合いがある。…こともある。 



続いて幼少あたるはサクラにアタックします。
原作ではサクラが私服に着替えていて

サクラだということがわかりづらいので、
このサクラの衣装の改変は良改変。
サクラが快活なのは良くないですけどねぇ…。



ラムは幼少あたるに(というか視聴者に)
“条件反射”を図を使って説明します。
これ自体は尺を埋めるものでしょうが、
幼少あたるに説明するのはおかしくない!?

まぁ「インプリンティング」という
学術ギャグの例もありますから…。



そのサイエンス風味がまだ残っているうちに
ラムと幼少あたるは青年あたると
会うことになるのですが、
ラムをなじるあたるに
ラムはタイムパラドックスの話をして
あたるを煙に巻きます。

これが上手いですねぇ。条件反射の話で
視聴者をそういう態勢にしておくのが上手い。

あたるのタイムスリップが
あったほうが良かったか
ないほうが良かったか、というと
ないほうが良かった気がしますが、
番組の尺の問題でどうしてもというなら
上手くまとめたのではないかなぁと思います。


ちなみにこのタイムパラドックス
成り立ちませんよね。
時間の揺り戻しによって
“そうはならない”ことに
なるんじゃないかなぁ。



それにしてもこの態勢…、
あたるはこけるよりも紳士なんだなぁ。



あたるは幼少しのぶとも出会います。
絵ヅラがやばいな…。

しのぶの人形を奪ってラムの人形と
入れ替えますが、人形の描写に重点を置くと

『念力ウラミのあやつり人形』

『君去りし後』、辺りとの被りが
気になってきます。
まぁこれは年寄りのよくないところですね。



でもって幼少しのぶちゃんに続いて
幼少4人組も登場。
でも別に存在意義もなかったので
単なるサービスですね。


幼少あたるには、ラム人形に代わって
しのぶ人形がくっついています。
だから原作のようにはオーバーヒートせず


幼少あたるはやっぱり女の子に
ちょっかいをかけ放題。

人形のすり替えに気づいたラムは
あたるを探して飛び立ちます。
幼少あたるの出番はここまで。
おいおい都心のデパート屋上まで連れてきて
放置かよ、緒形拳の『鬼畜』かよ。


この後あたるに引っ付いたラム人形は
ラムが外してくれるのですが、

これでは「スジ金入りの」女好きという言葉が
幼少のあたるに係ってきません。

過去編をやる意味も薄くなってしまいます。
これはよろしくないですね。


原作のオチの、

あたるの母のお見通しエピソードはなくなり
(手形のフリはあったのにね)、
両親のマイホーム購入エピソードに
変わっています。

これは冒頭のアルバムの記念写真の布石を
回収した格好で、
バック・トゥ・ザ・フューチャー』に
先んじて“少し不思議(藤子SF)”風な
締めにしたというところでしょう。


というわけで、
ラムちゃんの男のコ教育講座』の
ストーリー改変部分を駆け足で見てきました。

原作を知るものとしてはこのエピソードは
ラムの密やかないたずらという風に
捉えており、あたるを交えてほしくなかった
という気がしています。


ただ、
この頃はまだ原作も連載が続いていますし
TVアニメのイデオロギーとして
1話単体の考え方だったというか、
そもそも無限に続きそうなTVシリーズに対し
“シリーズ構成”が働いていたかどうか
(一応、荘久一氏と伊藤和典氏がクレジット
されています)。


その時々で
「面白くなければTVじゃないっちゃ!」を
掛け声に作られた作品として、
それがTVという媒体上で人気が出るように
調整されたのは、
一社会人として理解できます。

ひいき目であることは間違いないですが。


ストーリー続きものに比べて一話完結物は
30分アニメに仕立て上げる場合に
尺の問題が出てくるので、
制作側の事情も汲んでやらんといかんよなぁ、
と思いますね。

Aパート15分で1本にすればいいというのは
考え方の一つですけれども、
ケースバイケースではありますし
あまり駆け足になっても
人物掘り下げが疎かになったりしますし。


まぁ商品として成り立っていればいい、
というのが僕の意見です。



いやー、ストーリーの変更点について
見てきましたが、
そもそもまだラムとの契約が成立していない
幼少あたるに対して、
人形からの電撃を浴びせるとか
幼児虐待にもほどがありますな。

『駆けめぐる』『悲しき雨音』の前なので、
宇宙人の優遇措置もないはずですしね。


ラムちゃんの男のコ教育講座』は
作画やアニメーション部分が特筆もので、
特に今回考えたのは

ここのシーン。
このラムの仕草って、美少女仕草ではなく
ダサ可愛いというか、バカ可愛いというか。

昔から、サブキャラにはたまに見られたけど
メインヒロインには見られなかった仕草です。

これをメインヒロインに持ってきたというのが
原作『うる星』の功績であり、
それをアニメ界に普及させたのが
昭和アニメ『うる星』なんじゃないかと
僕は思いました。


以上、お付き合いありがとうございました。


〈おしまい〉